44話 雲居巫香⑮
痛くない。怖くもない。
それだけで、すべてから解き放たれたような自由を感じて笑みすら浮かんでくる。
今までの巫香なら、とてもこんなことはできなかった。仮面を使い、痛みと恐怖を消すことで、ようやく魔法少女として戦えるようになった。
怪物の胴体にはヒビが入っている。あと一押しで斃せるはずだ。怪物の足取りは変わらず、存在しないはずの表情には巫香に対する殺意が浮かんでいるが関係ない。
斧を、怪物との間の地面にたたきつける。
公園の土を激しくえぐり、土煙が大きく舞う。
怪物の姿が見えなくなったが、向こうにとっても同じはずだった。土煙に紛れるようにして、怪物の後ろに回り込む。
移動しながら作り出した斧を両手に持ち、怪物に向かって全力で振るう。身体をひねると脇腹に何かつっかえた感覚があり血が口中を満たすがそれは今はどうでもいい。
巫香の動きにともなって土煙が流れる。血を吐き出しながら気合を込めた斧は導かれるように怪物に当たり――砕けた。
土煙の中で、怪物の顔が正面から巫香をとらえている。巫香のことは見えてはいないはずなのに、あっさりと攻撃に対応してきた。
今まで、戦っている途中でさえ何も考えてはこなかった。怪物の知能はよくわからないが、巫香が考えたぐらいことは見抜かれても仕方ないのかもしれない。
それでも、それで仕方ないでは済ませられない。巫香がここで倒れてしまえば、この怪物は妹を狙うかもしれない。
なんとかして、ここでこの怪物を斃さないといけない。
(でも、どうしよう……?)
頭の中に無限のはてなが浮かんでいる。だが、巫香が考えている間にだって戦闘が止まることはない。
土煙がおさまり、怪物は大股で巫香との距離を潰す。
身振りから右手で殴ってくると感じ、身体をひねって避けようとする。
(あれ、避けなくてもいいんじゃ)
咄嗟にひらめく。痛みを感じないのだから、むしろ攻撃を食らいながらでも逆に攻撃した方がいいのかもしれない。
よし、と避けるのを中断することにする。魔力の斧を形成し、怪物の拳を無視して突き出し――
怪物の拳が巫香の右腕を打ち抜いた。
斧が弾かれるように手の中から抜け落ち、打たれた勢いで身体が独楽のように回転しながら地面に転がる。
必死に起き上がろうと右手を地面につくと、がくんとつんのめって地面に顔面をぶつけた。痛くはないが混乱して、それでもなんとか立ち上がって怪物から距離を取りながら振り返る。
幸いにも怪物は追ってきてはいなかった。ちらりと右腕に目を落とすと、妙な形に折れ曲がっていた。
痛くはない。痛くはないのだが、攻撃を受ければその勢いで吹き飛ばされてしまう。この怪物には既に何度もそうされているのに頭から抜けてしまっていた。
(やっぱり、みかじゃ……)
せっかく痛みも恐怖もないのに、頭がついていかない。どう戦えばいいのかもわからないままでは、怪物を斃すことはできない。
右腕もこうなってしまっては斧を持つこともできない。向こうは攻撃も防御もできる腕が二本、こちらは左手で武器を一つ持つのが限界だ。
こうなってしまっては、勝ち目なんて――
「巫香!」
「……なに?」
反射的に返事をしてから気が付いたが、呼びかけてきたのはアイピーだ。
「巫琴はもう公園を出たわ。巫香も一旦退いて、まずは回復を……」
「勝てるかな?」
「は?」
アイピーのきょとんとした顔に、どうして伝わらないのかなともう一度問いかける。
「みか、あの怪物に勝てる?」
「……あなたがポテンシャルをちゃんと発揮できれば敵じゃない。でも」
「勝てるんだね」
それだけ聞ければ十分だった。アイピーの身体を軽く押して遠ざけると、改めて怪物に向かい合う。
よく見ると、怪物の胸にあるヒビが広がっている。巫香の右腕が折られた時も、攻撃が触れた感触はあった。まったくの無駄骨でもなかったようだ。ダメージになっているのか軽くふらついていて、だからアイピーと話している間にも何もしてこなかったみたいだ。
あと何度か同じことをすれば斃せるかもしれない。が、巫香の右腕は動かせない。同じことができて左腕がやられてしまえば、もう攻撃する手段はない。
「……ほんとに勝てるかな」
口にすると、もともとなかった自信のようなものが余計にしぼんでいく。
アイピーは勝てると言ってくれたが、やはり自分のことなど信用できない。どうすればこの怪物を斃すことができるのか、見通しがまるで立たない。
