55話 戸塚みい⑧
吉本玲は、かつて同じグループにいた友人だ。
穏やかででしゃばることをせず、あまり話さずにこにこしているような子だった。本が好きで、鞄にはいつも図書室から借りた本が入っていた。教室ではそれを読んでいる姿もたびたび見かけた。
グループはみんな玲のことが好きだった。どちらかといえばマスコットのような可愛がり方だったが、ときおり話す一言が妙に場にマッチすることがあり面白かったのだ。たまに二人で話すとなんでだか話しやすくて、みいも玲と話すのは好きだった。特に路は傍から見ても玲を好きで、一緒にいる姿をよくみかけた。登校中に二人が話しているのを見ると、入りにくい雰囲気を感じたものだ。
玲は魔法少女を好きらしかった。はっきりと聞いたことはないけれど、グループで魔法少女の話題になると(魔法少女が出始めたときはこの話題が途切れることがなかった)いつもはうつむきがちな玲も目を輝かせて聞いていた。
そんな玲が魔法少女であるという噂が駆け巡ったのは、みいが魔法少女になって少しした時だ。ある動画が原因だった。
SNSに投稿されたその動画は、怪物との戦闘後に物影から玲が出てくるというものだった。怪物と戦っていたのはもちろんみいだが、みいが飛び去って画面から見切れて少ししてきょろきょろした玲が出てきていた。これだけで玲が魔法少女だと言えるわけがないと高をくくっていたが、事態はみいの予想を越えて大きくなってしまった。
翌日には玲が魔法少女であると断言された書き込みが激増していた。クラスメイトは好機の目線を隠さずに向けてきて、路が怒りをあらわにそれから守っていた。
グループ内では一応の確認があったが、玲はきっぱりと自分は魔法少女ではないと言った。みいも一応それを確かめた。変身した状態で玲の後を尾けたが、認識阻害のみいを見えていないようだった。
ついでに確認できたのは、玲に危険が迫っているということだった。
SNSには当初例の動画が拡散されているだけだったが、どこかの誰かが玲のフルネームと学校名を書き込んでいたのだ。書き込み自体はすぐに消えたが、そんなことをしても意味がないのはみいにもわかった。
どうやって調べたのか住所も明らかになったようで、見知らぬ人物が不意に玲に話しかけてくるようにもなっていた。
危機感を訴えたのは、路だった。
玲が魔法少女ではないのだから、みんなで守るべきだと主張した。
玲は遠慮して何も言わず、というか路のことを止めていたのだが、みんなは二つ返事で玲を守ろうと決めた。
そんな決意は一日で終わりを告げることになった。
その日のうちに玲とグループのみんなでいるところの写真が流れた。魔法少女とその仲間たち、とコメント付きの写真は全員に玲を諦めさせるには十分すぎる打撃だった。
幸いにも玲以外の個人情報がさらされることはなかった。見る人の興味は玲にしかなかったようで、グループの全員は安心してそして玲を見捨てた。
こうして玲はあっという間にグループからも外された。路は怒り狂ったが、誰も相手にしなかった。
みいもはっきりと線を引く態度を示した。玲には悪いが、インターネットで個人情報を晒されるとどうなるのかを目の前でまざまざと見せつけられてはグループの態度も仕方ないと思う。それを責めることは、みいにはできなかった。
インターネット上で顔を出すことのリスクは知ってはいても誰もそこまで気にしていない。だが、悪意を持ったたくさんの人物にかかるとこうなってしまうという実例は小学生を恐怖させるには十分すぎた。みいだって想像するだけで身が震えた。
かといって、みいは見捨てたわけではなかった。戸塚みいとしてできることはなかったが、魔法少女としてならやりようとあると行動した。
玲が魔法少女と疑われているなら、そうでないという証拠を示せばいい。簡単なことで、魔法少女と玲を同時に目撃させればそれで済むと思った。
事前に玲にも怪物が出たら外に出てて欲しいと伝えた。その間に魔法少女が出れば玲が無関係だとわかると説得して、もちろん怪物はみいが斃した。
結果から言えば、失敗だった。
みいが戦っても仲間の魔法少女だと言われたり、魔法を使えばできるトリックだの言われて誰も玲が魔法少女ではないと信じなかった。みいから見れば荒唐無稽な説でも、魔法を知らない人たちからすれば魔法ですべて済んでしまうのだろう。
悔しさに歯噛みする日々を過ごした。玲を付け回す何も知らない野次馬たちも、解決することすらできない自分も腹立たしくて仕方なかった。
