25話 鹿沼鵯⑨

 考えるのは嫌いだ。

 人生、なるべく何も考えたくないと思って生きてきていた。考えたくないということすら、考えたくはなかった。

 身体を動かして跳んでいる方が、シンプルだ。

 鳥のように自由に飛びたかった。いくらなんでもそれはできなかったけれど、地上でできる限り自由に走り回った。そうするだけで鵯は満足していた。

 始めは兄が鵯の導き手だった。幼い鵯を裏山に連れていき、様々なことを教えてもらった。

 やがて兄は山で駆けまわるのをやめて、夕が一緒にいるようになった。鵯が導き手になったが、自由に走りすぎて夕を置いていってしまうことが多々あった。その度に夕を探し、謝るのだが結局すぐに置いていってしまう。

 それでも、次の日には一緒に山で走っていた。そのことが嬉しかった。夕は兄のように山からいなくなったりしない。夕は笑顔がかわいい。なんだかんだ鵯についてこれるようにもなった。

 けれど今――


「…………」


 不意に足を止めて振り返る。

 誰もいない。山の静謐な自然の空気が、鵯を包んでいるのを感じる。

 一人で山に入ったのだから、誰もいないのは当たり前だった。アヘルすらもここにはいない。一人でいたいからと待っているように言ったのだ。何か言いたそうではあったが、承諾してくれた。


