19話 鹿沼鵯③

 祖父が来たのは、夕食の時間の少し前だった。

 部屋の中をうろうろとしていた鵯は、玄関のドアが開いたのを察知するとすぐさま部屋を飛び出した。

 玄関には、予想通り祖父の姿があった。


「おじいちゃん!」

「おお、ヒヨか! 元気だったか?」

「元気だよ!!」


 答えながらぴょんと祖父に抱き着く。祖父は相貌を崩して鵯の頭をわしゃわしゃを撫でた。

 祖父は名をつばめといい、父方の祖父にあたる。燕の妻は鵯が生まれる前に亡くなっていて、現在は遠くで一人暮らしをしている。まだまだ元気だというのが口癖で、実際に大きい体躯を持ちいつも元気にあふれている。

 鵯はこの祖父のことが大好きだ。祖父の豪放磊落さは鵯にとても合ったし、話していてとても楽しい。

 と、祖父が鞄を持っていることに気が付いた。いつもは手ぶらな祖父には珍いので、気になって訊ねる。


「おじいちゃん、荷物どうしたの?」

「ああ、少しの間泊めてもらおうと思ってな」

「ほんと!? やったぁ!」


 祖父に抱き着いたまま飛び跳ねる。祖父はいつもは一泊だけして帰っていくので、これは鵯にとっては嬉しいサプライズといえる。


「いらっしゃい、お義父さん」

「すまないね。世話になるよ」

「ほら、鵯もくっついてないで。手伝ってちょうだい」

「はーい」


 名残惜しく祖父から離れて、リビングへ駆けていく。すぐに走らないのと母に注意されたので、返事だけはしておいた。

 兄がおそるおそると伺うようにリビングに入ってくる。祖父はそんな兄を見つけて、すぐにヘッドロックを決めにかかった。


「うわ、もう来てた!」

「おう、鶫も元気していたか」

「元気だから離せよ!」


 兄が祖父とじゃれているのが羨ましいので鵯も参加したかったが、母に釘を刺されたので大人しく食卓の準備を手伝う。


「鵯、にお連れてきてくれる?」

「はーい」


 ある程度準備が済んだところで、母から新たな指示をもらった。

 鳰は鵯の弟で、現在は小学二年生だ。鹿沼家は三人兄弟で、上の鶫、弟の鳰に挟まれた鵯が真ん中になる。

 鳰の部屋をノックする。返事はなく、十秒ほど待ってから、ドアを開けた。


「鳰、ご飯だよ」

「うん、今行く」


 弟は本を読んだまま、顔も上げずに返事をした。兄とは違い、漫画ではなく小説を読んでいる。

 兄も弟も完全にインドアで、家にいてばかりいる。兄はぐうだらでそうしていると鵯は思っているが、弟はもとからそういう性質の人間だった。それなのに運動神経は鵯と同じぐらい良い。もったいないな、と鵯は思うが楽しそうに本を読んでいるのでいいかとも思う。

 弟は本を離さない。いつものことなので、鵯は後ろから弟のわきの下に腕を通して担ぐようにして運んだ。

 廊下をずるずると引きずっている途中で、弟は本を閉じて自立歩行を始めた。キリのいいところまで読めたらしい。そんな弟の後ろについて、再度リビングに入っていく。


「お、鳰も元気か?」


 祖父を見て、鳰はゆっくりと頷いた。照れているような態度だが、誰にでもこういう子だ。

 父もちょうど仕事から帰ってきて、六人で食卓を囲む。

 六人の食卓はいつもに増して賑やかだった。祖父が一人いるだけで、雰囲気は変わり鵯もつられるように饒舌になる。鵯は普段は食事中は静かにしている方なのだが、祖父がいると完全に反転する。

 けれど、いつもの賑やかさが少し欠けているような気がした。特に両親がやや沈んでいるように見える。


「ヒヨは学校ではどうしてるんだ?」

「今日はサッカーをしたよ」


 祖父からの質問にそちらに意識を向ける。両親のことはたぶん気のせいだろうと流して、どんな風に学校で過ごしているかを話した。


「そうだ、おじいちゃんに訊きたいことがあるんだけど」

「わかった。後でヒヨの部屋に行くからな」

「うん!」


 夕食を終え、片づけをしようとしたら今日はいいと母親に言われた。いつもなら手伝えというのにと疑問に思ったがラッキーだなと受け入れて部屋に戻る。

 椅子に座り、足をぶらぶらさせて待っているとアヘルは呆れたような口調で言ってきた。


「本当に燕のこと好きだね」

「うん、おじいちゃんは大好きだよ。ボクの名前つけてくれたのはおじいちゃんだから」

「そうだったね」


 鹿沼家は代々鳥の名前を付ける習わしがあるそうで、嫁入りした母以外は全員鳥の名前がついている。

 鵯という名前には鳥言葉で「隣人への愛」という意味がある。鵯自身はこの意味ごと名前のことは気に入っていて(書くのが少し面倒だが)、そんな名前を付けてくれた祖父への懐きも強くなった。


「ヒヨはあまり隣人へ愛を注ぐタイプには見えないけど」

「そうかな。ボクだってみんなが幸せになればいいなって思ってるんだけど」

「……どうすれば幸せになるの?」

「知んない。でも、なにか良いことがあれば良い気持ちになるよね」


 鵯の答えに、アヘルははぁと聞えよがしに吐息した。

 隣人への愛、というのは実際のところ鵯もよくはわかっていない。誰かに優しくすればいいのかもしれないと思い、頼まれたりすればできる限り力になるようにはしている。のだが、実際そんな機会はないのが実情だった。生きてきて誰かに頼られたことなどほとんどない。鵯はみんなそんなに困っていないのだろうと思っている。

