27話 鹿沼鵯⑪

 帰宅して自室に戻った鵯に、アヘルがふふんと話しかけてきた。


「ヒヨも成長しようとしているみたいだね」

「?」


 いきなりの妙に得意げな態度に、鵯はなんだろうと首を傾げる。


「今のヒヨならきっと大丈夫。さあ、お姉さんに話してみて」

「ボクおじいちゃんと話したいんだけど」

「え」

「え?」


 きょとんとしているアヘルの意味が本気でわからず、怪訝な思いで眉根を寄せる。

 どうしてアヘルは鵯が自分に話すと思っているのだろう。

 アヘルは学校にもついてきているので、夕とのやり取りも全部聞いていたはずだ(気を遣ってどっかに行ってて欲しかったが)。それで何か勘違いでもしたのだろうか。

 戸惑っているアヘルにまあいいかと結論して、告げる。


「おじいちゃんのところ行ってくるから、部屋にいてね。来ないでよ?」


 念を押して部屋を出る。

 鵯が完全に安心して話せるのは、一人しかいない。その人物の部屋に真っすぐに向かい、ドアを開ける。

 祖父は自分用にあてがわれた部屋の中で布団に胡坐をかいて本を読んでいた。鵯を認めると顔を上げて相貌を崩し本を閉じた。


「お帰りヒヨ」

「ただいま」


 努めて明るくあいさつした鵯だが、祖父の姿に一つの思いを抱かずにはいられなかった。


(小さくなってる……)


 布団に座る祖父は、普段の大きいイメージからかけ離れて小さく見えた。物理的には多少痩せたという程度だが、祖父の存在感、だろうか、そういったものが薄くなっているように思えてならなかった。

 鵯の不安を感じ取ったかのように、祖父はからからと笑った。


「どうした。ヒヨらしくもない顔して。なにかあったのか?」

「……おじいちゃんの病気のこと、ボク知ってる」


 告げても、祖父は特に驚きもしなかった。鵯を見つめ、ふぅと小さく息を吐く。そんな仕草に、やはり祖父の衰えを感じてしまう。

 祖父はいつでも元気で、兄なんかよりもよほどパワフルだ。よく笑い、よく食べて、燃え続ける火のようだと思ったものだった。鵯にとって、祖父はエネルギーの象徴のような存在だ。

 それが今、病気で衰え老いを隠せずにいる。

 無性な悲しさがあった。生物は老いて死ぬ。鳥ならば外敵によって老いるまでもなく死ぬことはまったく珍しくない。さらには、旅客機のこともあったように人間だって老いて死ねるとも限らない。鵯自身だって、幼少の時に事故で死にかけたのだ。

 鵯は死ぬことに恐怖はない。怖がる理由がよくわからない。けれど祖父がこの世から失われそうになっていることを目の当たりにすると、どうしようもなく嫌で恐ろしかった。

 自分の心の動きに、鵯自身が動揺していた。鵯はみんなの幸福を望んでいる。死んでほしいなどと思ったことなんてない。旅客機で人死にが出た時は、悲しい気持ちにもなった。

 けれど、祖父が死に瀕しているのは先だって感じた悲しさとはまったく違うものだった。想像するだけでひどく苦しく叫びだしたくなってしまう。

 考えるのは嫌いだ。でも、多分これは考えなくてはいけないことだ。

 アヘルが考えなさいと言ったのも多分このことなのだろうとわかる。でも鳥なのにあのお姉さんぶった態度に少しばかりの反発心もある。まあそれはどうだっていいことだが。

 祖父は多分、鵯の話を黙って聞いてくれる。今の鵯に必要なのは、たぶんそれなのだ。と思う。


「孫たちには黙っててほしいとは言ったんだが」

「知らないままは嫌だったよ」

「それもそうか」


 祖父はあっさりと認めて、薄く笑った。


「黙ったままっていうのは、おじいちゃんのワガママだったな。悪かった」

「ううん、大丈夫」


 ここに来てどうすればいいのかがわからなくなって戸惑う。落ち着かなく視線を彷徨わせる鵯に、祖父は「座るか」と促した。

 こくりと首を縦に振って、その場に胡坐をかいて座る。視線の高さを合わせても、やはり祖父は小さく見える。もちろん鵯より小さいわけではないが、その様はしぼんだ風船を連想させた。


「なにか、話したいことでもあるのか」

「……うん」


 肯定したはいいものの、どう切り出せばいいのかがわからない。普段考えずに喋るせいで、そうじゃないやり方を知らない。

 うんうんとうなりながら、ちらりと祖父の顔を覗く。

 祖父の目は優しかった。鵯が話し出すのを待ってくれている。この目は変わらないとわかった。以前の祖父も、鵯を見る時は同じ目をしていた。

 痩せて、老いて、それでも変わらない祖父がいると、やっと理解した。

 それは鵯に大きい安心感を与えた。

 力が抜けるように安心して、その弛緩で口を開く。


「ボク、みんなの幸せをずっと願ってたんだ」


 鵯、という名前の意味は幼い時から何度も聞かされた。隣人への愛、という鳥言葉はいつしか鵯の中で幸福に置き換えられた。愛とは、人を幸せにするものだと思ったからだったか。どういう経緯があったのかは、正直思い出せない。


