21話 鹿沼鵯⑤
「ふぅ」
風呂に漬かっているかのような、リラックスした声が漏れた。
ただし、鵯がいるのは風呂ではなく空中だ。既に宵闇が支配している夜空を、漂うように浮かんでいる。
怪物との戦闘を終え、一度帰宅して夕飯を食べるとすぐに家を出た。変身して空へ飛び出し、こうしている。
空中に浮かんでいると、とても大きい安心感がある。怪物との戦いで昂った気持ちが静まり、落ち着いた気持ちになれる。
物心ついたころから、鳥に対するあこがれを持っていた。自分の名前が鳥のものであるということにも関係なく、空を自由に駆ける鳥たちのようになりたいと思い裏山を駆けまわっていた。本を、テレビを、実物を見て、鳥へのあこがれを強くしていった。
実際に飛べるようになるなんてさすがに想像してはいなかった。それが不思議な形で叶ったことに満足している。怪物との戦いも、苦というほどでもない。
「ヒヨ、今日の戦いについてだけど」
「うん? なんかあるの?」
面倒くさがりながら訊き返す。人がせっかく気持ちよく飛んでいるのに。
アヘルは厳しい眼差しで鵯に告げた。
「少しは危険を避けるように戦いなさい」
「なんか変だった?」
「怪物の攻撃避けようとしなかったでしょ」
「当たる前にどうにかなると思ってたからだよ」
「確信があるわけではないじゃない」
アヘルの小言を眉をしかめて聞き流す。
アヘルが言っているのは、怪物のかぎ爪を避けずに魔力の鳥を撃ち込み続けたことだろう。弱点を突けなければやられていたかもしれないが、どうにかなると思っていたのだからしょうがない。
あの時、というか戦闘中は常に鵯は固有魔法を発動させている。
鵯の固有魔法は「幸運」。対象を幸運にする能力だ。
鵯はこの固有魔法をひどく曖昧にとらえていた。運が良くなる程度の認識で、細かい検証は行っていないため効果の限界などはわかっていない。
それでも鵯は幸運の固有魔法を信じていた。現に適当に飛んでも怪物の攻撃には当たらないし、適当に撃っても弱点に当てることができる。むしろ変に狙わない方がいいのではとすら思っている。
この固有魔法は自分以外にも複数同時にも使用ができる。現場に人がいればそちらにも使用することで、怪我などを避けられると思ってやっているのだが。
アヘルは鵯の固有魔法を有用と認めつつも、頼りすぎではないかという指摘をよくする。鵯も最低限は気を付けて戦ってはいるのだが、面倒で話を途中で投げてしまう。
「ヒヨは自分の命を軽視してるんじゃないかって思うことがあるよ」
「それよく言うけど、ボクは死にたいわけじゃないって何度も言ってるよね?」
「そうは言ってるけど、別のことも何回も言ってるでしょ」
「何が?」
「死ぬのは怖くないって」
「それは……言ってるね」
「この際だから訊くけど、どういう意味なの?」
「どういう意味もなにも、言葉通りだよ」
普通に返すのだが、納得していない気配を感じて何度目かの面倒を感じる。せっかく気持ちよく空を飛んでいるのに、静かにさせて欲しかった。
隠すようなことでもないので、諦めて話し出した。
「ボク、事故に遭ったことがあるんだよ」
小学生になってすぐ、鵯は車に撥ねられた。
車側の信号無視で、かなりのスピードが出ていたそうだ。鵯は重傷を負い、生死を彷徨った。
そこから目を覚ますまでの間、鵯は意識があった。これは誰に言っても信じてくれないのだが、鵯にとっては間違いのない事実だ。
車に撥ねられて、身体が動かなかった。身体中はひどく痛んだが、それもすぐに慣れた。アルファルトの感覚が嫌だなとかそんな呑気ことを考えていた。
救急車に運ばれて手術が始まっても、鵯は平常心のままだった。自分が大怪我を死にそうになっているということはわかっていたが、恐怖心もなかった。
死ぬということは別に怖いことではないのだなと、その時にわかった。
結果として鵯は助かり、心配した家族に囲まれた時は生きていて良かったなとは思った。家族の喜ぶ姿は、鵯に強くそう思わせた。
話し終わった鵯に、アヘルはひどく怪訝そうに言った。
「要は死ぬことに恐怖心がないってこと?」
「うん。あんまり痛いって思うこともないし」
「なんか引っかかる言い方。死ぬのが怖くないのとはまた違うんじゃないの?」