「別に良かったのにな」


 自分にすら聞こえないぐらい小さく一人ごちる。

 一人でいたいとは言ったが、ついてくると言えば鵯もわかったと頷いただろう。無理についてきたならば、鵯だって無碍にはできない。

 誰もいないことを改めて確認した気持ちで、座り込む。疲れてはいない。まだ山に入ったばかりだ。このままいくらだって駆け続けることはできる。

 それなのに、今はこうして座っている。どうしてそうしているのか自分でもわからない。


『ヒヨは言うほどみんなの幸せは望んでいないと思う。もっと考えなさい』


 なんで、そんなことを言われなくてはいけないのだろうか。腹が立って仕方なかったが、言い返す気にもならなかった。言ってもどうせわかってはくれない。

 考えるなんてことに意味はない。鵯はそういうのが苦手だ。嫌いだ。身体を動かしている方が性に合っているし、考えていると身体が重くなっていく気がする。


「つまんないな」


 ぼやいて立ち上がる。

 夕もいない。アヘルもいない。誰も鵯の傍にいない。

 自由に飛び回る果てが、これなのだろうか。


☆☆☆


 魔法少女が怪物を斃さなかったことは、かなりのニュースになっていたようだった。

 誰に教えられるまでもなく、教室に入った瞬間にそれは確信できた。旅客機の時と同じぐらいか、下手をすればそれ以上に話題になっているのではないだろうかと思えた。

 席につく。この前話しかけた女子たちは、今日は違う場所で話をしていた。手の届く範囲には誰もおらず、声をかけることもできない。

 それでも昨日の怪物のことが話題になっているのは耳に届いてしまう。やはり、魔法少女を責める声が大きくなっているようだった。

 イライラが募っていく。鵯だって怪物を斃したかったのだ。それなのに、こんな勝手に言われる筋合いなどないのだが。


『考えなさい』

「…………」


 アヘルの言葉が脳裏によみがえる。言われてから、何回も頭の中で響いている言葉だ。

 鵯が考えてもたかが知れている。考えることなんて、できる人にやってもらえばそれでいいと思う。それなのに、アヘルは鵯に考えさせようとしている。

 一人でうんうんうなっていると、夕が教室に入ってきた。夕だ、と視線を向ける。

 目が合って、慌てたように逸らされた。

 我慢があっさりと限界を超えた。

 立ち上がって、つかつかと夕のところまで歩いていく。夕が驚くのにも構わずに腕を掴んで教室の外まで引っ張った。


「ちょ、ヒヨ!?」


 夕の悲鳴じみた声にも応じず、人気のなさそうな場所を探す。

 しばらく歩いて、夕の抵抗もなくなってきたころ、夕に向き直って訊ねた。


「なんか、話しやすそうなところ知ってる?」

「……ここではないよね」


 明らかに呆れた調子で夕がうめく。

 鵯は連れまわした挙句職員室の真ん前で止まっていた。


☆☆☆


「で、なんなの?」

「話してくれるの?」

「今更なんで……」

「避けてたから。ボクと話したくないのかなって思ってた。違うの?」

「それは……」


 場所も変わって、昼休みの屋上前のスペースに鵯と夕はいる。授業が始まるので時間もないと言われたので改め、場所も夕が案内してくれた。こんなところ初めて来たが、夕は何度か来ているようでここに座りなよと椅子も用意してくれた。軽い物置にもなっているようだ。

