第7話 社会性って何のためにあるか知ってる?


 ドアを押すと、かららん、と軽い鐘の音が鳴った。

 「いらっしゃいませー」と声を発したのは、カウンターの奥にいるヒゲを生やしたバーテンダーだ。彼がここのマスターらしい。他に店員らしい人影は見当たらない。軽く会釈をしてからきょろきょろと店内を見回すと、一番奥の衝立で隠されたテーブル席に先客がいた。


 いた。多分あれがそうだ。

 

 こくりと生唾を吞み込んでから、ゆっくりとその席へ近付いてゆく。こつ、こつ、こつ、と、自分の立てるヒールの音がやけに大きい。


  BAR Neighborは五反田の駅から程近い雑居ビルの半地下にあった。

 バーと銘打っているけれど、日中は喫茶店を兼ねているらしい。表にそう看板が出ていた。

 相談屋が対応するのは水曜と木曜のみとあった。待ち切れなくて水曜に有給をとってきた。開店時間は午前十一時。電話で問い合わせると、男の声で昼過ぎからならアポが取れると言われた。だから十二時を過ぎたあたりでうかがいますと告げた。

 どきどきしながら衝立の向こう側を目指した。

 やっと本人に会える。そう思った時だった。



「――タマちゃんたらもう、何で通しちゃったかなぁ……」



 「ちぇー」と面倒くさそうに続けられた声に、春絵は言葉を失った。

 そこにいたのは――ぎりぎり十代と思われる少年だった。

 まるで少女のような丸顔だ。華奢な体型だから一瞬本当に女の子かと思ったが、声で違うとわかった。サイズのあっていない、だぼだぼの、ネイビービルーの猫耳フードつきのパーカーに、同じ色のハーフパンツを纏っている。


 春絵は困惑して――閉口した。

 

 占いの館から紹介される相談屋なのだから、占い師らしい一式でも手元に揃えているかと思いきや、彼がついている席に広げられているのはミートドリアとメロンソーダだ。

 ちらと春絵のほうへ目線を寄越しながら、その少年はスプーンですくったバニラアイスをなめた。アイスはメロンソーダの上にぷかぷかと浮いている。レッドチェリーがつやつやとして、まるでおもちゃみたいだ。

「え、ええと、タマちゃん?」

「うん。だから、タマエちゃんだよ。煙草屋にいたでしょ? ハチワレの女の子」

「ああ――あの猫の……」

「タマエちゃんがオッケーしたらあとは基本問答無用なの。タマちゃん以外のチェッカーは、オキャクサンのヒトガラを確認するために接触してもらってんのね。やっぱり猫だとわかんないでしょ? ヒト科の生き物のキャラクター分類的な部分はさ」

 ずずず、とメロンソーダが啜り上げられる。

 春絵は思わず溜息を漏らした。

 人間のキャラクターは猫にはわからないと言いながら、誰よりも彼自身が猫みたいだ。タマエちゃんの判断が全てだというなら、あんなにもしつこく無礼な連中にたらいまわしにさせなくてもいいじゃないか。いやがらせか?


 ほんとなんなのこの子。

 まるっきり、気まぐれで身勝手な猫じゃない。

 なんならお前、あとの小娘とか失礼な着物野郎とかバイカーよりもよっぽどタマエちゃんに似てるよ。お前こそヒト科じゃなくてネコ科なんじゃねぇの?


 春絵が内心そんな悪態をついていると、少年はスプーンを口にくわえたまま「はああ」と溜息をついた。そしてぺっとスプーンを吐き出した。

「ここまでたどり着いた根性は認めるけどさぁ、その忍耐力があるならなんでもうちょっと倫理観もって生きられなかったの? お姉さんもうほぼほぼ役満に近いよ? これだけ自分の事しか考えられない人間も滅多にみないって。社会性って何のためにあるか知ってる? 自分を守るためにあるんだよ? 自分の自尊心と承認欲求を満たすために周りを蹴り落として利用しようとしてたら、そら悪業あくごうなんていくらでも積もるに決まってんじゃん。あんたそれは――」

 じっと、猫の目が春絵を見据えた瞬間、どこかでちりりん、と鈴が鳴った。


「――自業自得だよ」


 しばらく、本気で息が止まった。

 飄々とした語り口で、少年は一気にそれだけの事を口にした。

 なんだろう。ここに来るまでの間だけでも、春絵はずいぶんと失礼な事を言われ続けてきたが、この少年から感じるさげすみ程じゃなかった気がする。

 そうだ。この少年は一見からして春絵の事を馬鹿にしているのだ。

 この時点で、春絵はすでにここにきた事を後悔し始めていた。

 ――まあいいわ。こんな子供真剣に相手する必要なんかないわよ。相談を軽くして、それなりの助言をむしりとって、非常識な値段をふっかけてきたらオフってやればいいの。こっちはお客なのよ。気に入らなければ――拒否する権利はこっちにあるんだから。

「で、なんでいつまでも立ちっぱなしなの?」

「え」

「すわれば? 一応お客なんだし。あと邪魔」

 振り返れば、困惑顔のマスターが水の入ったコップをもって春絵の背後に立ち尽くしていた。

「あ、すいません」

 マスターは困り顔で笑いながら首を横に振った。

「いえいえ、こいつ立て板に水でしょ? 厭になったら怒っていいし、キャンセルしていただいても構いませんからね」

「ちょっとー、エイギョウボウガイしないでくれる⁉ これでお金入らなかったらここに入るショバ代も捻出できないからね? いいの?」

「それは自力でなんとかしろや。ビタ一文まからんからな」

「あーむかつくー!」

 頭をフードの上からばりばりとかきむしるのを横目で見ながら、春絵はようやく――彼の対面に座った。

 見れば、彼のかたわらには、段ボールに白画用紙をのりで貼り付けただけという、貧相な見栄えのB5サイズの看板が立てられていた。それも――少々邪魔っけにされて端に寄せられているから、ぱっと見ただけでは店のメニュー表にしか見えなかった。



『この世の地獄の相談、よろず承り〼《ます》  宵口アスラ』



「ねぇ。これ、なんて読むの? あなたの名前。ヨイグチ?」

「惜しい。お姉さん馬鹿じゃないんだね」

 にやりと笑いながら、少年はスプーンをメロンソーダの中に突っ込んだ。

「ヨイノグチだよ。よいのぐちアスラ。ヨロシクね、お姉さん。――まああんまりヨロシクしたくないけどさ」

 その首から下げた極々小さな銀の鈴のペンダントが、ちりん、と鳴った。


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