41話 雲居巫香⑫

 それからは、日常を怯えて過ごした。

 何度か変身して固有魔法を使ってみるものの、何も変わらないままだった。時間が経つにつれて憂鬱の度合いも増していき、すぐに固有魔法を試してみるのも嫌になってしまった。

 幸いにも、怪物は出現していない。そのことばかり気にしてアイピーに何度も確認していたら「出たら言うから」と怒られてしまった。

 それより、通常の訓練をすべきだと強く提案された。怪物が出たとすれば、固有魔法が使えないままでも戦うことになるのだからと。

 巫香はそれを断固として拒んだ。仮に訓練をしたとしても、何かができるようになんてなるわけがない。巫香にできることは、固有魔法が再び使えるようになることを祈るだけだった。

 しかし使えるようにならないまま、はっきりと調子を崩した。精神的なもののはずだが、体調まで悪くなってしまい学校にも行きたくなくなった。

 両親はあっさりと休むことを許してくれた。代わりに巫琴の眼差しがいつもに増して厳しく、それから逃れたいと自室にこもっていた。

 アイピーがパソコンをずっと使っている間、巫香はとにかくベッドで横になっていた。すべてを拒絶するように寝ていることで、アイピーも声をかけてくるのを諦めてしまっていた。

 魔法少女になっていない普段の日常は今までと変わりはない。これまでだって変身していなければ巫香として過ごしてきたのだ。それでも固有魔法を使えないということは巫香をひどくうちのめしていた。巫香自身の力とは思えなくても、あれがあったからこれまでは戦えた。その力を失うと、こんなにも心細くなるとは思ってもいなかった。いつも通りの日常すら支障が出るほどに。


(……巫兎)


 布団にくるまって、内心で呼びかける。

 返事はない。一度降ろせた時の口調を思い出してみて、台詞を作ってみる。


(どうした? しょうがねえな巫香は)


 再現してみても、空しいだけだった。目に涙が浮かぶのを感じながら、ぎゅっと体を丸める。

 巫香は、何もできない。このままでいてもどうしようもないのはわかっているのに、何一つ行動に移せない。そんな自分を意識するたびに失望を繰り返し、身体はますます重くなっていく。

 休むようになって五日が経った。とても長い五日で、巫香はただ横になっているだけだ。

 そして。


「――巫香」


 アイピーの呼び声に、直観した。声の調子で、何の話がしたいのかがなんとなくわかるようになっていた。

 この場合は、一つの知らせを告げる時の声だった。


「出たわ」


 予想通りの内容に、巫香はのそのそと身を起こした。アイピーはどうする? とばかりの視線を巫香に向けている。

 心臓の鼓動が早くなる。巫香が何もせず寝ていても、そんなことはお構いなしに怪物は現れる。

 鼓動を鎮めようと胸に手を当てる。だが鎮まることはないし、手に伝わる鼓動がますます巫香を焦らせる。

 行ったところで何かができるとは思えない。巫香の飛行ではたどり着けるかさえ怪しい。


(……どうしよう)


 行きたくない。何もできないのだから、行ってもしょうがない。横になって耳をふさいでしまえばいいのに、アイピーの視線に縫い留められたように動けない。

 何かを言おうとして、うまく声が出なかった。舌をもつれさせながら、なんとか言葉を紡ぐ。


「……変身、させて」

「わかったわ」


 アイピーの承認とともに、変身する。体が浮かび上がるような感覚と反比例して、心はますます沈んでいく。

 ぎゅっと目をつむり、祈るように固有魔法を発動させる。


「神降ろし」


 数秒待って、目を開く。何も変わっていない自分に、深い失望を繰り返す。

 やはりダメだった。仕方ない、やることはやった。やろうとはしたけど、ダメだったのならどうしようもない。

 変身している方が身体は楽だが、何もできない自分をつきつけられているかのようで落ち着かない。


「アイピー……」

「怪物が出たのは――公園」

「え?」


 変身を解いてもらおうとした巫香に、アイピーが公園の名前を告げた。


「巫琴が公園に行ってくるって出かけるのをさっき聞いたわ。どの公園かはわからないけど……」

「っ!」


 思わず立ち上がり、布団が足に絡まってベッドから転がり落ちた。顔面を打ったが、変身していたので痛みはなかった。

 よろよろと立ち上がる。アイピーの眼差しを力なく見返して、確認する。


「巫琴が……そこにいるの?」

「その公園にいるかはわからない。いないかもしれないけど、いるかもしれない」

「…………」


 心臓の鼓動がますます強くなる。どうしよう、という言葉だけが巫香の中に反響し、足が重くなる。

 巫香は何もできない。固有魔法が使えないなら、怪物とも戦えない。

 ふと、自分はなんでこうなのだろうと思った。なにもできず、巫琴には呆れられている。友達はいても距離は感じるし、理想の自分には近づける気配はない。

 朝目が覚めて、自分が自分のままであることにがっかりすることがある。寝てる間に巫香がいなくなって、巫兎になっていてくれたらと願っていた。

 現実は何も変わらない。魔法少女になっても、巫兎になれるわけではなかった。固有魔法で変わっても巫香の意思は残っているので、変わったというとまた違う。

 魔法少女になったことで、余計に何もできないことを知らされた。


「……そうだ」


 気づいて、机の上にあるスマートフォンを手に取る。巫琴も子供用のものを持っていたはずだ。連絡をしたことはないが。

 巫琴に電話をかける。これで無事であることがわかるかもしれない。

 数コールの後、電話がつながった。


「巫琴? 今……」

『それどころじゃないの!』


 怒鳴り声がスマートフォンから聞こえて、思わず身を縮める。

 電話に出られるなら問題はないか、とほっとしかけて怒鳴り声というより涙声でもあったことに気付く。


「何かあったの?」

『公園に友達といて……入口に怪物がいて、逃げられない』

「……え」


 くら、と眩暈を覚える。その場に座り込んで、スマートフォンの向こうに問いかける。


「怪物がいるの?」

『そう言ってるでしょ! 電話なんかしてる場合じゃ』

「……行く」

『は?』


 素っ頓狂な声をあげる巫琴に、言い含めるように続ける。


「みかが行くから、待ってて」

『来てどうするの。余計面倒になるだけじゃない』

「巫琴のこと助ける」

『いいから来ないで。そのうち魔法少女が来るって』

「待ってて」


 通話を切って、アイピーに向き直る。


「行く」

「……わかった」


 アイピーはただ頷いた。他に何も言われなかったことにほっとして、窓を開ける。

 集中して、ふわりと体を浮かせる。これだけでひどく疲れるが、今は気にならなかった。

 巫琴の口調は普段と変わらなかったが、いつもの力はなかった。怪物を刺激しないためか小声だったこともあるが、涙声で怯えているのが感じられた。

 巫香が魔法少女である以上、巫香が行かなければ怪物には対処できない。運が良ければ放っておいても誰も怪我することなく消滅するだろうが、とても待ってなんていられない。

 窓の外に飛び出て、上昇する。すべてが鈍い。固有魔法を使わない素の状態ではこんな簡単なことにもてこずってしまう。


(なんで、こんなに――)


 何もできないのだろう。固有魔法さえ使えれば解決するのに、その唯一の武器も使えず飛行すらたどたどしい。

 けれど、巫香が行かなければいけない。怪物と戦えるのは、魔法少女だけだ。

 公園の方向を見据えて、全力で飛行を開始する。

 鈍い飛行に焦りながら、必死に空を蹴った。

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