31話 雲居巫香②
「んー」
目を覚まし、ベッドの上で思い切り伸びをする。そのまましばらくぼーっとして、のそのそとベッドを降りた。
カーテンを開ける。部屋のなかが明るくなり、再びぼーっとする。
空腹を意識して、そろそろ部屋を出ようかと思う。身体を回転させると、机の上のアイピーと目が合った。
「……おはよう」
「おはよう」
巫香の小さい挨拶に、アイピーはしっかりと返してくる。こんな軽い挨拶でさえも、いまだに少し緊張してしまう。どうしても圧のようなものを感じてしまうからだが、本人はそんなつもりはないという。つまりは、巫香の方に責任があるということだろう。
朝からやや気落ちしながら部屋を出ようとすると、アイピーに呼び止められた。
「ご、ごめん。話ならご飯のあとで」
なにか怒られるのかとドアに手をかけて逃げようとする。
アイピーは一際大きい声で注意してきた。
「巫香、服!」
「え?」
さすがに止まって、自分の身体を見下ろす。
服も何もない全裸の自分を確認して、気まずい心地で反転する。ベッドの脇に畳んであるパジャマを着こんで、今度こそ部屋を出た。
またやらかすところだったと、廊下で嘆息する。
巫香は寝る時には服を着ない。というより部屋にいる時は大体脱いでいる。服の感触がどうにも好きではなく、全裸の方が落ち着くのだ。もちろん家族の目があるところでは服を着るが、それもしばしば忘れて全裸で現れ叱られてしまう。
正直なところ、特に恥ずかしいとも思わない。知らない人ならともかく(さすがに家族以外に裸を晒したことはない)、家族なら見られたってどうとも思わない。そういう問題ではないと言われるので、そういう問題ではないのだろうが。
リビングには既に巫香以外の家族、父、母、妹の巫琴が揃っていた。
「おはよう」
両親はにこやかだったが、巫琴だけはじろじろと睨むような眼差しを巫香に向けていた。頭から足まで確認するように見て、ぷいっと視線を外した。
ちゃんと服を着ているか確認したのかもしれない。巫香が裸で現れると誰よりも怒るのが巫琴だ。怒りすぎるぐらい怒るので、両親からの叱責はなあなあになることすらあった。
椅子に座り卵かけご飯にするべく卵をかきまぜていると、父がおもむろに言った。
「巫香、巫琴。今日は境内の掃除を頼む」
「うん」
「え、わたしも?」
頷く巫香とは正反対に、巫琴は不満そうに口を尖らせた。
父は穏やかに巫琴に声をかける。
「何か用事があるのか?」
「ないけど……」
「みかだけでやるよ?」
巫香がそう言うと、父は複雑そうに眉をしかめた。
「一人では大変だぞ」
「いいじゃん、やるって言うんだから」
巫琴はここぞとばかりに言い募って、話を打ち切って朝食に集中し始めた。すぐに食べ終え、「ごちそうさま」と言い置いてさっとリビングを出る。
静かになったリビングで、父が嘆息した。
「まったく巫琴は……」
「まあまあ、巫香がやってくれるって言ってるわけだし」
母がとりなすように言う。父はそれを受けて、巫香に微笑した。
「一人では大変だろうが、本当に大丈夫か?」
「うん」
軽く頷く。
母はほうと息をついて目を細めて巫香を見た。
「無理そうだったらちゃんと言ってね」
「大丈夫だよ。みか一人だったら心配?」
「そうじゃないけど……」
否定しながらも、母は父と顔を見合わせて似たような苦笑をかわしあっている。
どういう意味なのかはさすがに察せられたが、余計なことは言わずに食事を続けた。
☆☆☆
雲居家は、神社だ。
巫香としてはそう説明するよりないのだが、父は神主で家は神社だ。神社に住んでいるというわけではなくて、敷地内に住む家はあって……とにかく、雲居家は神社だ。
巫香の住む町ははっきりと田舎で、通りから少し外れた静かなところに神社はある。寄り添うようにして雲居家の住居があり、生まれた時からここで暮らしてきた。
神社の手伝いをすることがたまにあり、一番多いのは境内の掃除だ。学校から帰ったあとや休日には手伝うように言われる。巫琴は渋るが、巫香は気にせずに掃除をしている。
生活に不満はない。神社ってなんかやってるのとクラスで訊かれることもあったが、何か特別なことがあると感じたことはない。巫香は他の家のことは知らないが、そんなに変わらないのではないかと思う。
箒を手に掃除を進めていくと、アイピーが強く言ってきた。
「で、当面の方針だけど」
「……うん」
身構える巫香に、アイピーは静かに続ける。
「様子を見よう」
「それだけ?」
アイピーは難しい顔で頷いた。
「ネットで色々見てみたけど、魔法少女への反発がすごく強くなってる。どう転ぶかわからないから、少し間を空けたい」
「少しってどれぐらい?」
