52話 戸塚みい⑤

 家の外に飛び出してから、周囲をきょろきょろと見渡して庭へと入っていく。

 人の姿は見えなかったがだからといって人通りのあるところで変身するわけにはいかない。家の中で変身すればよかっただけの話だが、つい飛び出してしまった。

 戸塚家の庭は、控えめに言ってもひどい有様だ。魔法少女になったことで庭掃除を行う時間がとれず、雑草は好き放題に伸びてしまっている。父は別にそのままでいいと言ったのでみいもそれに甘えてしまった結果がこれだ。

 とはいえ、今この瞬間だけは都合がいい。小学生のみいならかがめば見えなくなるぐらいには荒れた庭だ。それに周囲は家に囲まれていて視認性は極めて悪いので、こっそり変身したところで見られる心配はない。

 デュベルに指示をして変身を果たす。力が満ち溢れる感覚に伴う高揚を意思の力で抑えて、地面を蹴って宙へ踏み出した。

 久しぶりの飛行に不安がないといえばウソになったが、身体が感覚を覚えていた。家の高さを越えるほどに浮遊し、目的の方角へ一気に駆ける。

 飛行の訓練で重視したのはコントロールだった。スピードは一定のところから上がっていく感触がまるでなかったので、それならばとコントロールを重視して実際に成果も出ていた。

 今はそんな訓練をしていた自分をぶん殴りたくなっていた。一秒でも早く駆け付けたいのに、このスピードではまだかかりそうだ。

 もっとスピードを、と祈っても当たり前に変わらない。焦燥感だけが高まっていき、舌打ちが漏れた。

 傍らのデュベルはやはり何も言わない。わざわざ怪物のことを繰り返し言ってきたことも彼らしくはないが、聞き流せば後悔すると思ってのことなのかもしれない。


(……ムカつく)


 何に、というでもなく内心でうめく。

 スマートフォンを取り出し、父へメッセージを送る。まず最初にするべきことのはずなのに頭から飛んでいた。動揺している、と自覚したところで消えるわけでもない。

 現場に到着する。駅に近い、賑わっている通りだ。人通りも多いこの辺りは、グループの面子が遊びに行ったりしているらしい。

 が、今はパニックの様相を呈していた。空から見下ろした位置にいる人々は、悲鳴を上げながら逃げるように駅へと走っていく。その中に目を走らせて、目当ての人物を口にする。


「お父さん……っ」


 怪物が出たのは、父が働く会社の辺りだった。

 父の姿は見つからない。それならば、と人々が逃げる方向から逆算して怪物を確かめに向かう。

 怪物はすぐに見つかった。それほど高くないビルの壁面にトカゲのような怪物が張り付いている。大きさは人間の大人よりやや大きいぐらいだろうか。

 近くのビルの屋上に立って改めて怪物を観察する。生理的な嫌悪感がこみ上げて、視線を下に向けた。

 逃げていった人とは対照的に、少なくないやじ馬が怪物を見上げている。舌打ちして、一応父親を探す。こんなのに混ざっててほしくないなというみいの希望は叶い、父の姿は見つからなかった。

 見ているうちに警察官がやってきた。やじ馬に避難するように言っているのだろう。みいからすればやじ馬がどうなっても自業自得だと思うが。

 スマートフォンが震え、慌てて画面を表示させる。父からのメッセージで、既に会社から避難して今から帰宅するというものだった。

 心の底から安堵して、その場にしゃがみこむ。


「良かった……」


 楽になった気持ちとともに立ち上がる。父の無事さえわかれば、もうこんなところに用はない。警察官がやじ馬をちゃんと避難させれば、被害も出ないだろう。

 と、下からざわめきが聞こえた。

 壁に張り付いているトカゲの怪物がうねうねと体をくねらせている。うげ、と顔をしかめるみいの視界で、やじ馬と警察官が戸惑いながら怪物を見上げている。


「いいから逃げろって……」


 みいのつぶやきの途中で、トカゲの怪物がぐっと身を縮めた。

 猛烈に発生した嫌な予感に、考える前に屋上から飛び降りる。

 トカゲの怪物は爬虫類らしからぬ動きで(爬虫類が実際にどんな動きをするのかはよくは知らないが)空中に躍り出た。そのまま飛びそうな勢いだったがもちろんそんなわけもなく、重力に従って落ちていく。

 やじ馬が集まる道路へと。


「止ま、れっ!」


 トカゲの怪物のしっぽを両手で思い切り掴む。持ち上げようとするのだが思った以上に重さがあり、地面に落ちていくのを止められない。

 持ち上げるのは諦めて、人がいないところへ落ちるように引っ張る。

 ほとんど投げるようにして腕を振る。トカゲの怪物はやや斜めに落下していき、無人の道路に着地した。

 やじ馬は悲鳴をあげながら、みいを認めて指をさし叫んだ。


「魔法少女だ!」


 慌てたせいで認識阻害が浅くなった。叫びだしたい衝動をどうにかこらえて、拳を握る。

 トカゲの怪物はみいを見上げている。これまでの経験から、怪物は魔法少女がいれば他の者にはあまり目をくれない。だが距離を取りすぎると途端にそこらの人を攻撃し始める。まるで魔法少女を誘い込むように。

 トカゲの怪物も、みいが近づいたことで地面に跳んだのかもしれない。さすがに今から場を離れればどうなるかはわからない。


(家にいるべきだった……)


 後悔に顔をしかめる。ここまで来なければトカゲの怪物も壁に張り付いたままだったかもしれない。デュベルに言われた時も落ち着いて父との連絡を取るべきだった。

 現実逃避気味の後悔に自己嫌悪がついてくる。父のこととはいえ簡単に我を失いすぎた。

 ああもう、と頭を振る。

 反省なんて今することではない。今は目の前のことに対処しなければいけない。

 やじ馬は半分ほどは減ったようだが、もう半分は魔法少女が来たことで安心したのかその場を動こうとしない。警察官が誘導しているがこの調子では避難が終わるのはまだかかりそうだった。

 やじ馬に罵倒したい気持ちをこらえて、怪物に向き直る。

 こうなれば、怪物を斃すしかない。みいは諦め気味の覚悟を決めて、魔力を実体化させた。

 魔力の弓矢を構え、トカゲの怪物を見据える。


「――さっさと片づけて帰るよ」

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