40話 雲居巫香⑪

「そもそも、おかしいとは思ってたのよ」

「……なにが?」


 家に戻るなり話し始めたアイピーに、巫香はうっそりと訊き返す。

 巫香の固有魔法を神降ろしではないと断じたアイピーは、続きは帰ってからと巫香を促した。巫香は一気に起こったことに混乱しきっていてまともに動ける精神状態ではなく、ふらつきながら相当の時間をかけて家に戻った。

 ベッドに座った巫香は、すぐにでも横になって寝てしまいたかった。とっくに限界は超えていると思っていたし、あとは巫香以外の誰かに考えてほしかった。

 アイピーはそんな巫香の気持ちを読み取ったように鋭い視線を突き刺している。そうされると、巫香もおとなしく話を聞くしかない。


「神降ろしは、神を降ろす固有魔法ってことでしょう?」

「……うん」

「私も巫香のいう神っていうのをよくわかってなかったのもあるけど……巫香が降ろしている神は、巫香が創作した実在しない神でしかない」

「…………」


 確かに巫香が固有魔法で降ろしている神は巫香が考えてノートに記したものだ。そうではない実在する神、たとえばこの神社で祀られている神などは試してみても降ろせることはなかった。

 しかし、巫香はそのことをあまり気にしていなかった。自分が考えた神を降ろせたという意味を深く考えることもなく、ただ無邪気に喜んでいた。


「結論を言うと、巫香の固有魔法を神を降ろすものではなく、おそらく人格を別のものに変えるもの、だと思う」

「人格を……?」


 ピンとこないまま繰り返す巫香に、アイピーは小さく頷いた。


「前にも話したけど、固有魔法は本人の人間性――心の奥底の欲求に左右される。神降ろしは巫香がそういう風になりたいという憧れから来ているのかと思ったけど、もっと単純ね。あなたは自分のことを嫌いで、まったく信用していない。だから他の人間になりたい。それだけの話だったのよ」

「……よくわかんない」


 巫香のつぶやきに、アイピーは眉をしかめた。


「そういうところなんだけど……まあいいわ。言うならば、仮面の固有魔法。巫香は好きに別の人間になりきることができる魔法ってところね」

「……仮面」


 巫香は自分のことが嫌いだ。取り柄がなく、人には叱られてばかり。自分以外の何かになりたいと思ったのはその通りで、その象徴が巫兎だ。巫香が考えてきた神だって、こういうところがいいなあと思った要素がそれぞれ詰め込まれている。

 巫香が作った神も、巫兎も、実在はしない。頭ではわかっていたことのはずなのに、アイピーの話を受け入れたくないと拒絶している自分がいる。

 アイピーの言う通りだとすれば、巫香は……


「じゃあ、さ。今までのってみかがいない神様の真似を勝手にしてたってことになるの?」

「身も蓋もない言い方をすればそうだけど、固有魔法だからね。単純な真似じゃない」


 アイピーはいっそ呆れたように息をついた。


「なにかしらの補助はあるでしょうね。本来、魔力の武器化も一つのものを実用に耐えるレベルのものを作れるようになるにはそれなりに時間がかかる。形だけを作るならそう時間はかからないけど、戦闘に耐えられるものを使えるようになるには修練がかなり要るし……巫香はその手の修練をほとんどしてない」

「…………」


 叱られてるのかと思い、巫香はぎゅっと身を縮めた。アイピーは巫香に事あるごとに魔法少女としての修練を行うように言ってきたが、巫香はひたすらにそれを無視していた。巫香自身はほとんど何もできないし、どうせ神を降ろせば全てをやってくれる。


(あれ、でも……神様はいなくて、みかがやってる……?)


 内心で疑問していると、アイピーがそれに答えるように続けた。


「だから呆れてるのよ。固有魔法が巫香のイメージを実現させるように底上げしているんでしょうけど、ほとんど修練していない巫香があそこまでの力を見せるなんて普通はありえないから」

「えっと……ごめんなさい?」

「何を謝ってるの」


 アイピーは頭痛でもこらえるようにこめかみに指をあてて首を振った。

 アイピーの話は、半分も理解できていない。巫香を叱っているのかも、違うのかもよくわからない。


「正直に言えば、少しイラっとはしてるけどね」

「え……ご、ごめんなさい」

「とりあえずで謝らないの」

「……うん」


 注意されて咄嗟に謝りそうになるのをこらえて、なんとか頷く。


「簡単に言うわ。今まで神降ろしでやっていたことは、巫香ができることをやっているだけなのよ」

「…………」

「巫香は素だと飛行もあまりできていないし、魔力の武器化もまともにできない。けれどそれは自分に自信がないから。ちゃんとやれば、神降ろしでやっていたことぐらいは普通にできるはずよ」

