23話 鹿沼鵯⑦

 とにかくむしゃくしゃする。

 そんな気分を晴らすために、鵯は山の中をとにかく飛び続けた。

 高速で木々の隙間を抜けていく。ほんの一瞬の油断で木に激突してしまう危険がある中、迷いなく全力で飛行する。

 山の景色はほとんど頭に入っている。それでもこのスピードで木々を避けていくのは困難だ。訓練として始めたものだが、鵯にとってのストレス解消のような役割も担っている。

 スピードを上げすぎると、わずかな接触も命取りになる。短い枝に引っ掛かるだけでも、軌道がずれてしまうのだ。

 しかし、そんなミスは魔法少女になりたての頃にわずかにあっただけだ。飛行に熟練した鵯は、どれだけギリギリで飛行を行う余裕すらある。

 が、今日はあっさりと木に衝突した。


「え?」


 自分自身ですら信じられない思いでうめく。

 惜しいところがあったというわけではない。今までにないような単純な失敗だった。

 地面に墜落した鵯は、呆然と空を見上げていた。こんなこと、ありえないと思っても現実に起こっている。


「ヒヨ?」

「……なんでもない」

「なんでもないことないでしょう。初めて見たよ、鵯がこんなにわかりやすく失敗するの」


 気遣っているのかどうなのかよくわからない声音に、つい気が尖る。

 寝た状態のまま浮き上がり、空中で姿勢を正す。再度、トップスピードで空を駆けた。

 今度は枝に服が引っかかった。びりっと激しく服が破れ、軌道も逸れ再び木に激突する。


「あーもう!」


 声を荒らげ立ち上がる。再度飛行しようと地面を蹴り、


「待ちなさい」


 アヘルの制止に、空中で急制動をかける。

 地面の方向を睨みつけて、勢いで怒鳴るように叫ぶ。


「なに!?」

「なにじゃなくて、そんな状態で続けたって意味ないでしょ」

「邪魔しないでよ、ボクはただ飛びたくて……」

「なにをそんなにイライラしているの」

「え?」


 いっそ無視して飛ぼうとしたのだが、あまりにもよくわからないことを言われたので止まってしまった。

 地面に下りていき、アヘルと目線を合わせる。困り顔で見返して、きょとんと訊き返した。


「ボク、イライラしてる?」

「してるでしょうよ」


 本気で呆れたように返されて、ますますわからずに瞬きをする。


「……帰る」

「え、ヒヨ?」


 変身を解除して走って山を駆け下りる。 

 走るのは、飛ぶのは、とても単純で鵯にとって大切なものだ。何も考えずに身体を動かすのが、鵯の自由だ。

 それが阻害されているという感覚が、不愉快を通し越して不思議になっていた。


☆☆☆


 家に戻ると、祖父に出くわした。

 というより、庭でなにやら筋トレのようなことをしていたようだった。元気な祖父に安心する思いで、とてとてと近寄っていく。

 鵯に気付いて、祖父は顔をほころばせた。


「お帰り、ヒヨ」

「ただいま!」


 元気に挨拶を返す。祖父に会うと、ささくれたった心が癒えていくのを感じる。

 だが、そんな鵯を見て祖父は眉をひそめた。


「服、どうしたんだ?」

「なにが?」


 きょとんとする鵯に、祖父はやりにくそうに目を細める。

 自分を見下ろして、枝に引っ掛けた服が派手に破けているのを思い出した。腹のあたりが丸見えになっているが、気になるわけではない。祖父は怒ったりはしないだろうし。母は怒るかもしれないが。


「ちょっと引っ掛けちゃったんだ」

「怪我はないか?」

「うん」


 変身していたのだから当然だが、さすがに口にせずに頷く。

 あれ、と気付くことがあった。


「おじいちゃん、痩せた?」

「少しな。どちらかといえばヒヨが大きくなったんだろう」

「そうかなー。背は伸びたかもだけど」


 あまり気にしてはいなかったが、六年生になったときと比べても大きくなったのかもしれない。

 身体を動かす感覚に戸惑うこともあるが、基本的には自由度が上がっていると感じている。これ以上背丈が伸びると不便そうだと思うこともあるが、今はそこまで気にしてはいない。

 祖父は鵯の頭を撫でて、話題を変えた。


「最近はどうだ?」

「……みんな変」


 ムカつきがよみがえってきて、頬を膨らませる。


「昨日のニュース見た? 魔法少女のやつ」

「ああ、見たよ」

「みんなあの話ばっかりしてるんだよ。魔法少女全部が悪いみたいな言い方もしててさ」

「ヒヨは魔法少女の味方なんだな」

「そういうわけじゃ、ないけど……」


 もごもごと口ごもる。魔法少女の味方というより、自分自身が魔法少女なだけなのだが。

 さっきまで気分が良かったのに、また少し変わってきていた。しかしささくれたってきたというよりは、戸惑いの方が強いように思えた。

 口をへの字に曲げて、祖父を見上げる。


「なんか、イライラするみたい」

「夕くんはどうしてる?」

「夕の話なんてしてないよ」

「じゃあヒヨは誰にイライラしてるんだ」

「…………」


 祖父を見上げたまま、じっと考える。誰に、という発想すらなかった。ただ感情がぐちゃぐちゃになっているだけで、何が原因かなんて思いもしなかった。

 考えても見当もつかず、吐き捨てるように独りごちる。


「めんどうくさい……」

「ヒヨ?」

「みんなもっと簡単になればいいのに」

「ふうん……」


 祖父は顎をさすって気遣うような眼差しを落としてきた。


「ヒヨは簡単なのか」

「ボクは簡単だよ。走って、飛んで、みんなが幸せならそれでいいもん」

「俺も、鵯が幸せなら嬉しいけどな」

「うーん……最近はちょっと違うかも。みんなの幸せをあんまり感じられないっていうか」


 どうしてだか、このところは周囲の人が幸せであると感じることができていない。言うまでもなく、夕は特にそうだ。

 夕のことを考えるとまたムカムカしてきた。

 祖父にこのことを訴えようと口を開こうとして、


「おじいちゃん?」


 祖父が胸を押さえてうずくまっていた。


「おじいちゃん! どうしたの!?」

「だ、大丈夫……」


 壮健な祖父に似つかわしくない弱々しい返事に、驚きすぎてパニックになりかける。

 どうしよう、とあたりを見回す。誰もいないが、家の中には母親か誰かがいるはずだ。


「おじいちゃん、ちょっと待ってて!」

「ヒヨ!」


 駆けだそうとしたところを呼び止められて、慌てて振り返る。そうしてから、祖父ではないことに気が付いた。

 アヘルだ。真っすぐな眼差しに、何を言われるか予感した。


「出たよ」

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