18話 鹿沼鵯②

「ヒヨ、そっちじゃないって!」

「あ、逆?」


 よくわからないが、逆というのなら逆なのだろう。進もうとしていた足を止めて、振り返る。

 目に前に来ていた男子を、足元のボールを蹴りながら躱す。正面方向になったゴールへ向かって、真っすぐにドリブルしていく。

 別の男子が、横から足を出すようにして止めに来た。ボールを足ではさんでぴょんと跳ぶ。危なげなく着地して、スピードを落とさずにゴールまで一直線に駆けていく。

 ゴールでは、キーパーが腰を落として鵯を待ち構えている。

 特に気にすることはなく、無造作にボールを蹴り込んだ。

 左隅に飛んでいったボールはキーパーを置いてけぼりにしてネットを揺らした。待っていたとばかりに、フィールド内で歓声があがる。


「ようし!」

「ようしじゃねえよヒヨはチートだろ!」

「チートってなに?」


 ヒヨの素朴な疑問に答えるものはなく、全員元の配置に戻っていく。

 昼休みだ。鵯はいつものように男子に混じってグラウンドでサッカーをしている。

 肩を叩かれた。鵯の相手方でキーパーをしていた男子だ。彼はゴールを親指で示して、


「交代」

「あ、うん」


 頷いて、ゴールの方に小走りで向かう。キーパーを交代する決まりがなにかあったのを思い出す。どんなルールだったかはちょっと忘れてしまっているが。

 仕切り直しになったゲームは、鵯のチームが優勢だった。そのせいでこちらにボールが来る気配もなく、すぐに退屈してきた。

 近くにいるディフェンスの男子に声をかける。


「ねぇ」

「なに、おれ?」

「そうそう。あのさぁ、最近夕変じゃない?」

「夕が?」


 男子は向こうを向いた。夕もサッカーに参加していて、今は鵯の相手チームだ。一生懸命にボールを奪おうとしているが、あっさりと躱されていた。

 ボールがラインを割って転がっていったタイミングで、男子は鵯に向き直った。


「別にいつも通りじゃない?」

「そうかなー」

「ていうか、なんでおれに訊くの?」

「訊いたらダメだった?」

「そうじゃなくてさ」


 男子は困ったように頭を掻いた。数歩こちらに寄って、声を潜めて言ってくる。


「お前ら付き合ってるんだろ?」

「付き合うってなに?」


 鵯の返事に男子は思い切り呆れた表情を浮かべた。鵯は戸惑いを前面に浮かべて、困惑するばかりだ。


「誤魔化すにしてももうちょいなんかあるだろ」

「付き合うってレンアイ的な?」

「わかってんじゃん」


 意味ぐらいは分かるが。

 んー、とうなってかぶりを振る。


「ボクと夕はそういうんじゃないよ」

「付き合ってるって話だけど」

「夕がそう言ってるの?」

「……そういうわけじゃないけど」

「じゃあ誰が言ってるの?」


 本気で訳が分からないので、かなり困惑して訊ねる。

 男子は面倒くさそうに手をひらひらとさせた。


「みんなだよ、みんな」

「みんな……?」


 サッカーボールを取り合っている男子を遠目にうめく。まさかあの全員がそんな話をしているのだろうか。


「もいっこ訊いていい?」

「なんだよ」

「レンアイってなに?」

「…………」


 今度は完全に無視されてしまい、鵯は八つ当たりで地面を蹴って砂を巻き上げた。


☆☆☆


 夕は塾の日なので、授業が終わるとさっさと帰ってしまった。

 こうなると、鵯には一緒に帰る友人はいない。つまらなさを抱えて一人で帰宅するその道中で、ぼんやりと考える。

 レンアイとはなにか。

 鵯がこれまで一度も考えたことのないことだった。人生で必要となったことはないからだ。

 動物はつがいになり、子供を産む。それはレンアイとは違うものなのか。鵯は子供を産むつもりなどないので、たぶん違うのだろうと結論する。

 思いついたのは、わからないことは人に聞いてしまおうということだ。そしてその相手にも見当をつけていた。


「レンアイってなに?」

「は?」


 間抜けな感じで訊き返してきたのは、兄のつぐみだ。

