47話 雲居巫香⑱

 巫琴が歌手を目指すようになった理由が巫香だと言われても、まったく心当たりがない。

 巫琴はやや目線を逸らして、恥ずかしそうに続ける。


「やっぱ覚えてないよね……わたしが一年生のときだよ。発表会で劇やって、その中で歌うパートがあってさ。わたしはやりたいって思ったけど言い出せなくて……家で一人で練習してたの」

「それって……」


 発表会、という言葉に思い当たるものがあってうめく。

 思い当たるというほどでもなく頭の中にぼんやりと浮かんでくる程度だったが、巫琴のここからの話が分かった気がした。


「気づいたら巫香が部屋にいてわたしの歌聞いててさ。なんでいるのってなったけど、『巫琴はおうたがすっごく上手だね』って言って……」


 ぼやけていた記憶が、少しずつかたちを鮮明をしていく。

 少し前に巫琴の歌を聴いたときに抱いた感触は、覚えがあるものだった。

 そうだ、あの時も巫香は。


「発表会の話をしたら『巫琴ならぜったいだいじょうぶだよ!』って言い切ってさ。わたしもその時は単純で、やってみようってなっちゃってさ……」


 手で口を覆うようにして顔を赤くする巫琴は、ひどく年相応の妹に見える。

 巫香よりしっかりしてていつも𠮟りつけてくる妹の照れる姿は、巫香の中の何かを打った。


「やってみたら発表会も出れて……楽しかったけど、お姉ちゃんの反応が一番すごくて。『巫琴はほんとにすごいね。歌手みたいだった』ってはしゃいじゃってさ、お父さんもお母さんもちょっと引いてたぐらい。わたしがそれは大げさだよって言っても『巫琴ならなれるよ』って言うから……その……」

「うん、巫琴ならなれるよ」


 自然に口をついた言葉に、自分自身あれ? と首を傾げた。

 言おうとしたわけではなく、思ったことがそのまま口にしてしまった。まあいいやと思ったのだが、巫琴は少し嫌そうに眉をしかめている。顔は赤いままだが、どこか釈然としないものも感じてしまう。


「だって、巫琴の歌すごく上手だもん。本とかもあって、いっぱい頑張ってるんだよね。だから、大丈夫だよ」

「簡単に言わないでよ」


 なぜだか巫琴はさらに顔をしかめた。失敗してしまったのかと自分の迂闊さを呪う巫香の耳に聞こえたのは、巫琴の叱責ではなく重い吐息だった。


「……お姉ちゃんに言われたのがわたしのスタートなんだよ。わたしが歌ったことであんなに喜んでくれたのが嬉しくて、辛い時とか思い出したりするもん。それなのに、お姉ちゃんは」


 巫琴は言葉を切って、拗ねたような顔で睨んできた。

 思わず怯むが、いつも向けられる強いものとは少しだけ違う気がした。


「わたしはお姉ちゃんのこと、よくわかんない」

「……?」

「全然ちゃんとしてないし、真面目に生きてないみたいで、そういうのがちょっと……嫌」

「……ごめん」

「謝られても困るけど」


 即座に言い返されて、口をつぐむ。

 ちゃんとしてないも、真面目に生きてないも、積極的に言い返す言葉がなかった。そもそも、真面目に生きるということがどういうことかもわからない。

 巫琴のように頑張ればいいのか、クラスの子たちのように周りとちゃんとやっていけることなのか。巫香にはそういったことができない。できないままでいたことは、ちゃんとしていないということの証明なのかもしれない。

 何もしてこなかった。魔法少女になってもなお、神降ろしに任せて巫香自身は戦ってこなかった。

 時々、無性に自分のことが嫌になる。普段は気にならないのに、急に自分のすべてが嫌になって、またなにもしなくなってしまう。

 今まさに巫香はそういう気持ちだった。

 ついさっきアイピーに褒めてくれたっていいと言ったが、褒めてもらえるわけなんかなかった。

 今まで何もしてこなかった人間が、ちょっとやったぐらいでそんなことを要求するのは虫が良すぎたんだ。

 頑張って、周りとうまくやって、きっとそうするのが当たり前で。そうしないから「どうして」と言われる。

 巫琴の目が、いつもと同じ色を帯びたように見えた。できの悪い姉を嫌がり叱責する、いつもの巫琴に。

 巫琴は複雑そうに顔をしかめた。まるでこれからの言葉をためらうかのような、そんな表情だった。


(いつもより、すごいこと言うのかな)


