43話 雲居巫香⑭
雲居巫香の十一年の人生は、諦念と受容によって形作られている。
幼稚園の時から、周囲が自分とは違うことに気付いていた。こう言うと偉そうな言い方かもしれないが、巫香が優れているだとかそういったことではない。
むしろ逆で、自分がひたすらにどんくさいことに気付いていただけだ。
巫香としては自分のぺースで動いているだけなのに、周りとどうしても歩調が合わなかった。初めは気にしていなかったのだが、「どうしてみかちゃんはそうなの?」と訊かれて以来気にするようになった。
どうして? と言われても巫香には答えようがない。巫香なりに普通にしてきただけなのだから。
それでもどうしてなんだろうと考えるようになった。周りを見て、自分との違いを見つけようとした。
結論としては、巫香のどんくささがすべての原因だった。周囲と同じように動けず、他の人が何を考えてそうしているのかも巫香にはわからない。
巫香はそれを仕方ない、と諦めた。
周囲と同じようにしようとしてもどうやってもできなかったのだ。巫香はそれを早々に受け入れて、今までと同じように過ごした。
しかしそうもいかない事情が、雲居家の中にはあった。
妹の巫琴の存在だ。
一つ下である妹は、幼い時はむしろ引っ込み思案で常に巫香にくっつきたがっていた。その姿を見る度に両親は面白がって「ちゃんとお姉ちゃんをしてるな」などと笑っていた。
お姉ちゃん、というのは巫香にはぴんと来ていなかった。けれど妹は可愛いし、妹のためにならなんでもしてあげたいという気持ちは持っていた。
どんくさい巫香には、なんでもというのはかなり限りがあったけれど。
巫香がいれば喜んでいた妹も、小学校に上がることには巫香に対する不満を隠さなくなってきていた。巫香のどんくささはずっと変わらず、それを見限ったかのように妹は巫香よりも友達と過ごすようになった。
巫香はずっと変わらない自分を諦め、受け入れ、仕方ないことと思っていた。
何もできない。両親の苦笑しているかのような微笑みや、妹の苛立ちを当然のものと受け入れた。
魔法少女になったところで何も変わらない。できない人間がいきなりできるようになるわけがない。
巫香はこの十一年、何もしてこなかった。
こんなに怒りを感じるのは、生まれて初めてだ。
体中に溢れる感情のまま、魔力の斧を思いきり振りかぶる。
魔力の斧は再び怪物の腕によって防がれた。何の抵抗もなく砕かれるが、わかっていたため体勢は崩さずに済んだ。
今度は怪物の番だとばかりに拳を振りかぶる。大振りの拳を後ろに下がって躱しながら、形成した魔力の斧を下から振り上げた。
斧は怪物の脇腹に当たり、怪物の身体を押し返した。押す程度の力しか入っていなかったはずだが、怪物は明らかによろめいた。
同時に、巫香の脇腹がひきつるように強く痛んだ。怪物の攻撃が当たったわけではない。ついさっき攻撃を受けた箇所が自らを主張するようにずきずきと痛む。
一瞬忘れていた痛みに気付くと、身体を動かすのも辛く思えた。魔法少女になってもこんなに痛むということは……
(……骨、折れてるのかな)
他人事のように実感する。
だとしても、願いの力で治している暇はない。
巫香の頭の中はいまだに沸騰状態だった。巫琴を傷つけようとした怪物を、なんとしても斃したい。だが、その怒りに脇腹の痛みが冷や水を浴びせているのも感じていた。
戦うのは怖い。今までは自分で戦っていなかったのでそこまで怖いと思っていなかったのだが、自分自身で戦うとなるとありえないほどに恐ろしい。痛いのも、死ぬのも嫌だ。ここにいるのが巫香一人だけだったら、逃げ帰っていたかもしれない。
けれど、ここには妹がいる。何もできない巫香だけど、今ここでは妹を守ることができるのは巫香しかいない。
魔法少女になった意味は、ここにあったのかもしれない。
だから、
「まだ大丈夫……絶対にやっつける」
自分に言い聞かせるようにつぶやいて、意気を奮い立たせる。
怪物は堂々と歩いてきた。大股に、まっすぐに巫香へと迫ってくる。
魔力の斧を両手に作り出す。斧の間合いに無防備に入ってくる怪物に、両側から斧を振るった。
怪物は腕でそれぞれを防いだ。斧はあっけなく砕け散るが、巫香の動きは止まらない。魔力で作り出した斧は、刃の部分が砕けたが別の部分は残っている。
