37話 雲居巫香⑧
巫香が重たい足取りで自室に取って返すと、アイピーは一心不乱にパソコンを操作していた。
巫香が戻ってきたことにより、その目が巫香にぐりんと向けられる。
「お帰り」
「……ただいま」
居心地悪く応じて、アイピーが見ていた画面を覗く。文章しか見えないが、英語だったので巫香には何が書かれているのかさっぱりだった。
「英語わかるの?」
「わからないけど、翻訳サイトとか使って読んでる。この世界は言語が多すぎて不便すぎるよ」
愚痴るアイピーに適当に頷く。実際にはどうでもいい話題だったが、話題を逸らしたくて口にしただけだ。
しかしそれ以上に続けることはできず、アイピーはあっさりと触れられたくない話題に触れた。
「巫琴とはどうだったの?」
「……ダメだった。怒らせちゃった」
「そう、良かった」
「……なにが?」
信じられない気持ちで聞き返す。
巫琴を怒らせて良かったとでもいうのだろうか。巫香がうまくできるわけないことはアイピーだってわかっていたに違いない。だからそんなことを言うのか。
眉をしかめる巫香に、アイピーは平然と続ける。
「怒らせたってことは、話すことはできたってことでしょ」
「怒らせたかったわけじゃないよ」
「なんで巫琴は怒ったの?」
「……わからないよ」
本当にわからなかった。途中までは良い雰囲気なんじゃないかとすら思えたのに、巫琴はいきなり怒りだし巫香を追い出した。
残ったのは、またダメだったという自分自身への失望だけだ。
「どんな話を……」
「やっぱり、みかじゃダメだよ」
アイピーの言葉を遮る形で言ってしまったが、アイピーは言い直してはこなかった。ただ巫香のことをじっと見ている。
喉が渇く感覚の中、巫香は言い募った。
「うまくできっこないよ。なんで巫琴が怒ったのもわかんない。みかなんかじゃ、何やってもダメなんだよ」
「…………」
「みかじゃなくて、巫兎だったら良かったのに」
自分でさえなければ、うまくやることができる。
巫香のつぶやきに、アイピーは眉をしかめた。
「あのね、巫香はよくそれを言うけど、巫香は巫香なんだから」
「でも、みかはみか以外になれるよ。同じようになれたらそれでいいんだよ」
巫香は机の棚のところに置いてあるノートを手に取って、ぱっと開いた。よく開くページなのでクセがついていて、適当に開いてもそのページが出てくるようになっている。
巫兎。と上の方に書かれたページには、巫香が記した文章で埋められている。
巫兎というのは、いわば巫香の理想像だ。
なにをやってもうまくできない巫香が、どんな風ならよかっただろうと考え夢想した自分自身。
このノートには、そんな巫香の夢想がいくつか記されている。他のページには、巫香が考えた神様のイラストとどんなことができる神様なのかということも書かれている。ググリヒメや、ミロミコトもこのノートにその姿が載っている。
中でも一番詳細に書かれているのは巫兎だ。巫香が何か失敗をするたびに『こういう風にできていたら』という理想を書き続けてきた。もちろん現実は何も変わらず、失敗は繰り返され記述はますます増えていく。
自分への失望が強まるたび、巫兎への羨望も強まっていく。巫香が巫兎のようになんでもできる強い人物であったなら、様々なことが上手くいく。巫琴を怒らせずに済むどころか姉妹としてうまくやっていけるだろうし、アイピーもがっかりさせずにいられる。そんな思いは、日々大きくなるばかりだ。
幼い頃から、何度も何度も巫兎のようになりたいと願っていた。けれど、どれだけ望んでも行動しても理想との差異が巫香をうちのめすだけだった。
巫香は、決して巫兎になれない。
神降ろしは神様を降ろす固有魔法なので、巫兎になれるわけでもない。
魔法少女になったことで、かえって自分が何もできないのだと思い知らされるようになってしまっている。
「巫兎になれたら、みんな喜ぶ……」
そうだ、と思いつくことがあった。アイピーに勢い込んで訊ねる。
「願いの力使える!?」
「余剰分はあるけど……どうしたの?」
これまでに得た願いの力は戦闘で破壊されたものの修復にしか使っておらず、余ってはいるとは思っていた。
よし、と願いを口にする。
「みかを、巫兎に変えてほしい」
「…………」
「そうしたら、全部うまくいくから」
巫香としてはいいアイデアと思った。むしろ今まで思いつかなかったことに、自分を馬鹿だと思うぐらいだ。
それなのに、アイピーの眼差しは険を極めたものになった。射貫かれるような錯覚を覚えて、巫香の表情が固まる。
(怒ってる……?)
