第9話 因業因果は巡るもの。今世の不始末は来世に持ち越し



 ぽーん。ぽーん、と、軽い音が聞こえた。

 振り返ると、カウンターの横に置かれていたアンティークを模したチャチな置時計が一時を知らせていた。

 十二時過ぎに自分はこの店を訪れたはずなのに、あっという間に時間が過ぎている。そんなにも――そんなにも時間を使っていただろうか?

 春絵が顔を戻してアスラの顔を見ると、彼は律儀に両掌をぱちんと合わせた。

「ごちそうさまでした。おいしかったです」

 それで春絵は――脱力した。


 何も解決などしていないし、厭な事をたくさん言われた気がするのだけど、姉がなぜ駄目なのかがわかって、ものすごくスッキリしていた。あの女は自分に対して、「馬鹿だから」と言った。


 「――馬鹿だから、見分けられないんだよ」


 あんただって大馬鹿じゃない。

 人間生きていかなきゃならないのよ。お金がないとダメなのよ。あんたみたいに結婚もできそうにないデブスなら余計働かなきゃどうしようもないのよ。なのに結局コミュ力がないからどっちもできないの。男も寄ってこない、仕事も続けられない、あの腐れたようなど田舎で発酵しそうになりながら、こそこそ隠れて暮らして親のスネかじって生きていくしかないのよ。なんてお荷物。なんてゴミムシ。あんたのために学費と仕送り払ったお父さんお母さんがかわいそうじゃない。馬鹿みたいじゃない。――あんたのために、あたしがもらえるはずだったお金まで回されちゃって、一番被害を被ってるのはあたしなんだからね⁉

 やっぱり、キレイにしてかわいくして、愛される女でなきゃ、「こうしてほしい」って男の気持ちを汲み取れる女じゃなきゃダメなのよ。働くことも結婚することも愛されることも選ばれることも、全部全部そうなのよ。


 あたし間違ってないんだから‼


「さあ、と言う訳で」

 ちらり、とアスラが春絵に目を向けた。ちりりん、と首から下げられた銀の鈴が鳴る。


「じゃ、助言はしたからね。あとどうするかは自分で決めたらいいから」

「――――え?」

 むっとアスラは唇を尖らせた。

「だーかーら、助言はしたでしょって。他にも色々教えてあげたじゃない。お姉さん馬鹿過ぎてこまかく説明しないとわかんないっぽかったから、出血大サービスでお話してあげたんだよ? ほんと感謝してよね」

 するりと左の掌が差し出される。



「じゃ、そういうわけで五十万。現金でも振り込みでもどっちでもいいけど、一括で支払ってね。利子とか計算すんのめんどっちいから」



「はあ⁉」

 がたんと音を立てて春絵は立ち上がった。

 唇を震わせながらテーブルの上に両手をついてアスラの顔を睨み見た。

「ちょっと、なにそれ、そんな馬鹿な金額あるわけないじゃない! そんなぼったくり許されるワケないでしょ⁉」

 アスラは両耳を手で覆って顔をしかめる。

「うるっさいなぁ! そんなキンキン声で怒鳴らないでくれる⁉」

「助言って――助言って、はあ⁉」

「だから、毛玉が湧くのはお姉さんの人間性の問題で、プロポーズは絶対に不幸になるから受けるなって教えたじゃん!」

「そんな――それだけで五十万って……ふざけてんのあんた⁉」

 両耳をふさいだまま、アスラは厭そうな顔で春絵を見る。

「ぼくは至極まじめだし、これだって妥当な金額だと思うよ。だってあんた馬鹿だからさ、聞きたい事しか聞かないから、どうせ説明したって右から左じゃん。それでもあんたの人生観がなんでこんな歪んでんのかって根本的なところから懇切ていねいにご説明してさしあげたでしょうが?」


 また馬鹿って言った!

 こいつもあたしのこと馬鹿って言うの⁉

 もう厭! いやいやいや! どいつもこいつも馬鹿にしやがってふざけんな馬鹿野郎‼


「お話にならないわ‼ こんなところ来るんじゃなかった‼」


 春絵は吐き捨てると、財布を取り出し一万円札をテーブルの上にばん! と叩き付けた。

「アイスティー代含めて良くてこんなもんでしょうが⁉ ふざけないで‼」

 言い捨てるや否や、春絵はかつかつとヒールを鳴らして店を飛び出していった。

 酷く手荒く押し開けられた時には悲鳴のような音を立てていた扉の鐘も、締まる時にはゆっくりと動き、かららん、と軽い音を立てるに留まった。

 椅子の背もたれに肘を預けて春絵の行方を見守っていたアスラは、やがて小さく溜息をついてテーブルの上で頬杖を突いた。

 カウンターの内側から盛大な溜息が聞こえる。

「おおいアスラー。もちっと客あしらいは上手くなれよ、お前は」

「ぼくはやるべきお仕事はちゃんとやったもの。――契約に反したのは、お姉さんのほう」

 アスラはつまらなさそうに時計の針を見詰める。

「ぼく、もうほぼほぼ役満に近いって教えてあげたのに、これで決まっちゃったね」

「どうなるんだ? あの人」

 マスターの問いに、アスラは肩を竦めた。

「そんなの聞きたい? 反吐へどがでるよ?」

「そこまでか」

 しかめっ面をしたマスターに、アスラはにっこりと微笑んだ。

「因業因果は巡るもの。今世の不始末は来世に持ち越し。転生利息は倍のツケ――ってね」


 アスラの口元に、きゅっと酸っぱそうな笑みが浮かぶ。


「――支払いの踏み倒しは高くつくよー」



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