46話 雲居巫香⑰
巫香もアイピーも黙ったまま見つめあっていると、焦れたようなノックが再度鳴らされた。
「いるの? 入るよ?」
「あ、うん。いいよ」
反射的に返事をすると、アイピーが鋭く「巫香!」と囁いた。
なんだろうと思う間もなくドアが開き、巫琴が入ってくる。その姿を見て、無事だったんだと安堵した。
が、巫琴の表情は巫香のそれとは真逆にひどく強張っていた。しかし目線は巫香の顔ではなく少し下の方向に行っている。
「それ、どうしたの!?」
巫琴がこんな風に慌ててるのは珍しいなと呑気なことを思いながら、巫琴の視線を追って自分を見下ろす。
あ、と気が付いた。巫香の服は血まみれのままだった。
「えっと、これはね……」
なんとか言い訳をしようと頭を回転させるのだが、混乱するばかりで何も思いつかない。
巫琴が詰め寄ってきて、両肩を荒くつかんできた。
「怪我とかしたの!? 大丈夫!?」
「う、うん。みかは怪我してないよ……?」
シャツについてるのは巫香の血なのだが、怪我はもう治している。
もちろんそのまま説明するわけにもいかないので、できるかぎり明るく笑いかけて安心させようとしてみる。
巫琴は深く息を吐いて、巫香の肩から手を降ろした。それでもじろじろと観察するような眼差しを間近から巫香に向けてくる。
「なにかあったの……?」
背中に冷や汗を感じながら訪ねる。巫琴の方からこんなに風に接してくることはまずないので、強い戸惑いを感じてしまう。
ちらりと見てみると、アイピーも緊張した様子で巫香に視線を刺していた。鈍い巫香にも「余計なことは言わないように」という無言のメッセージが伝わる。「わかってる」と目線で返してみたが、伝わったのかはわからない。
巫琴は半眼で巫香を見据えて、不意に口を開いた。
「さっき、怪物に襲われたんだ」
「う、うん……」
知っている、と頷く。
巫琴の半眼がますます細められた。え、と困惑する巫香に、巫琴は続けた。
「驚かないね、知ってたの?」
「え、あ、その……巫琴が無事そうだから、なんもなかったんだろうなって……」
慌てて言い訳してみるが、泥沼にはまる感覚に頬がひきつった。
自分でもまずい方向に話が進んでいるのがわかる。けれど魔法少女には認識阻害があるので、近い距離で見られていてもバレるはずがない。
たぶん、まだ大丈夫。
なんの確証のない楽観を抱いていると、巫琴は致命的な一言を放った。
「巫香が魔法少女なの?」
「…………」
いきなりの指摘に巫香は完全に硬直した。咄嗟にアイピーに助けを求めることすらできず、固まったまま巫琴を見返す。
「どうなの?」
「……そ、そんなわけないよ。どうしてそんなこと思うの?」
「わたしの名前呼んだでしょ」
「え、そうだっけ」
「馬鹿!」
アイピーの怒鳴り声にはっと口を押える。いまさらそんなことをしたところで口にしたことは消えてなくならない。
巫琴は巫香の顔を覗き込むようにして、それにさ、と話を続ける。
「わたしが歌手になりたいってことも言ってた。ていうか『みか』って言ってた」
「…………」
今回の戦闘は無我夢中だったので、細かい記憶はまったくない。巫琴が指摘した内容も、正直心当たりがない。本当にそんなことを言っただろうかとすら思う。
今からどうにか誤魔化せないかと必死に考える。だが巫香がいくら考えたところでどうにもならない気もしていた。巫琴は巫香の嘘はすぐに見抜いてしまうだろう、この鋭い疑念の眼差しを見ていると抵抗は無駄だと……
ふと気づく。巫琴の眼差しは、いつもの厳しいものだったがいつもとは違うものがあるように思えた。
嘘のように、動揺が消えた。まるで仮面を使ったかのような感覚だが、今は固有魔法を使っていない。
妹の目をまっすぐに見つめて、認める。
「うん。みかが魔法少女だよ」
「巫香、やめなさい!」