 座るなり切り出した夕に、鵯は普通に返した。目を逸らしていたのは夕の方なのだから、自分が正当だと思うのだが。

 夕は視線を壁に向けたまま、ぼそぼそとつぶやいた。


「それはもういいんだ。おれが悪かった」

「ふうん」


 別にどっちが悪いかなどはどうでもよかったのだが、普通に話してくれるのならそれでいい。

 鵯は自分の話を切り出そうと、少し椅子ごと夕に寄った。夕がその分距離をとろうとしたので、むっと来て詰めていく。


「ヒヨ、ストップ!」


 夕の制止に、鵯も止まる。椅子をばたばたと動かしたせいで溜まっていた埃が舞ってしまっていた。

 口元を手で覆って、夕に抗議の視線を送る。その意味を読み取った夕が唇を尖らせた。


「今のはヒヨが悪いだろ」

「夕が逃げるのが悪い」

「いや、だって……」

「話しづらいからいいでしょ」


 夕の言葉を遮って、夕のすぐ隣に移動する。これでやっと落ち着けると、本題を口にした。


「ボクさ、みんなが幸せならそれでいいんだけど」

「またその話かよ」


 夕がまた不貞腐れる気配を見せたが、構わずに続ける。


「ボクはみんなの幸せを祈ってるわけじゃないって言われてさ、そう見えるのかな」

「……誰にそんなこと言われたの?」

「誰でもよくない?」


 特に気にせずに言い返すのだが、夕は気にしているようなじとっとした視線を向けてくる。

 正直面倒くさいなと思うが、ここは答えた方がいいのかもしれない。また帰られたりしても嫌だし。

 かといって、魔法世界の妖精みたいなものとは言えないだろう。さすがに魔法少女であることまでを明かすわけにはいかない。


「……友達」

「ヒヨ……」


 夕がなにかを言いかけて口をつぐんだ。どうしてだか何を言おうとしているのかを察してしまい、少しむっとしながら口にする。


「ボクに友達がいると思ってないんでしょ」

「そんなことは……」


 気まずげに夕が目を逸らす。鵯が図星をついたことは明らかだったが、鵯の方も本当のことを言っているわけではないので強く追及もしにくい。

 なにはともあれ、と話を再開させる。


「とにかくさ、ボクが幸せを願ってないってそう見える?」

「うーん」


 夕は腕を組んで天井を見上げて考え込む。なんとなく視線を追う。もちろん何もなく、天井が見えるだけだ。空も見えないし、鳥が飛んでいるわけでもない。

 狭いな、と思う。壁があって、天井があって。

 山は良い。空はもっと良い。遮るものがなくて、自由だ。


「ヒヨはさ」


 夕の言葉に、そちらへ意識を戻す。


「なんでみんなの幸せを願ってるの?」

「そうするとボクも幸せだから。ほら、名前、鵯だし」

「そのみんなってのは、みんななわけでしょ?」


 夕が両手を広げて「みんな」を表現する。

 頷く鵯に、夕は少し嫌そうに言った。


「おれから見たらだけど、ヒヨは周りの幸せなんかなくても十分幸せそうだよ」

「なんで?」

「なんでって、走ってるとき楽しそうじゃん」

「楽しいって、幸せと同じなの?」

「そう言われると……」


 夕は眉根を寄せてまた考え込んでしまった。

 夕が言う通り走るのは楽しい。飛ぶのだってすごく楽しい。でもそれは幸せってことなのだろうか。

 鵯にとって幸せとは周囲の人の幸せで、嬉しそうに笑っているとそう感じる。母と父、兄に弟、もちろん祖父も。近所の人も、クラスメイトも、一緒にサッカーをする男子も。

 そして、


「…………」


 夕を見る。最近は、夕の笑顔を見ていないことに気が付いた。

 急にすごく寂しくなって、夕の腕をつかむ。夕は驚いて見返してきたが、振りほどいたりはしなかった。

 何か言いたいのに、言葉が全然見つからない。次第に寂しさより恥ずかしさが勝ってきて、掴む手を離した。

 沈黙の中、夕が控えめに言ってくる。


「ヒヨは、自由なんだっておれは思ってる」

「どういう意味?」

「ヒヨは色々と普通じゃないけどさ、そういうのそんな気にしてないしあんまり悩まないじゃん。それより走っていればいいって感じで。特に山を走ってるヒヨは羽が生えてるみたいで、本当に楽しそうだよ」

「ボク、自由なの?」


 夕は苦笑して、言い足した。


「ヒヨは、多分自分ひとりだけで幸せになれる人だと思う」

「そうかな……」


 言われたことがしっくりこない。

 自分ひとりで幸せになれるというのなら、他の人の幸せは必要ないということではないのか。

 考えるのは苦手だ。夕みたいに考えて言葉にできるのはすごいと思う。鵯にはできないことだ。そんな夕には、幸せになっててほしいのだけど。


(……あれ)


 何か引っ掛かりを覚えて、夕の顔をじっと見る。夕はやや仰け反るような反応を見せたが、気になったのはそんなことではなかった。


「夕はどんな時に幸せ?」

「おれ?」

「うん。教えてほしい」

「おれは……」


 夕は目を伏せて言いよどんだ。ちらちらと鵯の顔を覗くようにしていて、少しだけイラっときた。最近夕に感じる苛立ちの共通点が見えた。はっきり言わないからだ。今まではあまりそんなことはなかったのに。

 待つのにも飽きてきた。


「ボクさ、夕の笑ってる顔が好きなんだ」

「……いきなりなに」

「夕が笑ってると嬉しいよ、幸せだなってなる」

「ヒヨは誰が笑っててもそう思うんでしょ?」


 夕の指摘に、鵯はかぶりを振った。

 確かに、自分のことをそういう風に思っていた。自分以外の誰かの笑顔を幸せと思い、実際に嬉しく感じていた。

 けれど、最近はちょっとずつ変わってきたようだった。

 何が変わったのかはわからない。自分なのか、周りなのか。それを知ることが、アヘルが言っていた考えるということなのだろうか。

 わからないまま、心の中を口にする。


「夕が笑ってるのが、一番嬉しいよ」

「……え?」

「前にみんなと一緒って言ったけど、ちょっと違うみたい。夕が一番、ボクに幸せにしてくれるんだと思う。だからさ」


 普通のことを言っているはずなのに、妙に変な気持ちだった。でも、イラつくようなものじゃない。


「ボクも、夕のこと幸せにしたい」

「ヒヨ……」


 夕が石のように固まってしまった。何も言わずに見返してくるだけなので、鵯の方も何も言えない。

 胸の中がぐあっと持ち上がるような感覚に、急に落ち着かなくなった。椅子を蹴るようにして立ち上がって、階段を飛ぶように駆け下りていく。

 後ろから夕が呼び止めるような声が聞こえたような気がしたが、完全に無視して教室まで一目散に駆けた。


(な、なに、これ)


 顔が熱く、心臓も高鳴っている。走りはしたが、これぐらいで息が切れるわけなんてないのに。

 どうしてこうなっているのか、考えてもわからない。

 やっぱり、考えるのは嫌いだ。

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