願いをかなえるという願いの力だって、万能には程遠い。他人にかけるには必要量が桁違いになってしまうので、たとえば玲を忘れさせることはできない。玲に関する書き込みを消すことはできたが、すぐに別の書き込みが出てくるので意味がなかった(不自然な書き込みの削除はむしろ逆効果だった)。
路は玲にひっつくようにしていたが、玲が学校に来なくなってしまってからはそれもできなくなった。しつこく接触してくるような人はさすがに減っていき、続報のない状態が続くとインターネット上での騒ぎは収まってきていた。が、一部の人間はしつこく玲のことを話題にし続けた。
そしてすぐに担任教師が玲の転校を告げ、全ては終わった。
帰りは路を避けて一人でそさくさと家路についた。
家の中に入ると、ため込んだものをすべて吐き出すようにため息する。
「……ちっ」
舌打ちが漏れる。路のせいで、色々と思い出してしまった。
いや、思い出すというのは正確ではない。玲のことを忘れたことなどない。
玲の転校により、元の生活が戻った。路は結局グループに合流し、みんな何も言わずに元通りに接するようになった。
元通りではなくなったことは、玲のことをまったく話題にしなくなったことだ。
玲のことは、みんなにとって少なからず傷になって残った。助けたい、とはみんなが思っていたはずだ。けれど結局は何もできずに玲はいなくなった。
路はずっと怒っている。みんなが玲を見捨てたことを。玲を助けられなかったことを。
何もできなかったのは路も一緒なのに。
「……私もそうなんだけどね」
自嘲気味にうめく。
自室に入り、パソコンを起動させる。検索サイトを開いて、吉本玲の名前を検索にかける。
ずらっと出てきたのは、玲が魔法少女であるという推測が並んだものだ。騒ぎの当初に作られたもので、更新なんてとっくに止まっているものばかりだ。
玲が転校してどこに行ったのかは、まったく情報がなかった。下火になりつつあったこともあったせいか、玲がいなくなったことで完全に終息してしまった。どこに行ったとしても目撃情報が一つもないのは不自然に思えたが、誰ももう興味がないのかあるいは海外にでも行ったのかもしれない。
何度も忘れようとしたが、玲のことは決して忘れることはできなかった。何もできなかった後悔と、ひょっとしたら自分に降りかかったかもしれない悪意に。
魔法少女だと誤解された玲を見て、自分がああなっていた可能性を考えないわけにはいかなかった。ああなったら父にもひどい迷惑をかけてしまう。
よほどのバカをやらない限り魔法少女であることがバレるわけがない。わかっているのに、怖いという思いは消えてなくならない。
旅客機の件があってからは魔法少女というだけで弾圧を受けかねない。そういったことも考えて、みいは魔法少女をやめたのだ。
何もできなかった魔法少女は、本当に何もしないことにした。
魔法少女だからって、助けたい人を助けられるわけもないのだから。
「……なのに、無駄なことして」
頭に浮かぶのは、先日の戦闘だ。
父を助けようとしたはいいもののその父もいないのに戦ってしまった。それで何かが変わるわけでもない。玲のことを助けられなかった事実は消えない。怪物はどうせ勝手に消えるし、なにをしても意味なんてない。
サンドバッグを前にして、体が動かなかった。いつもなら何も考えずに蹴り飛ばすのに。
細い息を吐く。いつもの調子が出てこない。路のせいだ、と内心で毒つく。
玲のことは忘れられないなりに心の奥底に押し込めていた。路が勝手にみいを仲間にしようとしてほじくり返すからいつまでも傷口を広げられる。
それに。
(……バレたわけじゃないだろうけど)
みいが魔法少女だと路はつぶやいていた。
どうしてそんな結論になったのかはわからないが、どうせいつもの短絡思考によるものだろう。証拠はないし、本気で言ったわけでもないはずだ。
いっそ、言ってしまおうかと思う。自分こそが魔法少女であると。
サンドバッグをぽすんと叩く。
どうにも考えが変な方向に行ってしまう。サンドバッグを叩けば消えるはずのストレスも消える気配がない。
もっと、派手に暴れ――
「出たぞ」
不意のデュベルの声に、特に驚くことなく聞き返す。
「どこ?」
「向こうだ」
デュベルの示した方向は、父の会社の反対方向だった。
それならどうでもいいと、サンドバッグに構えなおして蹴りを叩き込む。
気の抜けた音がして、イライラと足を下ろす。
「……ちっ」
舌打ちとともに変身する。変身すると同時にあふれる高揚感に任せて、家を飛び出した。
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