60話 渚瑛子⑧
「瑛子」
「……え、なに?」
「いや、なにじゃなくて……」
呆れたような麻美の眼差しを辿ると、一口かじって皿に戻したはずの卵焼きが皿ではなくテーブルに直にのっているのが見えた。
「あ、あれっ、ご、ごめんなさい」
「いいんだけど……」
困り顔の麻美に見られながら卵焼きを皿に戻してティッシュでテーブルを拭く。わけのわからないミスに顔が真っ赤になってしまった。
麻美を見ないままに食事を続ける。沈黙はそう長くは続かずに麻美が破った。
「なんか心配事?」
「……そういうわけじゃないけど」
「魔法少女のこと気にしてるの?」
「………………そういうわけじゃないけど」
瑛子のバレバレの嘘を麻美は指摘せず、代わりにずず、とみそ汁をすすった。
瑛子が魔法少女になって半年と少し、魔法少女が怪物ごと旅客機を攻撃する事件が発生した。
怪物は斃れたものの乗客は全員死亡。魔法少女はそのまま姿を消したことで、世間の非難がすさまじく膨れ上がった。
自分が矛先というわけでもないのに、そうした意見を見ることがひどく辛く思えた。たくさんの人が死んだという事実も、瑛子の気持ちを落ち込ませていた。
瑛子が見ている魔法少女のアニメでは、人が死ぬシーンなんてほとんどない。子供向けのアニメだからなんだろうと今ではわかるが、魔法少女と人が死ぬことは瑛子の中ではイメージが結びつかないものでもあった。
怪物との戦いでかなり痛い思いもしたのに、死ぬということを考えてこなかった。魔法少女ではなくても、失敗一つで多くの人が死ぬこともある。
魔法少女への苛烈なバッシングも、瑛子の負担になっている。
瑛子は旅客機の件とは何も関係はない。責任を感じているというのも違う。それでも魔法少女そのものが悪く言われているのがどうしても嫌だった。 瑛子が憧れた魔法少女は、人を殺す存在ではないとみんなにわかってほしかった。
考え事をしている間に麻美は食事を終えていたことに、食器を片付けようと立ち上がっているのを見てようやく気が付いた。
「あ、ご、ごめん」
「急がなくていいよ、ゆっくり食べな。遅刻はしないようにな」
適当な調子で言い置いて、麻美がキッチンに消える。
箸を手にしたままぼーっとテーブルを見つめる。食欲がないわけではないのに、手が動かない。
キッチンから戻ってきた麻美が、動かない瑛子の肩に手を置いた。
「ほんとに大丈夫?」
「あ、うん……大丈夫」
「学校でなにかあったとか。悩みがあるなら言いなよ」
「ううん……魔法少女のニュースが気になっちゃって」
「ああ……」
そうか、という風に頷いた麻美の目線がテレビに移った。今は星座占いが流れているが、ここ最近は魔法少女のニュースで持ち切りだ。そうなると麻美は変えようとするが瑛子はそのままにしてほしいと言っていたのだ。
麻美は瑛子の肩をぽんぽんと軽くたたいた。
「あんんまり気にするなよ。アニメじゃないんだ、現実になると話も違うよ」
「……こんなの嫌だよ」
ぼやく瑛子の頭を、麻美が少し乱暴な手つきで撫でる。
わわっと悲鳴を上げる瑛子に、麻美は笑った。
「今日はなんか食いに行くか。何がいい?」
「なんでも……麻美さんの好きなのでいいよ」
「またお前はそうやって……んじゃ寿司にするか」
適当な調子で言って、最後に瑛子の頭をもう一撫でする。
「行ってくる。洗い物は放っておいていいから」
「やっておくって。行ってらっしゃい」
仕事に出る麻美を見送ると、背後から声があった。
「瑛子」
「うん、大丈夫。わたしはわたしにできることをするだけだから」
振り替えないまま答えて、拳をぎゅっと握る。
魔法少女としてできることを、ただやるしかない。
その日の放課後、いつもの場所で訓練をしていた瑛子は、ヒューガに止められる前に自主的に訓練を切り上げた。
寿司を食べに行くという麻美に会いに行くのでとれる時間がいつもより短いというのもあるが、もっと単純な問題だった。
要は、集中しきれていないことに自分でも気づいたというだけだが。
瑛子の椅子として指定席になっている大きい石に腰かけて、スマートフォンを取り出して魔法少女に関する話題を検索する。
もともとやっていたことだが、見える情報は旅客機の件から様変わりしていた。
これまではかなり雑多で、魔法少女の目撃情報や、応援する声、批判する声、普通にアニメの話が引っかかることも多い。ここ最近では魔法少女の話題を上げる人も少なくなっていたこともあって、こんな情報集めもすぐに終わってしまっていた。
それが今は、魔法少女を批判する声で埋め尽くされている。
SNSを見ても複数のアカウントが継続的に魔法少女が人を殺す存在であることを訴えている。それに反応する人も少なからずいて、激しい盛り上がりを見せていた。
もう一つ、魔法少女が批判されている要素がある。
「ヒューガ、これ」
「なに?」
ヒューガに見えるように傾けたスマートフォンの画面には、怪物の出現に魔法少女が現れなかったことに関する記事が写っている。
この数日で日本に表れた怪物に魔法少女が対処しない事態が少なくとも三件発生している。これにより批判の声は更に大きくなっていた。旅客機を乗客ごと攻撃した魔法少女の仲間は批判を恐れて怪物と戦うこともやめてしまったとまことしやかに囁かれている。
ヒューガは眉をしかめて、
「だいぶひどくなってるわね」
「うん……なんで戦わないんだろう」
「そうね……」
「ねえ、ヒューガ。会いに行ったらダメかな」
「会いにって……魔法少女に?」
「うん、会って話ができれば……」
「ダメ」
硬い声で拒絶されて、むっとして言い返す。
「なんで? 探せば見つけられるかもしれないし、リスクがあるのはそうだけど、こういう時ぐらい動かないと……」
「会って話して、どうするの?」
「話せばわかってくれるかも……」
「そんなわけないでしょう」
「なんで!?」
言下に否定されて、苛立ちが大きくなってそのまま口から出た。
「魔法少女は悪く言われるようなものじゃないんだよ。他の魔法少女と話をすれば、絶対になんとかなるよ!」
「私なりに、この世界のことは少し勉強した。それとは別にしても、瑛子一人で何かを変えられるなんて思わない」
「……なんでそんなこと言うの? わたしが信用できない?」
「違うわ」
ヒューガが空中をすべるようにして近づいてくる。負けるもんか、という意地で瑛子も前のめりになる。
「あなたのことは信用したい。相棒として大事でもある。だから瑛子も私のことを信用して欲しいわ」
「…………」
言い返したいのに言葉が出てないのがひどくもどかしい。
気持ちはある。それでもヒューガを説得するための言葉が見つからない。見つからない理由もわかってしまう。ただ意地になっているだけだ。瑛子も内心では他の魔法少女を探したところで何も解決しないことはわかっている。
でも、それを認めたくはない。
憧れた魔法少女は、そんなに弱いものではないはずだ。
お互いに沈黙したままにらみ合う形でいると、不意にヒューガがぴくりと耳を動かした。
ヒューガはわずかに逡巡したようだったが、瑛子はもう何を言うのかわかっていた。
「怪物が出たわ」
「行く」
食い気味に答え、地を蹴って空に飛び出した。
魔法少女として、できることはやりとげる。
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