 巫琴が躊躇ってしまうほどのとてつない罵倒が飛んでくるのではないかと覚悟を決める。

 そんな巫香の耳に、巫琴の言葉が届く。


「今日はかっこよかったよ」

「………………え?」


 呆けて聞き返すと、巫琴はぼそぼそと繰り返した。


「公園に助けに来てくれたお姉ちゃんは、すごくかっこよかった……うちで見るお姉ちゃんとは全然違う感じで……え?」


 巫琴の言葉が止まり、巫香の顔をまじまじと眺めながら少し引いた。

 原因はさすがにわかっていた。その理由を巫琴が指摘する。


「なんで泣いてんの?」

「……だっ、て」


 巫琴の言葉を聞いて、巫香の目から勝手に涙が流れてきた。ぽろぽろと、止まらずに頬を伝っていく。

 嗚咽が漏れそうになるのをどうにか我慢する。少しでも力を抜くと声を出しそうになってしまうので歯を食いしばって、床を見つめる。その床に涙の粒が落ちていく。

 視界には巫琴のつま先だけが映っている。つま先がわずかにこちらに向かって進むと、頭に巫琴の手が乗せられたのを感じた。


「どうして泣くかな……よしよし」

「……みか、おねえちゃんなんだけど」

「ぴーぴー泣いて何言ってんの」


 巫琴の声は呆れを含みながらも温かい。まったく姉らしくない状態だが、胸の内にはじんわりとした温かさがあった。

 温かさだけではなく、別種の熱も感じられる。

 巫香が泣き止むまで、巫琴は頭を撫でてくれた。巫琴は泣き止んだのを確認すると、軽く吐息して手を放す。


「巫琴、ありがとう」

「なんでお姉ちゃんがお礼言うの。助けられたのわたしなのに」

「ありがとう」


 もう一度繰り返すと、巫琴は「はいはい」と呆れたように笑った。


「じゃあわたしは戻るね。魔法少女、頑張ってね。無理しないでよ」

「巫琴もね」

「なにが?」

「夢、頑張って」


 巫琴はきょとんしてから、にやりと笑った。


「当たり前だよ」


 巫琴が部屋のドアを閉めると、すぐに眼前にアイピーがすっと現れた。表情は厳しく、控えめに見ても激怒しているのは明らかだった。

 普段なら怯んでしまうだろう。いや、今も怯む気持ちはあるのだけど、どうでもよかった。それよりも言いたいことがある。


「アイピー、話したいことがあるの」

「なに」


 ぶっきらぼうに応じるアイピーに、言葉をつづけようとして。


「…………」

「?」


 怪訝そうに眉を顰めるアイピーに、予定したこととは別のことを口にする。


「先にこのシャツ元に戻したいな……」


 血まみれのシャツからは、嫌なにおいがしてきていた。ここまでは気にしてはいなかったのだが、一度気づいてしまうと無視することができそうにない。

 アイピーはひどく無気力な表情を見せた。あまり見せない表情だが、呆れを通り越しているのだということはわかった。

 それでもお願いを聞いてくれるようで、巫香の頭に乗ってくれた。

 変身して、願いの力でシャツを元に戻す。成果に満足して、改めてアイピーに向き直った。


「みかね、これからはちゃんと訓練する」

「急にどうしたの?」

「えっとね……巫琴がさっきかっこよかったって言ってくれたけど、みかは全然ちゃんとできてなかったし……うまく言えないけど、もうちょっとなんかしたいの」


 今まで何もしてこなった巫香が、少し頑張ったぐらいで何かができるとは思っていない。さっきと同じだ。ちょっとやったぐらいで、褒められることなんてないのだから。

 だから、ちょっとじゃなくなればいい。

 自分でもちゃんとやったと言えるぐらいにできるようになれば、何かが変わる気がする。

 いや、変わらなければいけない。そうじゃないと、頑張っている妹にどんどん置いていかれてしまう。

 少しでもマシな自分になりたいと、そう思ってしまった。


