29話 鹿沼鵯⑬

 鵯にとって大事な人は身近にいる数人だった。

 そうなると、他の人たちはどうでもいい人たちになるのではないかと鵯は思っていた。だから、全ての人は等しく幸せになって欲しい大事な人だって考えるようにしていた。

 けれど、きっとそうじゃない。気付いていなかっただけで、大事な人は存在していた。


「おじいちゃんたちはボクにとって大事な人で、他の人たちもその人たちにとっての大事な人がいて……」


 夕から聞いた、同じ塾の人の話がそうだ。その人の叔父さんのことは鵯は知らない。それでもその人は叔父さんのことが大事で、だから悲しんでいるのだろう。


「みんな、誰かの大事な人なんだ」


 鵯にとって、ではない。鵯に身近な大事な人がいるように、全ての人に大事な人がきっといる。


「だから、みんな大事な人だ」


 自分にとっての結論を心地よくつぶやく。言葉にしたことで、すとんと胸に落ちる感覚があった。

 全ての人は、鵯にとって大事な人ではない。それでも、その人は誰かにとっての大事な人で、きっとその人も誰かを大事に思っていて。

 だから、みんな大事な人ということになる。

 今しがた得た結論がちゃんとしたものなのか、正直なところはわからない。鵯としては会心の手応えと言っても良いものだが、他の人から見たらどう映るのかはわからない。

 祖父はどう思っているのか、不安に感じる。それでも鵯の胸の中には確かな満足感が存在していた。

 考えるのは嫌いだ。それでもなんとか考えてみたことでこんな心地よさを味わえるのなら悪くはないのかもしれない。

 祖父は満足そうに微笑んで、一つ頷いた。


「それがヒヨにとって正しいのなら、それでいい」

「んー」


 不満にうめく。せっかく考え終わったのに、また考えさせるつもりなのだろうか。もう脳みそは割と限界なのだが。

 まあ今日はこんなところでいいだろう、と思考を休めようとしたところでもう一つ気付いた。

 全身に嫌な汗が噴き出てくる。どうしてもっと早く、このことに気付かなかったのだろう。


「ヒヨ、どうした?」


 祖父の問いかけに鵯は目を泳がせた。気付いてしまうと、自分がどれだけ愚かだったかを嫌でも突きつけられてしまう。

 両手をきゅっと握りしめて、絞り出すように言葉を出す。


「おじいちゃんが倒れた日に、ボクは怪物を無視した」


 あの時は祖父のこと以外を考えることはできなかった。他のことを意識する余裕はなく、祖父のことだけが頭の中を占めていた。

 祖父のことを特別に大事であるという証でもあるが、同時にもう一つのことを示してもいた。


「誰か、怪物のせいでひどい目にあったかもしれない」


 怪我人はいなかったが、それはただの結果でしかない。誰がそうなってもおかしくはなかったし、怪我では済まなかった可能性もある。

 その時の犠牲者は鵯の知らない人なのかもしれないが、誰かにとっての大事な人だ。


「嫌だ」


 否定する。そんなことがあってはならない。


「誰かが傷ついたら、誰かが悲しむ。そうなるかもしれなかったのに、ボクは何もしなかったんだ」


 自分のことを賢いと思ったことはない。むしろ頭は悪いし、ある程度何もしない方がうまく回るとも思っている。

 しかし、鵯は魔法少女になっている。怪物を斃せるのは鵯だけで、何もしなければ怪物は消えるまで暴れ続けることになるのだ。

 できることがあるのに、自分の意志で明確に何もしなかった。

 顔が熱い。自分の行いがたまらなく恥ずかしくて、消えてなくなってしまいたかった。今すぐ山を全力で駆けて、全てを忘れてすっきりさせたい。

 だが、そんなことをしてもすっきりしないだろうとも思う。というより、忘れてはいけないのだろう。せっかく考えて手にしたものを、手放すようなことをしてはいけない。

 涙が目に浮かんでいることに気付き、慌ててごしごしと拭う。

 泣いたってなににもならない。意味のないことをしている暇なんてない。

 顔を上げて、祖父の顔を正面から見つめる。


「ボク、戦うよ」


 気付いてしまっては、もう逃げるわけにはいかない。


「みんな大事な人だから、ボクができる限り守るよ。みんな幸せになって欲しいから」

「……そうか」


 祖父は少し寂しそうに頷いた。そうされるとせっかく持った自信がかすかに揺らぐのを感じる。


