58話 戸塚みい⑪

 昔からあきらめの良い子供だった。

 これはみいが自覚していることでもあるし、よく言われてきたことでもあった。

 父にではない。母がみいによく「あんたは諦めがいいね」と言ってきたのだ。どういう意味で言っていたのかはもうわからないが、いい、という部分で褒められているのだと幼いみいは受け取っていた。

 他の子供がやるようなわがままを言わない。他の子がもっているものを欲しがったりしない。みいのそういう振る舞いに母は「諦めがいいね」と笑っていた。

 父はみいになにかと好きなものを買ってあげると言っていたのだが、母の言葉が浮かんでしまい断ることが多かった。

 母がみいを縛った言葉だと思ったこともあったが、きっと違うと今ならわかる。みいはもともと諦めが良いタイプの人間だったというだけだ。

 普通にすれば大概のことは人並みにはできる。それ以上は求めずに生きているだけで、みいにとっての平穏を過ごせた。

 みいの平穏を良い意味で乱すのは父だけだ。ファザコンと言われるとすっきりしない気持ちにはなるが、父が好きなのは事実だ。

 父に関することだけは諦めがいいとは言えなかった。父の自慢の娘になって少しでも楽になってほしいと思えば、今までしてこなかった背伸びも苦ではない。

 魔法少女になる話を受けたのだって、父のためになるかもしれないと思ったからだ。願いの力を父のために使えば、もっと父を助けられる。

 魔法少女としての力は、そんなみいの気持ちを嫌にも浮つかせた。アニメの世界にしかないと思っていた魔法はみいに万能感を与えたのだ。

 魔法でなんでもできるわけではないというのはさすがにわかっていたが、できる範囲が広がったことに喜びを覚えた。あまり自分のことを話さないみいだが、ふとしたときに友達に話したいと思うことすらあったのだ。

 だから、玲の時はなんとかできると思った。魔法少女としての力があれば、玲を助けていつもの日常を送れると信じた。

 何も功を奏しない現実は、みいの諦めの良さを引き起こした。魔法少女だからって、小学生の女の子には何もできない。

 だから、玲のことはどうしようもないことだと受け入れようとした。

 むしろ、みいが怖かったのは――


「魔法少女って空を飛べるんだよ。魔力を武器にもできるし、私はものを消し去ることだってできる」

「う、うん……」

「そんなことができても、玲を助けられなかった。人を助ける役になんて立たないんだよ」


 魔法少女として怪物を斃すことはできる。だからといって、個人の助けになれるわけではない。

 一度浮かんできた万能感はあっけなく砕け、みいは現実を受け入れた。

 路はじっとみいを見つめたまま、何かを考えているようだった。みいも見返してはいたが、路を見ていたわけではなかった。というより、ほとんどぼーっとしていた。

 ややあって、路は重たい口を開いた。


「わたしが魔法少女だったらって、何度も考えたよ。玲を助けられたかもしれない未来を、何度も考えた。魔法少女が近くの誰かだったら、なんとかして欲しいって何度も何度も想像した」

「……で?」

「みいは本気じゃなかったんじゃないの?」

「は……?」

「もっと本気で、玲のことを一番に考えてくれたらなんとかできたんじゃないの? みいは出来なかった言い訳ばっかりで自分は悪くないって言ってるみたいだよ」

「そんなこと言ってないよ」

「じゃあ玲を助けてよ!」


 路は泣き出しそうな勢いで叫んだ。


「魔法少女でもできないことがあるのかもしれないけど、玲のことだけは助けてよ! みいにとって玲は簡単に諦められるていどの存在だったってことなの!?」

「いい加減にしろ!」


 さすがに頭にきて、路の口をふさぎながらベッドに押し倒す。

 もごもごと抵抗する路をおさえつけたまま、低い声で囁く。


「好き勝手言ってくれるよね……路は自分が何もできなかったからって八つ当たりしてるだけでしょうが。自分を責めるのが嫌だからわかりやすく周りだけ責めて、他の子もあんたにはうんざりしてるよ。いい加減に現実を見ろ、玲はもういないんだから」


