56話 戸塚みい⑨

 それから二週間の間に怪物が三度出現した。みいはその全てに駆け付け、怪物を斃していった。

 今までには考えられなかったペースでの出現は明らかにおかしかったが、みいはその疑問を意図的に無視した。

 願いの力が手に入るようになり、父の疲労を癒すことに使った。しかしそれでみいの心が晴れるということもなく、逆に少しずつ重たい何かが積もっていくような感覚があった。

 魔法少女が活動し始めたことで、路は勢いづいて正体探しに奔走するようになった。みいは適当にネットで見た情報を話すだけで協力している体を装っていたが、内心ではうんざりしていた。

 グループの空気もどこかよどんだものを感じるようになった。路がはしゃいでいるのを差し引いても、魔法少女の存在が玲のことを思い出させているかのようだった。

 これはたぶん考えすぎなだけのはずだ。玲のことがあった直後もみいは魔法少女をやっていたので、状況だけを見るならその時とそうは変わらない。今になってそんな風に感じるのは、みいの方に問題があるからだ。

 すべてが無駄に思えた。怪物を斃すことも、路が魔法少女を探していることも、なにもかも。

 無駄に思うのは、結局のところ何も変わらないからだ。みいや他の人が何をしたところで、人ひとり救えやしない。

 心が安らぐのは、父といるときだけだった。身の回りの家族のことぐらいしかみいには考えられない。それ以上は、きっと手に余る。

 それでも、魔法少女を続けている。父に願いの力を使うためと自分に言い聞かせていても、奥底に溜まる疲労感に疑問が消えない。

 この頃、すべてを話したいと思うことがある。だが魔法少女のことを話せる相手なんていない。路は問題外だし、父にもこんなことは話せない。どんな反応がくるのは想像するだけで身がすくむ。デュベルはそういった相手にはならない。


(魔法少女の仲間でもいれば話せるのかな……)


 内心のつぶやきに自嘲して、ゆっくりとかぶりを振る。

 やはり疲れている。もともとみいは友達付き合いもそこそこに家にいるのが好きなだけの小学生だ。家事も面倒で正直好きではない。好きな音楽を聴きながらでもないとやってられない。それでも続けているのは、父のためと思えるからだ。家族が好きだから、面倒ごとでも苦に思わずにやってこれている。

 何もかも放り投げたいと思う。父のこと、家のことだけを考え、空いた時間はインターネットで音楽をあさるだけの日常に戻ればどれだけ楽かしれない。

 それなのに、みいは魔法少女を続けている。

 自分を制御できない感覚に、ひどい苛立ちを感じる。

 これではまるで、路と同じだ。


☆☆☆


 デュベルの言葉に、みいは反射的に苛立ちを声に出してしまった。


「あ!?」


 その結果は、話していた父親の困惑をもたらした。


「……みい、どうした?」

「え、ううん。なんでもない……」


 気まずくごまかして、デュベルに視線を向ける。

 黒い蟹は何も気にした様子もなく、同じ言葉を繰り返した。


「出たぞ」


 だからなに、と言いたいのを我慢して立ち上がる。

 歩き出そうとして、そんな自分に驚き座り込んだ。


(行くつもり?)


 自問して、ありえないと否定する。

 土曜日の今日は、父親と過ごせる日だ。みいの貴重な癒しの時間であり、無駄にするなんてありえない。

 最近は怪物を討伐していたが、だからといって毎回行く必要なんてない。

 大事な人といる時間を優先する方が、きっとみいにとっても良いことのはずだ。

 心中でぺらぺらと言い訳が浮かんできて、かえって気持ちが重たくなった。

 こんなことばっかりだ。もっと、悩まずに良い方向に判断ができたらいいのに。


「別に遠慮しなくてもいいんだぞ」

「……なにが?」

「休みの日まで父さんといなくても、遊びに行っていいんだから」

「……私はお父さんといるのが好きだから」


 父の無理解に不機嫌に応じる。

 不機嫌にはなったが、心は少し楽になった。父を好きなのは本当で、それを口にすることはなにも難しくない。心からそう思っていることを口にするのは、ひどく楽だ。

 やっぱり怪物は無視してこのまま父に甘えていようと決め込むのだが、父の表情には微妙な陰があるままだ。


「何度も言ってるけど、私は好きでこうしてる。お父さんは……」


 言いながら思いつきがあって、ぴたと言葉を止める。

 恐る恐るといった心地で、そっと訊ねる。


「もしかして、お父さんは一人がいい?」

「いや、そんなことは……」


 困った様子の父を目を細くして観察する。

 思えば父の仕事以外の時間はおおむねみいと一緒だった。みいにとっては嬉しいことなのであまり気にしてこなかったが、なにかとみいに遊びに行くように促す父はなにか別の魂胆があるのではないだろうか。