「ボクの名前の通りにできたら、そうしたらみんな笑って幸せになってくれる。そう思ってた」


 でも。


「ボクに人を幸せにすることはできないから」


 幼稚園ぐらいだっただろうか。鵯は自分で人を幸せにしようとしていた時期があった。といっても大層なことを考えていたわけではない。笑っていると幸せなのだから、笑ってもらえるようにしようとした程度の話だ。

 だがそのことごとくは上手くいかなかった。今ならなんとなく察することができているのだが、鵯は他の人とはずれている。そうはいってもずれている、と思われているのがわかるだけでどうすればずれが埋まるのかはいまだにわからないのだが。

 もうなにもしないで、と当時はよく言われた。鵯がいない方が場が回って、みんなが笑っているのをよく見た。

 鵯はそれで納得してしまった。自分がいなくてみんなが笑って幸せなら、それが一番いい。

 そうして今の鵯が出来上がった。他人と絡むことはあまりしないまま、笑って幸せでいることを望む。鵯自身は自由に山を駆け回って楽しく過ごしてきた。


「ボクが何もしないでみんなが幸せならそれでいいんだよ。んーと、何を言えばいいのかわかんないや……」


 天井を仰いでうめく。

 屋内は、天井があるのが好きではない。イライラする、というほどでもないが外の方が落ち着く。屋根のない家で暮らせればいいなと思ったこともある(雨が防げないのはさすがに困ると気づいて家の利点を知った)。

 人の幸せが自分の幸せと思い、何もしないことを選んだ。そうしてやっていたことは、山を駆け回るだけだった。兄に連れてきてもらい、夕が一緒に来てくれるようになった。鵯が望んだことはそこにはない。

 ただ、自由に走りたかっただけだ。


「ボクさ、多分人の幸せはそんなに望んでないのかも」


 一生懸命に言葉を探す。そうしなければ、自分の気持ちを伝えることは難しいと思った。


「みんながみんな幸せになればいいって思ってたけど、もっと幸せになってほしい人がいるんだよ」


 祖父は話を促すようにこくりと頷く。

 鵯の中で、それに差異はないように思っていた。何もしない方がいいとしても、全ての人間に幸せに笑ってほしい。人の幸せに寄与できない鵯は願うこと以外はできなかったが、それで十分だろうと思った。

 顔を浮かべながら指折り数えていく。


「夕、おじいちゃん、おかあさん、おとうさん、鳰、あとはまあお兄ちゃんも……」


 ついでに、アヘルもいれていいかもしれない。


「ボクにとって、とっても大事な人。誰よりも幸せになって欲しい人たち。でも、それでいいのかわかんなかった。そうしたら、他の人の幸せってどうでもよくなるかなって」


 話しながら気づく。さっきの夕との会話で、夕は答えを言っていた。あの時引っかかっていたことが、明確な輪郭を持ち始めている。

 それを取りこぼさないように、言葉にしていく。


「ボクにとって大事な人たちがいて幸せになって欲しくて……でも夕には夕で大事な人たちがいて……みんながみんな大事な人たちの幸せを願えるなら、本当にみんなが幸せになれるんじゃないのかな」


 言葉にし終えると、不思議な感覚が鵯を包んだ。一歩進めたというような達成感と、まだ足りないような飢餓感が同時に沸いてきていた。

 その感覚を持て余す鵯に、祖父がそっと声をかけた。


「ヒヨは優しい子だ」

「……ボクが?」


 ああ、と祖父は嬉しそうに頷いた。


「鵯という名前をつけたのはおじいちゃんだ。人に優しくできるような子になってほしいと願ってつけた名前だったが、それがヒヨを縛っていたのなら悪かった」

「ううん、ボクはこの名前好きだよ」

「そうか。ヒヨが言ったことは間違ってない。みんなが大事な人の幸せを願えるなら、多くの人が幸せになれるのかもしれない。そう思えるヒヨが人の幸せを望んでいないなんてことはないよ。鵯の名に恥じない立派な子だ」

「そ、そうかな……」


 そんな言われるようなものだろうかと戸惑いながら返事をする。

 祖父は優しい眼差しで言い含めるように言った。


「ヒヨは自由だ。どんな風に生きたっていい。ただ、幸せでいてほしいとはおじいちゃんも願っているよ」

「ボクだって……!」


 祖父の言葉に、つい声をあげる。

 おじいちゃんにも幸せでいてほしい。その言葉をヒヨは飲み込んでいた。

 祖父はあと半年で死んでしまう。死んでしまえば、幸せも何もない。周囲の人間も悲しんでしまう。大事な人が生きているのは救いなのだということを、鵯は事故に遭った時に知ったはずだ。

 ほとんど反射的に、鵯は告白した。


「ボク、魔法少女なんだ」

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