 兄は部屋でだらだらと漫画を読んでいた。鵯が部屋に入ってきても振り向くこともしなかったが、問いかけにやっとこちらを向いた。

 兄は露骨に面倒くさそうなしかめっ面をして、漫画を開いたまま逆さにして机に置いた。


「いきなりどうしたんだ?」

「わからないから訊いてるの」

「なんだ、好きなやつでもできたのか?」

「なんで?」

「なんでって……じゃあなんでそんなこと気にしたんだよ」

「話に出てきて、気になったから」


 兄は腕を組んでうなり声をあげて天井を仰いだ。鵯は兄のベッドに胡坐をかいて、答えを待つ。

 ややあって、兄は困ったように口を開いた。


「そういう話は女の子同士の方が話しやすいんじゃないのか?」

「そうできればよかったんだけど、ボク話せる女の子いないの」

「うん?」

「だから、ボク女の子の友達いないの。一人も」

「そう……か」

「そう、ボクもさっき気づいたんだけど」


 戸惑う兄にこくりと頷く。

 兄は難しい表情で鵯を見ている。なんだその顔はと文句を言いたくなったが、我慢しておく。


「だからお兄ちゃんを頼ってみたんだよ」

「そ、そうか」


 兄は少し張り切ったようで、座りなおして姿勢を正した。

 指を立てて、いいか、と真剣な眼差しで言ってくる。


「恋愛っていうのだな……なんていうか……」

「あ」


 兄の話を遮って、気づいたことを確認する。


「お兄ちゃん彼女いるの?」

「………………いない」

「いままではいた? 見たこともないけど」

「………………いない」


 気まずそうな兄を半眼で見つめて結論を下す。


「じゃあ聞いてもしょうがないじゃん」

「おい!」


 役立たずの抗議を無視して、部屋を出る。これ以上ここにいても何も得られそうにない。

 困ったなと思いながら自室に戻る。兄でダメなら他の人に訊くしかないのだが。

 鵯の部屋は非常に簡素で、机とベッド、そしてタンスがあるだけだ。趣味の類のものは一切ない。唯一鵯が好きで置いているものは、机にある鳥類図鑑ぐらいだ。あとは鳥の小物が机に並んでいるが、もらいもので鵯が購入したものではない。

 ベッドに座った鵯にアヘルがねえ、と遠慮がちに声をかけてくる。


「ヒヨ、あなた……」

「うん? ああそうだ、アヘルはレンアイわかる?」

「……あのね」

「うーん……後で夕に訊きに行こうかな」

「それはやめなさい」


 やけにきっぱりと言われて、目をぱちくりとさせる。


「なんで?」

「いいから」

「……うん」


 得心は行かなかったが、そんなに強く言うのならと従うことにする。

 ぼすん、とベッドに横になる。視線の先にある天井はあまりにも近くて、見ているだけで不満が高まってくる。

 山や空という自然は好きだ。駆け回ると元気になれるし、全てがシンプルなのだと思える。自然はすべてを超越していて、鵯に自由を与えてくれる。

 一転して、山から下りるとわからないことだらけだ。スポーツのルールもあまり理解できないし、友達は夕だけだし、最近ではその夕のことでもわからないものがある。わからないから訊こうとしているのに、「どうしてそんなこと訊くの」というような態度を取られたりするし、兄は役に立たない。

 鵯にとって、この世界はとても窮屈だった。よくわからないルールが多すぎて混乱させられっぱなしだ。


「アヘル、ちょっと飛んでこようか」

「まあいいけど」


 承諾するアヘルに頷いて、ベッドから降りる。

 と、部屋のドアがノックされた。返事をすると、ドアが開いて兄が顔を覗かせた。


「どうしたの?」

「さっき連絡きたんだけど、じいちゃんがこれから来るってさ」

「え、今から?」


 気色に滲む鵯とは対照的に、兄は無表情で頷き戻っていった。


「アヘル、飛ぶのはなしね」

「ん、わかったよ」


 鵯はそれこそ飛び上がる気分で部屋の中をぱたぱたと歩き回る。

 祖父にもうすぐ会えることが、鵯を浮かれさせていた。

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