15話 桐生苗⑧

 彩希との接触は、苗を打ちのめすだけの結果に終わった。

 彩希のような考えの魔法少女がいることもわかっていたはずだし、一人でダメなら別の魔法少女をあたればいい。

 そう思っているのに、どうしてだか動けなかった。ぬるい倦怠感が全身にまとわりついているような感覚がして、気力も低下していた。

 立て直そうにも上手くいかなかった。空回りが続き、学校でも様子が変だと心配されてしまう有様だった。魔法少女を味方する苗に白ける向きもあったが、変わらず苗に相談を持ち掛ける子も多かった。苗はその全てに対応したが、調子が上がらないまま万全の対応とは言い切れないままになってしまった。

 明日こそは、と繰り返して三日ほどが経っていた。

 訓練にも行けなかった。やることはいくらでもあるはずなのに、どれも実行に至ることができない。こんな状態になったのは、あの時以来だ。嫌な記憶も思い出されて、部屋の中でまんじりともしない時間を過ごすことが増えた。リーフマンも何も言わず、ただぬいぐるみのようにじっとしていた。

 苗にとって、魔法少女との直接的な接触は切り札のようなものだった。話せばわかってくれると信じていたのだが失敗に終わった今、手立てが何も浮かばない。魔法少女への批判を見るのが嫌で、インターネットを見ることもしなくなっていた。

 正しいことをする。

 これだけを人生の目標としてやってきていた。魔法少女になって、広い範囲でそれを行えるはずだった。それなのに苗は結局何もできなかった。今だってこうして、正しさも何もなくじっとしている。

 怪物はまだ出現していない。苗のところにも、彩希のところにもだ。


(怪物が出てきて魔法少女が斃せば、少しは風向きが変わるかな……)


 そんな思考が芽生えてきて、ばっと立ち上がった。


「……どうした?」


 さすがに気になったのか、リーフマンが訊いてくる。

 それには答えず、この数日触れていなかったパソコンを起動させる。すぐに魔法少女の情報を探しながら、内心で自分自身に罵声を浴びせていた。


(馬鹿か! 怪物なんか出ないに越したことないに決まってる! こんなこと考えるのは正しくない、行動しないと私がブレる……!)


 インターネット上では、最後に苗が確認した時と何も変わっていなかった。魔法少女への批判は変わらず存在していて、状況に変化はまるでない。


(彩希はダメだった。あれじゃ説得は難しいかもしれないけど、訓練してるってことは前向きに考えてもいるはず。他の魔法少女を探しながら、彩希とも継続的に話せれば……ああ、連絡先を先に聞いておけばよかった)


 思考を回しながら、情報を集めていく。だが有用な情報は一向に見つからない。

 正しさを為さないといけないのに、その足掛かりも見つけることができない。

 しばらくインターネットを見ていたが、やがて力なく操作する手を止めた。


「リーフマン」

「何だい?」

「私、どうしたらいい?」

「ボクが決めることなのかい?」


 すげない返事に返す言葉を失う。

 全ての気力を失って、ベッドに横になり天井を見上げる。気持ちの重さが体にも及んでいて、指一本動かせる気がしなかった。

 リーフマンの言うことは正しい。苗がすることは苗が決めるべきで、これまでだってそうしてきたはずだ。ここでこうして動けなくなっているのが、今までの苗からすればおかしい。


「苗」


 リーフマンがベッドまで飛んできた。苗の顔の横に止まって、羽を一度動かす。


「キミはどうして、そんなに正しいことにこだわっているんだ?」

「どうしてって……」

「この世界は、単一の正しさというものがないように思える」

「なに?」


 よくわからずに聞き返すと、リーフマンは滔々と続けた。


「ユービスはこの世界に比べればとても小さいものだが、その分正しさに関しては統一されているともいえる。ユービスには十人の最高純粋魔女が存在して、基本的には彼女たちがすべてを支配していると言ってもいい」

「うん……?」


 つらつらとユービスの話をされて、寝たまま首を傾げる。そういえば、ユービスの詳しい話というのは聞いたことがなかった。


「キミのいう正しさはこの世界は普遍的かというと難しいようにも思えるんだ。というより、キミのいう正しさが何をさしているのかボクには正直よくわからない」

「正しさは正しさだよ」

「それではわからない」


 リーフマンを睨みつけるが、リーフマンは迷うような顔を見せていた。予想外の表情に戸惑って、リーフマンの言葉を待つことにする。


「キミが正しさにこだわるのは、何か理由があるんじゃないか?」

「それは……」

「できれば、聞かせてみてほしい。キミのことを、ちゃんと知りたいんだ」


 リーフマンの真剣な表情を受けて、上体を起こした。あぐらをかいてリーフマンを見返す。

 そこで唐突に気が付いた。苗も、リーフマンのことをよく知っているわけではない。癖のようなものは見えても、お互いにどんな人間かはなんとなくしか知らないのではないだろうか。

 しばし迷って、諦めたように口を開いた。


「一年生の時に、友達がいたんだ」


☆☆☆


 同じクラスの席が隣の女の子で、入学して最初に仲良くなった子だった。彼女も含めて数人で遊んだりもしていたが、二人だけで遊ぶことも多かった。必ず苗の家でだったが、当時放送されていた魔法少女のアニメを見たり人形で遊んだりしていた。