 なんにせよ、鵯は自分以外の人間の幸福を祈って生きてはいる。どうしてだか、誰にもわかってもらえないが。

 少しして、ノックとともに祖父の声がした。


「どうぞー」


 鵯の承諾とともに、ドアが開く。

 祖父は部屋に入って、ざっと部屋を見回した。


「相変わらずの部屋だな」

「うん、欲しいものもそんなないし」

「お小遣いはもらってるだろう?」

「お菓子は買うよ」


 一か月に千円をお小遣いとしてもらっている鵯は、特に計画性もなくお菓子を適当に買って終わる。欲しいものがないため、貯めるという考えもなく気づいたら使い切ってしまっているのだ。


「それで、訊きたいことっていうのはなんなんだ?」

「あ、うん。レンアイってなに?」

「……なんだって?」


 祖父は面食らったように訊き返してきた。

 だから、と鵯は辛抱強く繰り返す。


「レンアイってどういうものなのか、教えてほしいの」

「どうして知りたいんだ?」

「気になったから。最初はお兄ちゃんに訊いたんだけど、役に立たなくて。だからおじいちゃんならわかるかなって思ったんだ」

「……そうか」


 ゆっくりと頷く祖父に、ベッドに座るように勧める。

 身体の大きい祖父がベッドに座ると、ぎしりと大きい音を立てた。祖父が部屋に来ると必ずベッドに座るのだが、毎回鵯が何も言わないとそのままでいるのが少し可愛いと思う。

 そんな祖父の姿に、少しだけ違和感を感じた。


(小さくなった?)


 祖父の身体が、今まで感じたよりも縮んでいるように見えた。


「好きな人でもできたのか?」

「……あ、うん」


 祖父が話を続けたので、慌てて応じる。


「仲の良い友達はいるんだけど、そういうものかって言われるとよくわからない」

「大事なのか」

「うん、まあ、そうだね」

「家族との大事さとはなにか違うのか」

「…………」


 首を傾げる。夕は確かに大切な存在だが、どういう差異があるのかというとうまく説明できない。


「わからないことを訊くのはいいが、自分で考えてもいいな」

「うーん、おじいちゃんなら教えてくれると思ったのに」


 膨れて言うと、祖父はイジワルそうに笑った。

 祖父とは普段は他愛もない話が多いが、たまにこういった鵯がわからないことを訊くこともある。ストレートに教えてくれることはほとんどなく、大体なこういう形で返される。けれど兄とは違い、役に立たない感じではない。祖父だけは、鵯と真っすぐに話してくれているというのを感じるのだ。

 だから、今回も鵯は考えてみることにした。

 できれば、夕も一緒に考えてくれるといいのだけど。そう思うと、いてもたってもいられなくなってきた。


「ちょっとでかけてこようかな」

「こんな時間にか?」

「うん、夕と話したくなったから。そろそろ塾も終わると思うし」


 椅子から立ち上がる鵯を、祖父は手で制した。


「もう遅いだろう。相手にも迷惑だ」

「んー、でも夕に会いたい」

「…………」

「?」


 祖父が優しい目で見てきていたので、疑問に首を傾げる。別に変なことは言ってないはずだが。


「夕くんとは仲良くしてるみたいだな」

「そうなんだけど、最近なんか変なんだよね」

「どう変なんだ?」

「そっけないっていうか……あんまり話そうとしてくれないっていうか」

「それで、ヒヨはどう思ったんだ?」


 祖父の問いに、うーんと考え込む。最近の夕に対する感情は……


「ムカつく」

「……そうか」


 祖父はやはり優しい眼差しを投げるだけだ。他の人だったらそれこそムカつくのだが、祖父だとその意味について考えさせられてしまう。

 鵯の微妙な戸惑いを悟ったように祖父は立ち上がり鵯の頭をゆったりと撫でた。ごつい手で撫でられる感覚は別に気持ちいいわけではないが、祖父にされると反感を覚えることもできない。

 祖父は名にも言わずに部屋を出ていった。宿題でも出された心地で、鵯は不満を込めてドアを睨みつける。

 夕に会いに行く気もなくなってしまった。確かに時間も遅いし、またああいう態度を取られてしまってはムカついてしまいそうだ。

 祖父とのこういう会話はちょっとイライラするときもある。でも、鵯に伝わると思って言っているのもわかってしまうので、それなら仕方ないなと思ってしまうのだ。

 要は、祖父のことが好きなのだろう。


(好き、か)


 祖父だけが好きというわけではない。兄や弟、家族は全員好きだし、夕だって好きだ。他の人だって、まあ嫌いではないしできればみんな幸せになればいいとは漠然と思ってはいる。

 レンアイだとか、そんなものは実のところはどうだっていい。

 ただ、夕のいつも通りのではない態度が嫌だっただけなのだ。


「ヒヨ、今日は飛びには行かないの?」

「うん、いい……」


 アヘルの確認に適当に手を振って応じる。もうそういう気分ではなくなっていた。

 すっきりしないまま、ただ行先のない考えにぼんやり浸っていた。

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