「だから、死のうとしてるわけじゃないってば。家族も悲しむし」
「……ヒヨ」
「もううるさいな」
アヘルの言葉を遮って、横になっていた体勢を変える。帰ってしまおうと下を見て、あるものに気が付いた。
軽く下降する。鵯が見ているのは裏山の中だ。そんなことは考えにくいと思いながらも、自分が見たものを信じる。
「夕だ」
「夕がどうしたの?」
「山にいる」
「どこ?」
訝しけなアヘルを無視して、下降を続ける。ちらっとそれらしい影が見えただけだが、間違いなかった。
山の中に下りて、変身を解除する。こっちかなと、半ばあてずっぽうで足を進めた。
木にもたれかかるようにしてうずくまっている夕を見つけて、やっぱりと声をかける。
「夕、なにしてるの」
「ヒヨ!?」
夕は弾かれたように顔を上げた。
「どうしてここに? 父さんから何か言われたの?」
「何の話? ボクは夕が見えたから来てみただけだよ」
「見えたってどこから?」
疑問そうな夕に「空から」と答えそうになって、さすがに踏みとどまる。
「どこでもいいじゃん。それより夕が一人で山にいる方が珍しいよ」
夕はなおもなにか言おうとしていたが、結局は飲み込んだようだった。
「塾が終わって、こっちにきたんだよ」
夕の説明に首を傾げる。それは鵯の訊きたいことからは微妙にずれているような気がしたが、そういう小さい齟齬は鵯にはよくあることだったのでそのまま受け入れる。
とりあえず夕の正面に胡坐をかいて座り込む。
最近の夕はやっぱり変だ。気力を感じられないし、鵯にもそっけない。それを思うと、妙にイライラもする。
「夕が最近変なのって塾のせいなの?」
夕はゆっくりと鵯と目を合わせた。揺れる瞳はやがて地面に落ちて、ぽつりとつぶやきが夕の口から漏れる。
「ヒヨはさ、おれのことどう思ってる?」
「いきなりなに?」
「いいから。答えてよ」
困惑に眉をしかめる。それが今話していることに何の関係があるのだろう。
夕をどう思っているのか、答えは簡単で迷う余地もない。けれど、どういえばそれがちゃんと伝わるのかがわからない。
少し考えて、結局頭に浮かんだままを口にする。
「夕のことは好きだよ。幸せになって欲しいって思ってる」
「幸せ……?」
鵯の言葉に目をしばたたいて、夕は首をひねった。少しして、夕は嬉しそうに顔をほころばせた。
(あ、笑った)
鵯の好きな顔だ。久しぶりに見れた気がして、嬉しくて鵯も笑ってしまう。
「おれも、ヒヨには幸せになって欲しい」
勢い込んでくる夕にどこか訝しいものを感じて、少し体を引いた。
「おれ……」
「ボク……」
言葉が被さった。夕が笑って手つきで譲ってきたので続ける。
「ボクはみんなが幸せならそれでいいよ」
「……どういうこと?」
「言ったままだよ。みんなが幸せなら、ボクはそれでいい」
鵯の言葉を受けて、夕は眉をしかめて考え込んだ。
微妙な反応に、変なこと言ったかなと訝しがる。
「みんなって誰のこと?」
「みんなはみんなだよ。お兄ちゃんも、夕も、近所の人も、クラスの子も、全部」
夕は理解が追い付かないという表情で、鵯のことを見つめている。
「じゃあさ、おれに幸せになって欲しいっていうのは他のみんなと同じようにってこと?」
「そうだけど」
夕が苛立っているように見えて、不安を覚える。なんでそんな不満そうにするのだろう。やっと夕の笑っている顔が見れたのに。
「おれが特別ってわけじゃないんだよな」
「そうだね」
そういう意味で言うのならその通りでしかない。
夕は立ち上がって鞄をかついだ。鵯も慌てて立ち上がるが、夕は構わずに歩いていく。
「なんだよ、バカみたいじゃん」
「夕?」
呼び止めてみても、夕は止まらずに進みすぐに見えなくなってしまった。
追いかければすぐに追いつくだろうが、そういう気にもならなかった。
「何を怒ってるんだろ……意味わかんない」
「うーん……」
隣でアヘルが困った顔でうなっている。なんだかムカついたので、それを無視してさっさと家に帰ることにする。
幸せでいてほしいのに、どうして自分はそうはできないのだろう。
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