「だから、今更だけど頑張りたいの」

「……そう」


 アイピーは感情の乗らない声で応じ、少しして訊き返した。


「できると思う?」


 足元が、揺れた気がした。

 自信があるかどうかで訊かれてしまえば、あるとなんてとても言えない。今までやってこなかったことが、いきなりできるなんてことは巫香だって考えていない。

 わからない、と答えようとして、喉で言葉がつっかえたように止まった。

 わからないというのは正しいけど、きっと違うような気がした。


「できるようになりたい」


 できるだけ自信があるように言ってみたが、自分でも笑いそうになるぐらいそうは聞こえなかった。

 アイピーの反論に叩き潰されても、それでも挫けてはいけない。

 これからは、できる自分に近づきたい。

 巫香の目の前で、アイピーの表情が緩んだように見えた。ほんの一瞬のことだったが、確かにアイピーが笑った。


「そう、わかったわ」


 珍しいというよりもどうにも不気味に感じてしまうが、わかってくれたならいいかと頷く。

 これからだ、と拳を握る。

 理想像の巫兎にはなれないかもしれないけど、一つでも、少しでも、近づいていかないといけない。


 気持ちとしては早速始めたいぐらいだったが、今日は休むようにと言われてベッドに横になっていた。

 夕食を終え、やはり横になってぼーっとしていると突然巫琴が部屋に飛び込んできた。


「お姉ちゃんテレビ見てる!?」


 やけに慌てている妹に面喰いながら、部屋の中を示す。巫香の部屋にはテレビはなく、テレビ番組を見ることはできない。

 巫琴が苛立ったように巫香の腕をつかんで引っ張り上げる。逆らわずに立ち上がると、そのまま部屋の外まで引っ張っていく。


「いいから来て!」

「え、え?」


 戸惑いながらもアイピーに視線を向ける。アイピーもなんだかわからないという顔で、巫香の肩に乗ってきた。

 巫琴の部屋に入ると、妹がテレビの画面を指さす。


「見て!」


 言われるがまま画面をのぞき込む。

 巨大な怪物が暴れている映像を見て、えっととコメントする。


「映画?」

「違うよ、今やってるニュース!」


 苛立った巫琴の声に、「え?」と再度テレビを覗き込む。

 画面の中の怪物は、ビルと肩を並べるぐらいの大きさだ。こんな大きい怪物は見たことも聞いたこともない。だから映画なのではないかと思ったのだが。

 画面の中で、怪物は好き勝手に暴れている。レポーターの悲鳴じみた実況を耳にしながら、じっと画面に見入る。

 魔法少女としてアニメの世界のように戦ってきた巫香でも、画面の中の光景は現実感がないものだった。

 やがて、怪物以外のものも映っていることに気が付いた。


「魔法少女だ……」


 巫香のつぶやきに、後ろの巫琴が「魔法少女?」と巫香の横に並んで画面を覗き込んだ。見づらいかもと横に少しずれながら、視線はテレビから外さない。

 魔法少女は魔力を放ちながら怪物にまとわりつくように戦っている。冗談のようなサイズ差は、さらに現実感を失わせる。

 魔法少女が放つ魔力は魔法少女のように小さく、ダメージを与えているようには見えない。


(みかなら……)


 そう思った刹那、魔法少女が吹き飛ばされた。巫香は息を吞み、巫琴は小さい悲鳴を上げた。

 画面は一瞬魔法少女を追いかけるように動いたが、すぐに怪物に戻された。魔法少女なんていなかったとでもいうように、ビルに腕を突っ込んで破壊している。

 再びカメラが動いた。魔法少女が画面いっぱいに映る。認識阻害により、その顔などはわからない。

 魔法少女が、カメラに向かって語りかける。


『かつて魔法少女だったみんな――』

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