柄となる持ち手、刃の反対側になるところに鋭利な切っ先をあらかじめ作っていた。鋭利な切っ先というのはあくまで作り出した時のイメージであり、実際はがたついたものだったが役目が果たせればそれでいい。
手首を反転させて、怪物の腕の防御を潜り抜けて突き刺す。
今度はしっかりとした手応えを手の中に得た。巫香の作り出した魔力は、怪物の腹に突き刺さっていく。パキ、と軽い音とともにその周囲がヒビ割れる。
やった――と喜びを感じた瞬間、脇腹に再度激痛が跳ねた。
「げ……ぇ……?」
衝撃とともに巫香の身体が横に吹き飛ばされた。地面を転がり、フェンスに身体がたたきつけられる。
明滅する視界で、怪物が足を振りぬいていたのが見えた。巫香が突き刺すのと同時に怪物は蹴りを繰り出していたのだろう。
痛みだけではなく、激しい吐き気すら感じられた。とにかく立たないととフェンスを掴む。が、立つ前に巫香は身体を折ってこみ上げてきたものを吐いた。
吐瀉物かと思ったが、巫香が吐き出したそれは地面を真っ赤に濡らしていた。不思議なことに冷静に何が起こっているかが把握できた。
(血――)
意識した途端に、激しく咳き込んだ。手で口を押えるが、その手も真っ赤に染まっていく。
ふらついた視界に、怪物がよろめきながらも再び巫香に向かってくるのが映った。まだ斃し切れていない。まだ、戦いは終わっていない。
はっとして、公園を見回す。公園内に巫琴たちの姿はなかった。無事に逃げてくれたのだろう、と安堵する。
と、力が抜けてぺたんと座り込んでしまった。いけない、と立ち上がろうとするが尋常じゃない脇腹の痛みに妨げられる。
「え……」
意味のないうめきが漏れ、身体が震えた。
怖い。
巫琴が逃げて、役割は果たせた。あとは怪物を斃すだけだが、立ち上がることも、魔力の武器化もなすことができない。
怪物が迫ってくる。このままでいれば、巫香はなすすべなく殺される。
「い、嫌……」
死にたくない。なんとかして、逃げないと……
頭の中に怒りは微かに残っている。だがそれも、巫琴が無事に公園から逃げられたことで薄くなってしまっていた。それよりも直面した恐怖が巫香を支配している。
巫香は何もできない。こんな状況だって、巫香でなければきっと戦えるのだろう。それこそ巫兎なら、立ち上がって戦うに違いない。
巫香には、それができない。だからこそ、他の誰かになろうとした。
「巫香、しっかりしなさい!」
突如怒鳴られて、ぼーっとそちらを見る。
アイピーの深刻な顔を見て、巫香はあることを思い出していた。
『巫香の固有魔法を神を降ろすものではなく、おそらく人格を別のものに変えるもの、だと思う』
アイピーが語った、巫香の固有魔法。
人格を別のものに変える力で、巫香は神になりきっていた。そして今、その能力はなぜか使えなくなっている。
人格を変えるというのは、そこまで極端じゃなくてもいいのではないかとふとひらめいた。
もう一つ思い出す。巫香の固有魔法は、神降ろしではなく――
「仮面――痛いのも怖いのも全部感じないみか」
巫香のつぶやきとともに、頭の中がクリアになった。
神降ろしを使った時と同じ感覚だった。だが意識が奥底に沈む感覚はない。巫香は巫香のままだ。
なんの苦労もなく、すっと立ち上がる。嘘のように痛みはない。脇腹の中に何かが引っかかっているような違和感はあるが、それだけだ。少し気持ちが悪いが、動くことに支障はない。
動ける。動けるなら――
「巫香、一回退いて!」
巫香の真横で叫ぶアイピーを見て、どうしてだか微笑みが漏れた。アイピーの頭を一撫でして、何かを言おうする。
「だ、ごぼっ」
口から出てきたのは血だったが、まあいいやと怪物に向き直る。
動けるなら、まだ戦える。
怪物は目の前まで来ていた。表情のない顔を見下ろされていることを感じて、気味が悪いと思う。
それでも、怖くはない。
「巫香!」
アイピーを無視して、魔力の斧を作り出す。
今の自分なら、この怪物を斃すことができると、何の不思議もなく受け入れられた。
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