38話 雲居巫香⑨

「巫香、怪物が出たわ」

「……行ってもいいの?」

「あなたが決めなさい。どっちにしても責めないから」


 判断を任されるとどうしたらいいのかわからなくなる。それに、どっちを選んでも結局小言を言われるのではないかという不安もあり、アイピーの様子をうかがう。

 アイピーはただ真っすぐに巫香を見返すだけだった。圧ではないが、どうしても萎縮するものを感じてしまう。


「……どこ?」

「ここよ」


 巫香の問いを予期していたように(していたのだろう)、アイピーはパソコンのモニター上に写した画像を示した。

 地図を見つめて、そこがどこなのかを探る。

 巫香の通学路だ。人通りもややある、車もよく通る大きい道。

 巫琴は家にいる。数分前にトイレにいったときに顔を合わせたので間違いない。あれからすぐに家を出たとしても――現場についているということは考えられない。

 迷った時間は、数秒もなかった。


「行く」

「そう」


 アイピーの返事は短かった。

 それだけで済んだことにほっとして、怪物退治の準備をする。といってもすることは単純で、服を脱ぐだけだが。

 全裸になって、ふぅと息をつく。服を脱いだこの状態が一番落ち着ける。外に出て人がいるとさすがに少し恥ずかしいが、すぐに気にならなくなって集中できる気がする。

 変身も済ませて、窓から外に飛び出す。ふわふわとした緩い飛行の中、固有魔法を発動させる。


「――ミロミコト」


 意識が身体の奥底に沈み、身体の操縦権を委ねる。

 ミロミコトはぴたりと空中に静止し、怪物がいる方向を凝視した。


「行くかの」


 空を蹴り、放たれた矢のように飛び出す。

 あっという間に現場が見えてくる。全景を見て、二人してうめいた。


『これって……』

「まずいの」


 巫香の懸念を継ぐように、ミロミコトが舌打ちする。

 現場がどういう場所なのかはわかっていたが、現状は深刻に見えた。

 熊のような大型の怪物が道路の真ん中で仁王立ちになって陣取っている。車が数台熊の怪物をはさむように止まっていて、そのうちの一台はひっくり返ってもいた。


『あの中に人がいたら……』


 これまでの戦闘では、巫香が現場に到着したときには既に周囲には人がいなかった。あまり人が集まっているところには現れなかったし、怪物が出てくると周囲の人はさすがにすぐに逃げる。逃げ遅れたりしている人は、巫香が――いや、降ろした神が――早く逃げろと移動させた。

 今回のように安全確認が十分にとれないことは、巫香にとって初めての経験でもあった。人の姿そのものは見えないが、車の中に人がいるかどうかはわからない。特にひっくり返っている車が心配だ。人が乗っているなら、早く助け出さないといけない。

 まずは安全確認を済ませたい、と巫香は思うのだがミロミコトは熊の怪物を睨んで動かない。

 熊の怪物もまた、巫香を睨みつけている。威嚇するように両腕を掲げ吠えるのだが、それ自体になにかあるわけでもない。

 と、熊の怪物の右腕が巨大化した。


『――へ?』


 熊の怪物の右腕が冗談のように肥大化し、巫香の高度にまで達する。視界におさまりきらないほど大きく、下手をすればそこらの家屋ほどの大きさはありそうだった。

 そんな右腕が、巫香に向かって振り下ろされる。


『車!』

「ちっ」


 このままでは熊の怪物の右腕が何台かの車を叩き潰す。

 巫香がちゃんと言葉にできたわけではなかったが、ミロミコトには意図が伝わった。

 振り下ろされる右腕より速く急降下。右腕に巻き込まれる範囲の車を確認していく。ミロミコトのスピードでなければ、一台を確認するのが限界だっただろう。そして範囲内の車は、三台ある。


