3-9. 秒間三百回の世界
「なんだよぉ……」
俺はやりきれない気持ちを抱えながら上着を脱ぎ、椅子の背に向けてポーンと放つ……。
その時、ふと違和感を感じた。
ランプの炎が優しく照らす中、飛んだ上着は何だかコマ送りのように、ギザギザな残像を残したのだ。
それは安物のLEDランプの時に感じるような、ほんの些細な事だったが、すごく気になった。
俺は手のひらをブンブンと振ってみる。すると、やはり、滑らかな残像とならない……。おかしい……。ランプの炎はアナログだ。像は必ず滑らかになるはずなのだ。
ハンドタオルを丸めて結び、壁に向けて投げてみた。ハンドタオルは点々と残像を残して飛ぶ。ざっと計算すると、三百分の一秒ごとに像が生成されているようだった。
昨日まではこんな事なかったのに……、と思って気が付いた。レベルが150に上がって、動体視力が上がったのだ。普通の人じゃ全く気が付かない像の異常に、気がつくようになってしまったのだった。
と、なると……。この世界は三百分の一秒ごとに像が生成されている仮想現実空間と言う事になる。言わばMMORPGのようなゲームの世界の中と言う事だ。俺はにわかには信じられなかった。美味しい料理、旨い酒、エステルの柔らかな頬に温かさ、これら全部が仮想現実上のデータと言う事になる。つまり、エステルもただのゲームのキャラクターになってしまう。結婚を考えていたあの愛しい存在がただのゲームのキャラクター? そんな馬鹿な……。
俺はゾッとして冷や汗がタラりと流れた。
思い返せば、魔法にしても殺虫剤にしても美奈先輩の起こす奇跡にしても、仮想現実空間であればいくらでも説明がつく。データを都合よく処理しているだけだからだ。
俺は手のひらをジッと眺めた。表面に刻まれた微細なしわ、指紋、皮膚の中に巧妙に入り組んだ赤と青の血管たち……。その全てが動かせば微妙に形を変えながら柔らかく
一体だれが何のためにこんなシステムを組んだんだ? そもそもそんな事できるのか?
と、ここで俺は嫌な事を思い出した。スマホだ。俺はスマホを取り出してロックを解除した。音楽を選ぶと当たり前のように鳴り出す。しかし、ここは仮想現実空間。三百分の一秒ごとに像が生成されている世界だ。なぜ、日本のスマホがそのまま動くのか?
そしてさらに嫌な事を思い出す。美奈先輩は日本の俺の部屋のエステルをそのまま治療していた。これはもしかして……日本も仮想現実空間……なのか?
いや待て! そんな馬鹿な事があるか? 日本が三百分の一秒ごとに像が生成される世界だったらさすがに誰かが気づくだろう。高速度撮影カメラは幾らだってあるし、いろんな観測装置があるんだから……。
俺は頭が混乱した。俺の生きてる世界ってどうなっているんだ? 素粒子が波で作り上げてるって話じゃなかったのかよ? 科学者何やってんだよ!
その後もいろいろ考えてみたが、結論は出なかった。ただ、手を揺らせばいつまでも残像はギザギザのまま。この世界は仮想現実空間、それだけは間違いなかった。
その晩、俺はなかなか寝付けなかった。
◇
「ソータ様! 朝ですぅ! 起きるですぅ!」
耳元で大声を出された。
「う? もうちょっと……」
俺は毛布に潜り込む。
「ダメですよぉ! 食堂しまっちゃうですぅ!」
エステルは毛布を引っ張る。
「寝かせてよぉ!」
俺はグンっと毛布を引っ張り返した。
「きゃぁ!」
エステルが俺の上に倒れ込む。
「うわぁ!」
重なる二人……。柔らかい重みが俺を押しつぶす。
この重みも仮想現実? 俺は寝ぼけながらボーっと感じていた。
「起きるです……」
エステルが耳元でボソっという。
俺はエステルの優しい香りを胸いっぱい吸い込みながら考えた。
仮想現実かどうかなんて、どうでもいいのかもしれないな……。仮想現実でもなんでも幸せになれば勝ちなのだから。
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