「……数日から一週間は。他の魔法少女の動向も見てみたいけどね」
巫香はこくこくと首を縦に振る。
あ、と気になったことをアイピーに訊ねる。
「怪物が出たらどうすればいい?」
「場合によっては放置も考えてる」
「……放っておくの?」
「巫香は嫌?」
訊き返されて、首を傾げる。掃除の手が止まっていたが、話をちゃんと聞いておかないとあとでまた怒られてしまう。
嫌かどうかはあまり考えずに、アイピーに答える。
「アイピーがそういうならそうするよ」
「できれば巫香にもちゃんと考えてほしいんだけど。嫌だったら嫌って言っていいんだから」
「…………」
そんなこと言われても、という思いで沈黙する。
しばらくそうしていると、アイピーは諦めたようにかぶりを振ってふわりと飛んでいった。鳥居まで移動してそこに座るのが遠目に見える。アイピーのお気に入りの場所のようで、巫香が境内の掃除をしている間は大体そこにいる。
話が終わったことにほっとして、掃除を再開しようとした巫香に声が飛んできた。
「巫香!」
全身をびくりと振るわせてそちらを向く。巫琴が憤然として大股で歩いてきていた。手には箒を持っている。
巫香の目の前で立ち止まって、キッと睨みつけてくる。
「なにぼーっとしてサボってるの!? そんなだからわたしが……」
「……どうして巫琴がそんなに怒ってるの?」
巫香としては普通の疑問を口にしたつもりだったのだが、巫琴は呆気にとられたように口をぱくぱくとさせていた。やがて諦めたように項垂れて箒を動かして掃除を始めた。
その様子をなんとなくぼーっと眺め、巫香ものそのそと掃除を再開する。
少しして、あ、と巫琴に声をかけた。
「手伝いに来てくれたの? ありがとう」
「…………」
巫琴は無視して掃除を続けている。聞こえなかったのかなとも思ったが、もう一度言う気にはなれずに掃除に集中することにした。
巫琴とは仲が悪い――というより一方的に嫌われている。自分が姉らしくないせいだろう。しっかりもしてないし、巫琴がイライラしてしまうのもわかる。逆だったらいいのにともよく思う。巫琴が姉だったら、もうちょっと優しかったかもしれない。
(巫兎だったら、うまくやれるのに……)
益体もないことを考えてしまい、唇を尖らせる。
雲居家は娘二人で、後継ぎは家にはいない。巫香がもっと幼かったときには巫香が継ぐというようなことを両親は笑って言っていたこともあった。多分冗談で言っていたのだろう、もうずいぶんとそんなことは聞いていないが。
普段の掃除の他にも、神事などの行事があれば巫香と巫琴も手伝いに駆り出される。巫香はドジをして失敗を重ねていて、その度に巫琴が怒るというのがいつもの光景になってしまっている。最早両親は巫香の多少の失敗には何も言わなくなってしまったが、その分を請け負ったかのように巫琴の怒りは強くなる一方だ。
結局は自分がちゃんとできないのが悪いということになる。巫琴だって、こんな姉を持ってひどく嫌がっているに違いない。
ふと思い至る。巫琴がここに来たのは、両親に言われたからではないだろうか。巫香だけでは不安だから手伝ってやれだとか言われたのかもしれない。
申し訳なさに巫琴を呼ぶ。
「ねえ、巫琴」
巫香の呼びかけに、巫琴は返事をしないまま顔だけを向けてきた。不機嫌そうに睨みつける目つきは変わっておらず、若干気後れしながらも言う。
「みか一人でやるから大丈夫だよ? お父さんには手伝ってくれたって言っておくから」
「見に来たらどうするわけ?」
「あ、そっか」
巫琴の声には棘があるが、内容はもっともだったのでなるほどと頷く。
巫琴はこれ見よがしに大きく溜息をついた。
「ほんっと考えなしなんだから」
「……ごめんね」
「しっかりしてよほんとに」
吐き捨てて、掃除を再開する。
それをぼーっと見ていると、ぎろりと鋭さの増した眼差しを突きつけられた。
「サボってないで、やって」
「そ、そうだね」
慌ててこくこくと頷いて、箒を持つ手を動かす。
これが巫香の日常だった。何かをうまくすることはできず、叱られてばかりで自分が嫌になるばかりだ。
魔法少女になった時は、自分も特別な何かになれるのではないかと淡い期待を抱いた。しかしそんなものは半年もたってしまった今では幻であったことを実感してしまっている。
魔法少女になったぐらいでは、何も変わらない。
鳥居の上のアイピーを眺める。アイピーも、最初は巫香に期待などしたのだろうか。現実はろくに飛行もできない、魔力も武器化できない固有魔法頼りの魔法少女が出来上がっただけだ。
また掃除の手が止まっていたので、巫琴からの叱責が飛んだ。
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