 言い聞かせるようにしながら、怒りがどんどん煮えたぎってくる。

 何もわかってないくせに人を責める口だけは達者で、好き勝手わめく子供。そんな子供が、大嫌いだ。

 路がばたばた暴れて、おさえきれなくなってきた。バランスを崩して、今度はみいが下になってしまう。

 解放された路が感情のまま喚く。


「そんなの言われなくてもわかってるよ! わたしが一番玲を好きで、守ろうとしてたもん! それでダメだったんだからわたしが一番役立たずだったんだよ!」


 泣きわめく路の涙が下にいるみいの顔に落ちてくる。

 ひどいを顔をしていた。ぐちゃぐちゃになって泣いている路は、誰にでもなく喚き続ける。


「みいが守ってくれればよかったんだよ! 魔法少女なんだからわたしができないこともできるじゃんか。だったらやってよ!」

「だから……」


 言い返そうとして、路の表情に諦める。

 見ていられなくなって、路の頭を掴んでぐいと引き寄せた。ベッドに路の顔面を落とし、抱き合うような形になる。

 路はもうただ泣いているだけだったが、ベッドに顔を押し付けているおかげで少しは静かになった。こっそり嘆息して、路の背中を叩く。

 子供のように言いたいことを言ってあげく泣き出す。普段のみいなら冷たい目で突き放して終わりにしたいような振る舞いだが、不思議とできなかった。

 今更ながら、路の玲への想いの強さを感じさせれた。グループ内でも特に仲が良いなと思っていた二人だったが、ここまで強いものがあるのは意外だった。

 まるで、みいが父を想うように路は玲のことを想っているような。


(……それなら、少しはわかるかもしれない)


 苦々しく認めて、路の背中を撫でる。

 父に聞こえているのかはわからないが、部屋の様子を見に来てはいないようだ。たぶん。

 路の泣き声が小さくなっていく。落ち着いてきたかな、と「起きて」と顔を覗く。

 顔を上げた路の顔はぐちゃぐちゃのままで軽く引いた。シーツがたっぷり濡れているのも見えて、軽くイラっともきた。

 それでもまあいいかと苦笑して、路を助け起こす。


「なんかさ、わかったよ」

「な、なにが……?」


 泣き声交じりの路に話にならなそうだとティッデュを渡す。

 一通り拭かせてたから、続きを話す。


「あんたは玲が好きだったんだね」

「?」


 路が不思議そうに小首を傾げる。当たり前のこと過ぎて疑問に思わないような仕草に、苦笑をなんとか隠す。


「……私は路ほど玲に真剣じゃなかったかもしれない」

「どゆこと?」


 てっきり怒るかと身構えるのだが、泣いた声で訊き返してくるだけだった。

 こういう態度なら可愛げがあるのにと思ったが、泣かれると鬱陶しいな思い直す。


「玲は友達だったよ。好きと言えば好き。でもたぶん路ほどの強さはなかった。私が一番好きな人は別にいるから、もしその人が玲と同じことになってたらあんたみたいになってた」

「……ひどい」

「ひどいか」


 力無い責めに、適当に返す。路自身本気で言っているわけでもなさそうだったので、みいも適当な調子になってしまった。

 路はまだすべてに納得できていないのだろう。小学六年生は大人が言うほど子供ではないとみいは主張したいが、まったく子供ではないとはさすが言い張れない。

 納得するしかないものを納得できないのは、みいだってわかる。

 路にイラついてばかりだったのに、こうして話すと共通点が何個も出てくる。

 二人とも子供で、できることなんてほとんどない。

 二人とも大事な人がいて、その人のためならきっとなんだってできる。

 違うところは、大事な人が今そばにいるかいないかだ。

 路の子供っぽいところは嫌いだが、許せるような気がしてきた。大事な人がいなくなったら、みいも路のようになってしまうかもしれない。玲が乳だったら、みいだってもっとなりふり構わなかっただろう。


「怪物を見逃したことあったでしょ」

「うん……?」

「スーパーのところに出たとき。私が行かなかったやつ」

「あった、ね?」


 路はまだしゃくりあげながら話をしている。いい加減落ち着いてもよさそうなものだと目を細めつつ続ける。


「あれさ、わざと行かなかったんだ。旅客機のことがあって、魔法少女が槍玉にあげられてたからやめた方がいいと思ってさ」

「……自分勝手だよ、怪我する人とか、出ちゃうし」

「そうだね。でも私はお父さんの方が大事だから。もし私が魔法少女ってバレるようなことになったら? お父さんに迷惑がかかる。魔法少女認定されてどうなるのかは、私たちはよく知ってるから」