ついさっき巫琴が怒ったものとはまったく違う、何も言っていないのに空気が凍り付くほどの怒りだ。
どうして、と混乱が巫香の頭を満たす。巫香の考えはいいもののはずだ。巫香がもっと強くなれればいいのだが、それができないのなら別に何かになるのか一番良い。アイピーだって、巫香じゃなければ絶対に色々とやりやすくなる。
無言の圧力に、冷や汗すらかいてきた。何か一言言うだけでも爆発しそうで、呼吸すら抑えてひたすらにアイピーの言葉を待つ。
しばらくして、アイピーは硬い声で言ってきた。
「巫香」
呼ばれただけで涙がこぼれそうになった。どうにか堪えるのが精いっぱいで、返事どころか頷くことすらできない。
「そんなことに願いの力は使わない。わかった?」
「う、うん」
やっとの思いで、痙攣するような動きで顎を上下させる。
アイピーの表情がかすかに緩んだ。怒りのそれではなく、疲れたようなものだ。
「どうしてかわかる?」
「……願いの力が足りないから?」
答えがわからないまま口にしたみたが、アイピーは小さく嘆息しただけだった。
「多分足りないね。でもそういうことじゃない」
「…………」
「どうしてか、わかる?」
「……わかんない」
「考えなさい」
「わかんないものはわかんないよ!」
つい叫んでしまい、はっと口をふさぐ。
血の気が引く思いで、アイピーをうかがう。アイピーは半眼で巫香を見据え、静かに口を開いた。
「巫香はその巫兎とやらになる必要はない」
「…………」
「巫香は巫香のまま成長していけるよ」
「……無理だよ」
「無理じゃない」
アイピーは呆れたように言って、指を立てた。
「巫兎のようになりたいのなら、巫兎ならどうするのかを考えればいいだけよ。これだけ詳細に書いてるなら、願いの力なんて使わなくても近づける」
「みかには無理だよ……」
「巫香はもう少し自信を持てばいいのに」
呆れたように言われるが、巫香からすれば何を言ってるんだろうとしか思えない。
自信を持てるようなものがないから、こうなっているのに。
「巫香は、やればもっとできるのにね」
「え?」
何を言われたのかわからず、アイピーを見返す。
アイピーは巫香の様子に不思議そうに首を傾げて「どうしたの?」と訊ねる。
ああ、と自分の気持ちに気付くものがあった。
巫香はアイピーが苦手だ。小言が多いだとかそういうのが原因だと思っていたが、違った。
アイピーは、巫香をできる人間だと扱っている。当たり前のように、やればできるなどと言ってくる。その気持ちは、重くて辛い。何もできない巫香には、決して応えられないものを突き付けてくる。
巫香がダメなことをわかっている巫琴の拒絶の方が、よっぽど心に楽だった。
何も言わずに部屋を出る。アイピーが何も言ってこないのに安心して、後ろ手にドアを閉めた。
「……アイピーなんて嫌い」
できない人間に期待するなんて、あまりにもひどい。
巫香は、自分のことなんて大嫌いなのだから、巫兎になれればすべて解決するのに。
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