「……ボク、変なこと言ってる?」

「そう思うのか?」

「……わかんない。ボクは変なことばっかり言うから。でも、変でも間違ってはいないと思う」

「それならそれでいい。ずっと考えている限りヒヨは間違わないでいられるよ」

「えー、もう考えるの嫌なんだけど……」


 一区切りがついた感覚でいたのだが、考えるのはまだ続けなければいけないようだ。

 うんざりするが、今回のようなすっきりした感覚は少しクセになりそうでもあった。山で身体を使い切った爽快さとはまた違う心地よさ。

 それをまた味わえるのなら考えるのも悪くない……かもしれない。まだ面倒という思いの方が強いが。

 ともあれ、決意は終わった。あとは忘れずに行動するだけだ。


「怪物が出なくなればいいんだけどな」

「出ないようにはできないのか」

「え? うん、どうだろ」


 祖父の問いに、曖昧に首を傾げる。

 祖父はふうんとうなった。


「魔法少女も怪物も突然現れたものだからな、魔法少女だからって全部わかっているわけでもないのか」

「え、あ、うん」


 一人で納得している祖父に適当に頷く。

 そもそも鵯はその辺りのことは何もわかっていない。アヘルが何か言っていたような気もするのだが、理解を放棄していたので覚えてすらいなかった。

 怪物がいなくなってしまえば、みんなの大事な人が傷つけられる危険性もなくなる。そうなるとに越したことはないが、どうすれば怪物がいなくなるのかなんてまるで見当もつかない。

 あるいはアヘルならその辺りも知っているのかもしれない。というか、鵯のことだから聞いていても忘れてしまっている可能性すらある。

 そういう話も、少しはしていった方が良いのかもしれない。

 急にすることが増えたように思えて、げんなりと肩を落とす。

 考えて、人と話して、また考えて。

 今までしてこなかった分を取り返さないといけないのだろう。

 大変だろうなとは思うが、悪い気がしないのもおかしかった。


☆☆☆


 そのまま祖父と話しているうちに夕食の時間になった。

 後半は魔法少女のことも病気のことも関係なく他愛もない話をして過ごした。とても楽しくて、充実した時間だった。

 実際のところは、なにか状況が進んだわけでもない。ただ、必要なものがわかっただけだ。

 それでも今はこれでいいという妙な確信が鵯にはあった。

 部屋を出る時、祖父が神妙な顔をして言った。


「無理はするなよ。ヒヨになにかあれば、みんな悲しむからな」

「うん、知ってる」


 とだけ答えて、祖父と並んで食卓に入った。

 家族での食事は賑やかに始まったが、兄の一言で一瞬で沈黙が支配することになった。


「なんだこれ」


 兄が見ていたのはテレビだった。声の硬さに、鵯もつられてテレビを見やる。

 鵯の目に映ったのは、巨大な怪物が腕を振り回してビルを破壊している映像だった。


「映画?」

「そんなわけないでしょ」


 これはアヘルの囁きだった。そちらは見ないようにして、テレビを注視する。

 だって、と内心で否定の声を上げる。こんな巨大な怪物がなんて見たことはない。魔法少女として怪物と戦ってきた鵯でも、映像の現実感のなさにかえってきょとんとしていた。

 映像の中ではリポーターが必死に実況をしている。それを見ていると、徐々に現実の映像であることが感じられてきた。


「これ、どこ?」

「書いてあるだろ」


 テレビに夢中になっている兄が気もそぞろに答えた。確かに、中継先として市の名前が記されている。決して近くはない都市だ。

 これだけの怪物が暴れているなら、いったいどれだけの被害が出ているのだろう。どれだけの大事な人が――

 いてもたってもいられなくなり立ち上がろうとした鵯だったが、映像の中の変化が鵯の動きを止めた。

 魔法少女が、巨大な怪物と戦っていた。比べるのも馬鹿らしいサイズ差で、あっという間に攻撃を受けて吹き飛ばされる。やられたのかと思ったが、その魔法少女はいつの間にかカメラの前に来ていた。

 認識阻害でその顔はわからない。

 それなのに、魔法少女の目が自分のことを見ていると感じた。

 魔法少女が口を開く。


『かつて、魔法少女だったみんな――』

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