「できないよ、みかは……」

「できる」

「できない!」


 断言されても、これだけは譲れない。

 巫香は何もできない。何もしてこなかった。何をやってもダメで、両親の温かい目と巫琴の冷たい目を浴びてきた。それはすべて巫香が悪い。巫香になんの取り柄もないことが、この事態を招いている。


「巫香は、やればできる」


 アイピーも譲らずに、巫香を強く見据えて断言する。


「さっき、巫兎になったわよね。他の神の力をすべて使えて、自信をもって戦っていた。あれと同じことは、巫香はできる」

「……できない」

「巫香が本来持っている力を発揮すれば巫兎になるのよ。あれは、巫香の理想像でしょう?」


 アイピーの言う通りだ。巫兎は、何もできない巫香がこうなれたらと作り上げたものだ。こうなりたいと思いながらも、決してなれないと諦めている理想像。

 巫兎の戦い方はすさまじかった。他の神の力をすべて使い、判断に迷うこともない。仮に巫香に同じことができるとしても、とても使いこなせるとは思わない。

 そこで、気が付いた。はっとして、アイピーに確認する。


「みかの魔法は神降ろしじゃないんだよね」

「そうね」

「だから巫兎にもなれる」

「……そうね」


 若干首をかしげてアイピーが認める。

 大事なことはそれだった。巫香に巫兎と同じことができるなんてありえないし、可能性を考えるだけ無駄でしかない。

 巫香は、固有魔法で巫兎になれる。

 だったら、それでいい。

 むしろ、ずっと巫兎でいたっていいぐらいだ。日常生活も巫兎がやるほうがよっぽどうまくできるはずだ。


(あ、変身してたら見えなくなっちゃうからダメだ)


 残念に思いながらも、巫香は内心興奮していた。

 アイピーには却下されたが、巫香の願いは巫兎になることだ。この固有魔法があるなら、願いの力を遣うまでなく巫香の願いが叶う。

 巫兎がやったことは巫香もできる。アイピーはそう言ったが信じることはできない。巫兎がやったことは、どれ一つをとっても巫香にはできないことだ。

 巫兎なら、全部いい方に進めてくれるはずだ。


「アイピー、変身したい」

「疲れてるでしょうし無理は……」

「したいの。お願い」


 数秒の間をおいて、変身した。身体が浮かび上がるような感覚以上に、心の方が浮ついている。

 早速固有魔法を行使しようとして、ぴたりと止まる。いつも通り神降ろしを使おうとしたが、本来は仮面、と言っていたか。

 少し迷ったが、巫兎になるのに神を降ろすというのもピンとこないなと思った。


「仮面――巫兎!」


 固有魔法が発動し、巫香の意識が奥底に沈み巫兎が身体の操縦権を得る――はずだったが。

 何も起こらず、巫香は巫香のままだった。


「………………あれ?」


 冷や汗とともにうめき、もう一度と固有魔法を発動させる。


「仮面!」


 何も起こらない。


「仮面――ミロミコト!」


 対象を変えても、何も起こらない。


「神降ろし! ミロミコト! ググリヒメ! オソロシサマ! カラナギ!」


 すべての神の名を呼んでも、応えはない。


「――巫兎!」


 縋るように叫んだ最後の名前にも、固有魔法は何も反応を見せなかった。

 体を震わせて、泣きそうにすらなってアイピーに視線を転じる。

 アイピーは珍しく困り顔を浮かべていた。今までにないリアクションで、巫香の不安がさらに膨らんだ。


「……時々あるのよ。固有魔法が解釈と違ったことで混乱状態になることが。大概はちょっとすれば落ち着くけど、問題ないわよ」

「なんで?」


 ほとんど泣き声で訊き返す。問題がないわけがない。

 アイピーは少し落ち着きを取り戻したようで、ゆっくりと腕を組んで答えた。


「言ったでしょ、巫香がもともとできることを固有魔法でやってただけだって。神や巫兎になれなくても、巫香は同じことができる。大丈夫よ」

「……なんで」


 巫香のつぶやきは自分にも聞こえないぐらいに小さくて、アイピーにも聞こえなかったようだった。

 巫香も繰り返す気力はなく、ただうつむいてベッドに座り直した。

 巫香は、巫香のままでは何もできない。

 固有魔法が使えないなら、もう何もすることはできない。

 魔法少女でなくなったわけではないが、今まで縋っていた力がすべて失われたような虚脱感を強く感じて、巫香の目から涙が流れた。

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