「間に合わぬぞ!」

『絶対ダメ!』


 思考が交錯する刹那も惜しく、全力で飛行を行う。

 一台目には人がいない。二台目にも。あとはもう一台。

 右腕が迫ってくる。振り下ろされるスピードが十分に速く、食らえばひとたまりもないことは明らかだ。

 三台目。この車だけはドアが開きっぱなしで、おそらく中に人はいないのだろうが確認するまではわからない。

 ドアから中を覗く。余裕はなく、一瞬の確認がせいぜいだ。その中で、確実に中に人がいないことを見定めないといけない。

 三台ともに、中に人はいない。あとは巫香自身が避けるだけだが。


「さすがに……」


 ミロミコトが焦りの声をあげる。右腕はほとんど間近に迫っていて、逃げる猶予はほとんどない。

 それでも間に合うことに賭けるか――

 巫香が選んだのは、別の道だった。


『オソロシサマ!』

「おう!」


 威勢の良い返事に神降ろしが為されたことを知る。

 直後に、右腕が激突する。


「ぐ……!」


 強大な重みと衝撃に歯を食いしばって、オソロシサマが右腕を受け止める。

 受け止めたのは実際の手ではない。魔力で作られた、巨大な両手だ。巨大といっても乗用車ほどの大きさで、熊の怪物のそれには及ばないが。

 オソロシサマの力は、大きな両手の魔力だ。ギリギリで神降ろしされたオソロシサマの力で、熊の怪物の右腕を受け止めた。

 熊の怪物の右手が消えた。いや、元の大きさに戻ったのだ。熊の怪物は最初の位置から動かないまま、巫香を見据えている。


『今のうちに!』

「そうだな!」


 オソロシサマの魔力の拳を熊の怪物に放つ。うなりさえあげて飛んでいく拳は、命中すれば致命の一撃となる。

 熊の怪物は右手を正面に突き出し、巨大化させた。後ろに押し出されながらも魔力の拳を受け止め、握り込もうとしてくる。

 魔力の拳を解除、再び生み出し、左右から攻めようと操作する。

 熊の怪物の右手が、横薙ぎに振るわれた。

 周囲の電柱や街路樹を巻き込み容易くへし折りながら向かってくるそれを、巫香はやけに呑気な心地で見ていた。魔力の拳は生み出したばかりで、再生成が間に合うかはかなり怪しい。

 右手は巫香の身体をボールのように弾き飛ばした。全身を貫く衝撃は、一瞬後にもう一度あった。


「ぐ……」


 うめきながら身体を起こす。全身にまとわりついたガラスの破片がぱらぱらと落ち、頭がすぐに何かにぶつかった。

 車の中だった。弾き飛ばされガラスを突き破って入ってしまったようだ。車も普通の状態ではなく、上下が逆さまだった。ひっくり返っていた車だろう。

 耳鳴りを感じながら、車の中を見回す。


「誰もいない……」


 それを確認して、ほっと一息をつく。後回しになってしまっていたが、ひっくり返っていた車のことは心配していた。


「巫香! 早く出なさい!」

「え?」


 声が口から出て、神降ろしが解けていることに気が付いた。殴られた衝撃で、咄嗟に解いてしまったのだろう。

 動くにはまず神降ろしをしてからだ。そうでなければ、巫香は戦うどころか何もできない。

 この状態だと――


「巫香!」


 アイピーの声に、仕方なくそのまま這って車を出ようとする。飛びさえしなければ、これぐらいはできるだろう。

 と、真上からすさまじい轟音と衝撃を受けて、巫香の身体が縫い留められたように動かなくなった。


「が、はっ!?」


 事態が把握できず、目を回しながらも手足をじたばたさせる。ほとんど動かすことができず、頭を上に向けることも困難だった。


「おしつぶされた……?」


 自分のつぶやきがやけに呑気に車内に響く。圧迫されていく感覚はあるが痛みはないので危機感が追い付いていないのかもしれない。

 しかし車から出ることができない。ドアのフレームに手をかけて身体を引っ張ってみるものの、身体はぴくりとも動かない。

 冷や汗を背中に感じる。ひょっとしなくても、これはまずい状況かもしれない。


「巫香、なんとかして!」

「なんとかって……」


 アイピーの切迫した言葉に、いっそ呆れたようにうめく。

 なんとかするのなら、巫香に呼びかけたところで意味はない。巫香は何もできない。これまで戦ってきたのは降ろしてきた神であって、巫香ではない。

 車に熊の怪物が攻撃したのだろう。あと何度か、いやあと一度でも同じことをされては巫香もろともぺしゃんこになってしまう。

 さすがにまずいと、神を降ろそうとする。


「神降ろし……え、えっと」


 発動しようとした魔法が不発に終わる。神を指定していなかったので、発動しようもなかったのだろう。

 まずいまずいと急激に焦りが増大していく。身体は変わらず動かせないし、頭はまったく回っていない。

 とにかくなんでもいいから降ろしてしまえば、きっとその神がなんとかしてくれる。だから誰でもいい。降ろせばそれでなんとかなる。

 だが、焦りのせいなのか思うように神を降ろせない。外が見えないせいで、いつ熊の怪物の攻撃が来るのかもわからない。

 ぐわん、と車が大きく軋んだ。

 悲鳴も出せないぐらい驚いた。心臓が止まったかもしれないと思うほどで、身体にも衝撃は伝わってきていた。

 熊の怪物の攻撃がきたのかもしれないが、痛みはない。圧迫は少し強くなった……だろうか? どのみち何が起こったのかは見えないのでわからない。攻撃を受けたのなら、この程度では済まないはずだが。

 やけにうるさいと思ったが、自分の呼吸の音だった。


「ど、どうしたら……」


 つぶやく言葉に意味はなく、ただ空虚に流れていく。

 巫香は何もできない。できるのは神だが、それを降ろせる巫香がこの状態だ。

 何もできないまま、熊の怪物の攻撃を待つしかない。

 内心にどこか諦めすらただよった巫香の口から、言葉が漏れた。


「見てられねえな」

『え?』


 きょとんとつぶやいて、違和感に気付く。巫香は口から言葉を出していない。

 意識が身体の奥底に沈んでいるこの感覚は神降ろしだ。しかし、巫香は何も降ろしていない。とっさに何かできたのだろうか。


『あなた、誰?』

「誰ってなんだよ。私は巫香が一番求めてたやつだよ」

『……誰?』


 繰り返しの誰何に、はっ、という挑発的な笑いが巫香の口から漏れた。


「私は巫兎だよ。よく見てろ。戦い方を教えてやる」


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