アイピーによると妹は既に公園を出たようだった。改めて見回してみても、公園の中に妹とその友達の姿はない。が、怪物が追いかけていく可能性があるなら、ここで斃さなくてはいけない。
頼れるものなんて何もない。怪物を斃せるのは魔法少女だけで、巫香がどうにかしなければいけない。
左腕一本で――
(……そういえば)
ふと思い出して、天を仰ぐ。
どうしてだろう、と今更疑問に思う。巫香はこれまで様々な神様を降ろしてきた。どの神様も別の形で魔力を武器化させ操っていた。
斧、拳、縄、剣。
そして巫兎は、そのすべてを自在に扱った。
巫兎と同じことができるとは思えない。巫兎は、なんでもできる巫香の姿だ。けれど、あそこまでできなくても、それに近いことなら……
歩き出した怪物を制止するように、手のひらを相手に向ける。意味がある仕草ではない。ただ、こうすればいい気がした。
巫香の頭上に、魔力の拳が生み出される。それだけで巫香の身体より大きい、一つの拳が。
巫香は意思だけでそれを操作し、まっすぐに怪物に飛ばしてぶつける。
怪物は両手を交差させ魔力の拳を受け止めた。わずかに拮抗したが、魔力の拳はガラスのように砕け散る。怪物は後ろに押し出される形になったが、それほどダメージがあったようには見えない。
巫香は少しほっとして、自然と安堵の笑みを浮かべた。
魔力の斧を手で持って戦ったが、思えば今まで魔力の拳は意識だけで操作していた。武器化された魔力は、手で持たなければいけないなんてことはない。右腕が折れても、たとえ全身の骨が折れたって、意識があれば操作ができる。
「よかった」
つぶやいて、再び魔力の拳を生み出す。
今度は一つではない。ふたつ、みっつ、巫香の頭上に、できる限りの魔力の拳を生み出していく。
怪物は魔力の拳を見上げて、呆然としているように見えた。が、それも一瞬で地面を蹴り巫香に向かって突進してくる。
発射した。
すべての魔力の拳を、ひたすらに怪物にぶつけていく。正面からだけではない、左右から、怪物の頭上から、次々と生み出し、ひたすらにたたきつけていく。
魔力が砕けていく手応えが伝わってくるが、不意に魔力の拳がそのまま地面を打った。
ばっと突き出していた拳を握り、攻撃を中断する。生み出した魔力の拳はそのまま残し、地面を打ったことによる砂煙が収まるのを待つ。
視界が開けると、巫香の攻撃の結果が明確に示されていた。
胴体が砕け、身体が真っ二つになった怪物が地面に転がっていた。魔力の拳によってへこんだ地面を埋めるように収まっている。
ぴくりとも動かない怪物の身体が、糸がほどけるように空中に霧散していく。
怪物の身体が完全に消えるのを見届けて、巫香はようやく息を吐きだした。
「勝っ、た……」
安堵からそのまま地面に座り込む。また脇腹に違和感を感じ、喉から血がせりあがってきたのを吐き出す。
「巫香! 回復!」
アイピーが慌てたように巫香の頭に乗ってくる。ほとんど重さはないはずなのにそれだけで巫香の頭が傾いた。
「……後でいい? 眠たくて」
戦いが終わったと思うと急激が全身がだるく感じられていた。このまま横になって眠ってしまいたいほどに。
アイピーは巫香の頭の上で怒鳴りつけてきた。
「絶対にダメ! 今すぐやるの!」
「はい……」
そこまで言われては逆らう気力もなかった。横になりたいのをなんとかこらえて、願いの力を行使する。
脇腹の違和感が消えていく。痛みはないため治ったのかどうかいまいち実感がわかずに、怪我した部分を触ってみる。骨の感触にようやく治癒を感じた。
立ち上がり、ぼろぼろになった公園に苦笑いを漏らす。
「これも直さないと」
「…………」
アイピーの返事はなかったが頭から降りてないということはいいのだろうと判断し、目を閉じる。
願いの力を行使した感触とともに目を開くと、元通りの公園が広がっていた。
ふぅ、と息を吐いて頭の上のアイピーを見上げる。
「……終わったね」
「…………」
何も言わないアイピーが怖い。アイピーがかねてから言っていた通りに、巫香の力だけで怪物を斃したのだ。
(だよね?)
薄い実感を確かめるように内心でうめく。
それならば、アイピーもなにか言ってくれてよさそうなのに。
少し待ってみたがアイピーが何かを言うこともなかったので、諦めて家に帰るべく空中に浮かび上がった。
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