 自分可愛さなのは認める。みいが戦わないことで、他の人が大変な目に遭ってしまうのかもしれない。

 だからなんだ。はっきり言えば、玲のようになりたくなかった。みいと父親の平穏な暮らしは、誰にだって邪魔させない。

 開き直ってしまえば少しスッキリしてしまう。父のためという軸がブレはしなくても、色々と言い訳を重ねてきたような気がする。


「前から思ってたけど、なんでそんなにお父さん好きなの?」

「父親を好きっておかしい?」

「……おかしくはないけど」


 路がいまいち納得いかなそうにうめく。

 みいとしては家族を好きと言って微妙な反応をされる方が納得がいかないが。すべての家族がそうだなんて絶対に思わないけれど、一番大事な人が家族なのはそんなに変だろうか。


「とにかく、私はお父さんが第一なんだよ。玲の時は私なりに必死だったけど、どこかお父さんのことは頭にあったと思う。迷惑がかかるようなことだけはあっちゃいけないって」

「みいがお父さん大好きなのはわかったけど……わたしだったら嫌かも」

「嫌ってなにが?」

「みいが魔法少女なのはお父さんは知らないとしても、人を助けられるのに助けないのは、なんか……嫌な気がする」

「玲のことは……」

「わかってるよ。わたしが言いたいのは、スーパーの時とかのことだよ」

「…………」


 指摘に瞬きをして、考え込む。痛いところを突かれたと気づいて、痛痒が顔にも出た。

 父の理想の娘でいることが、みいの目標だ。何かが秀でていなくてもいい、家事をこなし、父が居やすい空間を作ることができればそれでよかった。褒美は撫でてくれるだけでいい。

 父に迷惑をかけたくないというのは嘘ではない。が、自分がしてきたこと、いや、してこなかったことを父に話すことはできない。魔法少女であることを隠しているのはもちろんだが、父がどういう反応をするかが怖いからだ。

 父のためではあるが、みいが父の理想の娘で居続けるための誤魔化しがそこにはある。

 路に気づかされたのは癪だが、その誤魔化しはうすうすと気付いていて無視してきたことだ。

 路にこうやって話せたことは、父には話せない。


「大丈夫、わたしは黙ってるから。お父さんにはバレないよ」

「うん……」

「いいよね、みいは。毎日お父さんに会えるから」

「言いたいことがあるなら言えよ」


 含めを持たせるような言い方に焦れて促すと、路はむっとしたように言い返してきた。


「ずるい」

「なんだよそれ……」

「わたしは魔法少女じゃないし、できることなんてほとんど無かったけど玲のために本気で頑張ったし、玲に後ろめたいことなんてない。みいみたいに大事な人に隠し事してないし」

「路が魔法少女だったら玲に言った?」

「……言うと思う」

(言いそうだな……)


 反論が不発に終わって、ため息を吐く。

 父に魔法少女であることを白状するのは検討すらしたことはない。路が色々言ってきても、それは変わらない。

 路は色々とむき出しすぎる。玲に対してもだが、周りに構わずむき出しのまま言いたいことをわめき続けていた。魔法少女うんぬんを抜きにしても、みいには決してできないことだ。

 うらやましいかは微妙なところだった。タイプが違うと言ってしまえばそれまでだが、それで済ませるには惜しい気がする。

 経緯はどうあれ魔法少女であることを、多少なりとも自分の本音を人に話せたのは、ひょっとしたら初めてだったかもしれない。

 最初は路を消そうかともよぎったが、自分を魔法少女だと知っている相手と話すのは、思ったより軽い気持ちになれた。

 路はそんなみいにも構わずにぐちぐちとつぶやく。


「みいばっかり大事な人に会えるの、ずるいよ」

「だったら玲に会わせるよ」


 売り言葉に買い言葉で、勢いで発した言葉だった。

 自分でも何を言ったのかの理解に数秒を要した。路も同じだったようで、目をぱちくりとさせていた。

 発言したみいの方が早く正気に戻った。考えてみると、それが一番いいような気がしてくる。

 勢い任せに、路に続ける。


「玲を探して、あんたに会わせる。会いたいんでしょ?」

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