「すごく仲良かったんだよ……親友、みたいな」


 現在の苗には親友と呼べる関係の人間はいない。友達は多いが、深い関係の人間というのはまったくいない。当時の苗たちは幼くて単純だったが、今も付き合いが続いていたなら間違いなく親友といえたはずだ。

 ただ、当時の苗は親友という言葉を知らずに一番大切な友達という言い方をしていた。

 毎日のように遊んでいた彼女だったが、やがて一つの疑問を持った。


「向こうの家には入れてくれなかったんだ」


 今日は自分の家で遊んだのだから、明日はそっちの家で。

 苗のそんな提案に、彼女は決して首を縦に振らなかった。散らかってるから、お母さんがダメだっていうから、毎回様々な理由を述べて結局は苗の家や公園で遊ぶなどしていた。

 このことは、当時の苗は非常に不満に思っていた。公平ではないと思ったのかもしれない。友達のことをもっと知りたかったという気持ちもあったろう。苗は、彼女の家がどこにあるのかさえも知らなかったのだ。


「私も子供でさ、どうしても行きたいって言ったんだよね」


 そっちの家に行ってみたと駄々をこねるように――いや、それは実際に駄々以外の何物でもなかった。毎日のように言い続けた結果、彼女は困りながらもとうとう応じてくれた。

 誰もいない日の方がいいということで、彼女の家に行った時には確かに誰もいなかった。

 ただ、その家はあまりにも汚かった。何かの冗談かのような汚さに、圧倒されてしまっていた。


「その時は、本当にびっくりした」


 彼女が住んでいたのは小さいアパートで、部屋も狭かった。こういってはなんだが、苗の家のリビングより多少広い程度のものでしかなかった。狭いね、と直接言わない程度には当時の苗にも分別はあった、と記憶している。それどころではなかっただけかもしれないが。

 部屋の隅にはごみ袋が重ねられていて、余計に部屋を狭く感じられていた。不快なにおいもして、思わず顔をしかめてしまったほどだ。

 呆然としている苗に、彼女は苦笑いした。だから言ったでしょと言わんばかりの表情に、苗はなんとか笑顔を浮かべて遊ぼうよと言った。

 その次は苗の家に集まり、自分の家ではないのに関わらず彼女はとても落ち着いた風にしていた。それでも苗は次はそっちの家に行きたいと言った。ただの意地のようなものだったと思う。彼女は目を見開いて驚いていた。


「その時の顔はすごく印象に残ってる」


 目を閉じて、当時のことをまぶたの裏に浮かべる。

 ただ意外というだけで、嬉しそうでも悲しそうでもなかった。本当に虚を突かれたという表情に思わず笑ってしまったのを覚えている。

 それ以来、頻度は少なくても彼女の家に行くようになった。いつ行っても彼女の家には誰もいなかったし、苗の家にいる時の方が落ち着いているようではあったが。

 さすがに子供心にも彼女の家が普通ではないというのは感じられていた。だからといって誰に話ができるわけでもなく、悶々とした日々を過ごした。

 そんなある日、決定的な出来事が起こった。


「その子の家にいる時、お母さんが帰ってきたんだよ」


 彼女の家で人形で遊んでいた時だった。突然玄関が乱暴に開けられて、何者かが入ってきた。

 若くて派手な女性で、彼女の姉かと一瞬思ったほどだった。

 彼女に視線を戻すと、ぎょっとした。彼女は蒼い顔をして、ぶるぶると震えていた。その口から小さく「お母さん」とこぼれた。

 彼女の母親は彼女を見るなり怒鳴り声をあげた。


『人を連れてくるなって言ってるでしょ!』


 彼女は身をすくませて、頭を下げてたどたどしく謝罪をした。苗は状況についていけず、ただおろおろとしていた。

 彼女の母親は苗のことなど見えていないかのようだった。自分の娘に向かって真っすぐに向かっていき、その頬を思い切り張り飛ばした。


『外で遊べ!』


 彼女はすぐに立ち上がり、「ごめんなさい」というと苗の手を引いて外へ連れ出した。苗は完全に混乱していて、ただ手を引かれるままについていった。

 五分ほど歩いて、近くの公園に着いた。彼女は公園を覗き込むとほっと息をついて、苗の手を掴んだまま公園に立ち入った。

 誰もいない公園のブランコに乗って、ゆるく漕ぎながら彼女は薄く笑った。その頬ははっきりと赤く腫れていて、先ほどのことが嘘ではないと知らせてくる。


『ごめんね、びっくりさせたよね』


 謝る彼女に、苗はぶんぶんと首を振った。


『私こそごめんね、お家で遊ぼうなんて言ったから……』

『ううん、苗ちゃんは悪くないよ』

『……じゃあ、誰が悪いの?』


 素朴な疑問だった。純粋に思ったことを口にしただけだったのだが、彼女は困ったように微笑した。

 彼女はブランコを大きく漕ぎ出し、苗もついていったが彼女のブランコはすぐに勢いを失っていった。

 やがて完全にブランコは止まり、地面に足を付けた。


『しょうがないんだ』


 あまりにも小さい声でよくは聞こえなかった。止まったブランコに座ったまま、呆然と彼女を見つめる。


『わたしが悪い子だから、しょうがないの』


 諦めたように笑う彼女に、苗は何も言えなかった。

 ただ、これは正しくないという思いだけが苗の胸に浮かんできていた。

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