アイピーの声は完全に無視する。後でもっと怒られるかもしれないが、今は気にならなかった。
巫琴の表情が揺れ、困惑が見て取れた。信じられないかな、と他人事のように思う。
「……本当に?」
「うん、本当に」
繰り返し認める巫香に「へ、へえ」と戸惑いがちに頷き、再度巫香のシャツを見た。
「じゃあ、これって怪物の血?」
「ううん、みかの血」
巫香が否定すると、巫琴は目を丸くした。
「大怪我してるんじゃん!」
「治したから大丈夫だよ」
「……魔法で?」
「うん、そう」
巫香の全身をじろじろと眺めて、巫琴ははぁと深く息を吐いた。
「本当に魔法少女なんだ?」
「……本当だよ」
認める巫香を、巫琴はさらにじろじろと眺めた。
「この町にいるのって、巫香だけ?」
「うん。他の魔法少女には会ったことないし」
「じゃあ全部巫香がやってたんだ……すごいね」
「すごい、かな」
巫香が怪物を斃してきたのは事実だが、今回以外はすべて巫香が被った仮面による神が戦ってきただけだ。すごいと言われても、いまいちピンとはこない。
「すごかったよ。わたしたちを守って、斧? みたいなのぶんぶん振って……え、マジで? ってまだ思ってる」
よっぽど信じられないのか呆然としたようにつぶやく巫琴を見て。
変身して見せた方が多分手っ取り早い気がして、アイピーをちらりと見る。表情にはこれまで見たことないような険があり、とてもお願いできる雰囲気ではなかった。
でも、と怯む気持ちをどうにかねじ伏せてダメ元でアイピーに頼んでみる。
「アイピー、変身させて」
アイピーは小さく首を振っただけだった。どうしようとアイピーを見る巫香の視線を巫琴も追っているが、巫琴にはアイピーの姿は見えないので戸惑っている。
やがて根負けしたようにアイピーが背を向けた。直後に身体が軽くなり、変身したことを悟る。
巫香に視線を戻した巫琴が、小さく悲鳴をあげて飛びのいた。何もしていないが、認識阻害により巫香ではない誰かに見えているはずだ。いきなり目の前の人が違って見えるのだから、巫琴の反応も自然なのだが少しだけ傷つく。
「もういいよ」
今度はすぐに聞いてくれて、変身が解けた。またふらついたが、今度は立ったままをなんとか維持する。
巫琴は恐る恐るといった様子で元に戻った巫香に触れた。動物に対する扱いのように思えたが、気が済むようにさせようと見守る。
「お姉ちゃん、ほんとに魔法少女なんだ!」
妹の目がきらきらと輝いていた。こんな真っすぐな目を向けられたのはいつ以来なのか思い出せず、むしろ強く戸惑う。
妹がこんな風にはしゃぐのを見たのも、ものすごく久しぶりな気がした。それに……
「お姉ちゃんって、すごい久しぶりに聞いた」
「あ、そう、だね……」
「みかってお姉ちゃんっぽいことできてないからしょうがないけど……でも、嬉しい」
本当に長い間、お姉ちゃんなんて呼ばれた記憶がない。いつの間にか巫香、と呼び捨てになっていてそれが嫌なわけではなかったが、いざ呼ばれてみると嬉しいという気持ちがふつふつとわいてくる。
こんな姉を姉と呼びたくない気持ちもわかるので、喜びも大きかった。
「みか、お姉ちゃんとしてはダメダメだもんね。巫琴が歌手を目指してることだって知らなかったし……」
「それ、巫香のせいだから」
「え?」
また名前呼びに戻っていることも気になったが、巫香のせいというのはなんなのかがわからない。
巫琴は苦虫を嚙み潰したような表情で巫香を見上げている。怒っているというより、恥ずかしがっているように見えた。
「わたしが歌手になりたいって言った理由、巫香だからね」
「……え?」
また同じように呆けた反応を返すと、巫琴は呆れたように息を吐いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます