第6話 だってあたしなんだもの
――そこからが最悪だった。
住所は、五駅隣の駅から三十分歩いたところにある煙草屋のものだった。店番の老婆に名刺を見せつつ話をすると、そこに書かれていた「三村タマエ」というのは、老婆ではなく、その膝の上にいた猫の名前なのだという。
じっとりとした寒気のする目で猫はじっと春絵を見た後、ぬるりと店先に飛びあがり、春絵の前で香箱を組んだ。
すると老婆が「きしし」と
「あんた、それ。首輪みて」
「へ?」
「タマちゃんのお許しが出たよ。次行っていいってさ」
見れば、その首輪にピンクのハートの飾りがついている。恐る恐る手を伸ばして引っ繰り返すと、裏に名前と電話番号が書いてあった。
次は待ち合わせ場所を指定された。
駅近の家電量販店。その一階のパソコン売り場の眼の前の、休憩スペースだった。気持ち悪い汗くさい眼鏡のデブ男や、チェックのシャツにバンダナを巻いてリュックを背負った眼鏡の不細工男とかの中に、一人、ピンクのワンピースを着たウェーブのロングへアの女の子がいた。多分高校生くらいだ。ホイップのたっぷり乗ったアイスカフェモカらしきものを口にしながらノートパソコンを叩いていた。恐る恐る「
「――最近訪ねてくるの、おばさんばっかりなの、なんでなの?」
がつんと後ろから頭を殴られたようなショックを受けた。信じられない。あたしはおばさん呼ばわりされるような年じゃないわよ! 後から湧き上がるような憎悪がついてきて、その衝撃で身体が震え出したが、滝沢はめんどうくさそうに「まあいいわ」と溜息を吐いてから頬杖をついて春絵を見上げてきた。
「ねぇおばさん、今まで生きてきた中で、最悪だった思い出って、なに?」
唐突な質問に面食らっていると、ずずずとストローを啜りながら「言わないなら言わないでいいけど。でもその場合はここで終りね」と言ってのける。
ざわざわとした不快感の中、しばらく考えてから、思い出した。
「――親戚が持ってきたヨーロッパ一周旅行のお土産が二種類あったの。オルゴールとぬいぐるみ。姉と二人でどちらか好きな方を選びなさいって言われて、ぬいぐるみを取ったの。だけど後からオルゴールの中には本物の宝石がついてたって気付いて、取り換えてって言ったけど、聞いてもらえなかったの。――四歳の時よ」
「それで、その後どうしたの」
「その後って」
「本当の事言っていいわよ。あたししか聞かないから」
「――棄ててやったわ。オルゴール。近所の貯水池に」
ずず、と啜っていた音をとめて、滝沢は視線を上げると、にやりと嗤った。
「そう。思い通りにならないなら棄ててやるってことね。わかったわ。貴方は多分ゴールできると思う。がんばってね」
言いながら、走り書きのメモを春絵に手渡すと、パソコンをカバンにしまって彼女は立ち去った。
その次は、街の外れにある骨董品店だった。表にあった表札には「
それからしばらくして、老婆に代わり出て来たのは、辛子色の着物をきた眼鏡の男だった。「おまたせしました」とにこやかに春絵に会釈した男は、案外若くて、こんなところには似つかわしくないくらいのアイドルっぽい顔をしたイケメンだった。
「すみません、お店に急にお邪魔してしまいまして。こちらのメモをいただいてきたのですが」
「はいはい。存じ上げていますよ。ご相談事のご紹介ですよね」
「はい」
微笑んで見せる顔に、少しだけ小峰を思い出した。どことなく似ているような気がした。
「ここまで辿り着ける人もいないんですよ。私の前の子、なかなか難しい感じだったでしょう? 暴言を吐かれませんでしたか?」
「ええ――ちょっと、まだ若いから仕方がないとは思うんですが。失礼を失礼と知れないって、怖い事ですね」
男は「うふふ」と笑った。
「事実を事実と受け取れないのも、なかなか怖いことだと私は思いますけどねぇ」
「――え、……へ?」
「ところで、コーヒーと紅茶、お好みの飲み物は?」
急に問われて面食らう。というか、その前に今あたしはこの男に何を言われたんだ? 事実? なにが?
「あ、ええと、じゃあコーヒーで」
春絵が言うと、男はにっこりと頷きながら名刺を差し出した。
「そうですか。私はどちらも嫌いです。煙草とコーヒーの匂いってね、混ざると口が下水みたいな匂いになるそうですよ。さあ、どうぞ。次へ向かってください。二重の意味で、お気をつけて」
そう言って、その手を表へ向けた。
その次は時間指定まであった。月曜の朝、午前七時半にとあるコンビニ前にバイクを停めてコーヒーを飲んでいる男がいるからそれを訪ねろと名刺には書かれていた。同じようなヤツが複数いたらどうしようとドギマギしながら向かうと、一人しかいなかった。「
一人その場に取り残された春絵は呆然とし、ついで
――最悪だ。まるでたらいまわしだ。
うんざりしながら、志賀某に渡された名刺を見ると、それはバーのショップカードだった。
BAR Neighbor
洒落ているのかダサいのか分からないフォントで、店名、住所、電話番号が印字されていたその名刺には、かすれかけたボールペンでこう追記されていた。
『水・木のみ ゴール おつかれさま』
我知らず、春絵の頬に笑みが浮かんだ。
やった。
ほらね、やっぱりあたしは特別なのよ。だってあたしなんだもの。上手くいくに決まってるって思ってた!
名刺を両手で握りしめながら、その場で喜びの悲鳴を上げて春絵は飛び跳ねた。
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