 もしかして……


「お父さん、彼女いる?」

「は!? い、いないぞそんなの」

「本当?」


 じーっと見つめていても、父の困惑が大きくなるだけだった。

 たぶん、嘘ではない……と思うが断言はできない。

 父は少し落ち着きを取り戻して、微妙そうに訊いてくる。


「みいはどうなんだ?」

「どうって?」

「お母さんが欲しいとか、そういうの……」


 語尾が消え入るのを聞きながら、やっぱり黒か? とまなじりを深くする。

 父の伺うような視線を受けて、どう答えるべきか考える。


(そんなの、死んでもいらないけど……)


 この家には父と自分だけがいればいい。他の異物の存在なんて想像もしたくない。

 みいを気遣って訊いているのかもしれないが、父にそういう存在ができているか、気になる人でもいるのかもしれない。


「考えたことないけど、お父さんが結婚したいならいいよ」

「……そうか。相手はいないけどな」


 苦笑する父に、小さく頷く。

 これでいいはずだ。父とずっと二人でいたいが、あまり聞き分けのないことも言いたくない。

 父にとって、良い娘でいないと。


(……もし本当に連れてきたら、消してやるかもしれないけど)


 内心のつぶやきに、自分自身であれ、と引いた。

 そんなことをしたらいくらなんでも問題になるし、冗談でも思うべきことではない。

 父といるのに、急に心が重たく沈んでいく。

 サンドバッグを叩きたい。やり場のない気持ちは、何かにぶつけるに限る。


(……もっと、いいものがあるな)


 サンドバッグよりも、ぶつけがいのあるものが今はある。


「買い物行ってくるね。何か欲しいものある?」

「それなら一緒に行こう」

「え、あ……一人で行くよ」

「そ、そうか……?」


 ぎくしゃくした応答に気まずい空気が流れる。

 笑ってみようとしたがうまくいかず、逃げるようにして支度をして家を出た。

 思っていることとやっていることがめちゃくちゃだ。父といるのにどうしてこんなに気持ちがささくれたってしまうのだろうか。


「むかつく……」


 独りごちて、庭に向かう。家の中で変身するわけにはいかないので、ここでやるしかない。

 父と一緒にいられる日をこんな風に使ってなんになるというんだろう。怪物に八つ当たりしたところで、なにか意味があるとは思えない。

 父に女がいるかもと思うとやっぱり平静ではいられない。魔法少女をやってなかったとしても、気持ちを落ち着けるために一度買い物には行っていたはずだ。

 だから、こうしてる自分はいつも通りで、間違ってない。


「……ちっ」


 舌打ちをして、変身を行う。

 渦巻く苛立ちを払うため、地面を蹴って全力で宙に飛び上がった。


☆☆☆


「……早く帰らなきゃ」


 飛行しながらスマートフォンを確認すると、父から「早く帰ってきなさい」というメッセージが表示されていた。怪物の出現情報がSNSにでも出たのだろう。場所的にも心配はいらないところだったが、父の率直な心配はくすぐったくもあるが嬉しさが勝る。

 適当なところで変身を解除して買い物自体はするつもりだったが、途中でメッセージを受け取って帰ったことにしようと決める。

 路からも着信があった。戦闘中なので出ることができず、「何?」とだけ送ったがそれ以上の返答はなかった。まあこっちはどうでもいい。

 怪物と戦ったことで、多少心は晴れていた。これなら父と普通に話せそうだ。

 自宅の庭に着地する。さっさと変身を解いて、父に会いたい。


「みい」

「なに?」


 デュベルが呼びかけてくるのを珍しいなと思いながら変身を解く。

 横に浮かぶ黒い蟹は呼びかけたきり何も言ってこない。不審に思い目線を向けても、いつもの沈黙が返ってくるだけだ。


「なんなの……」

「みい?」


 今度の呼び声は、背後からだった。

 さっと血の気が引いて、動けなくなる。様々な感情が一瞬であふれたが、一番大きかったのは自分への叱責だった。

 数秒して、すとんと肩の力が抜けた。諦めて、ゆっくりと振り返る。


「……路」

「今……上から降ってきて……」


 信じられない、という顔に路を見て頭によぎったのは。


(……消す?)


 無意識に手のひらに魔力を集めていることを自覚して、反対側の手でおさえる。

 腹の底からふつふつと笑いの衝動が昇ってくる。いっそ笑い出したいのをどうにかおさえこんで、路に告げる。


「そうだよ。魔法少女は私。ようやく会えたね」

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