11話 桐生苗④

 怪物の消滅を見届けた苗の耳に、やかましい祝福が飛んできた。


「やったじゃないか! 初戦にしては上出来だよ!」

「そ、そう……」


 正直あまりそれどころではなく、苗は曖昧に応じた。

 しかしリーフマンは気づいていないのか構わずにまくしたててきた。


「飛行をコントロールできていたみたいに見えたけど、どうやったんだい?」

「できてない……服と看板を『結んだ』の……」

「なるほど! その手があったか、さすがだな」


 はしゃぐリーフマンをさえぎって、苗は片手をあげて主張した。


「あの……血が止まらないんだけど」


 狼の怪物に背中をかなり傷つけられてしまっている。こうしている間にも痛みで涙は止まらないし、血もずっと流れている。

 リーフマンは今気づいたかのようにああ、と頭の上に乗ってきた。


「そうだね、治そう」

「治す……?」

「願いの力だ」

「あ、うん。そうだ」


 教わっていたことなのに、一瞬頭から飛んでいた。やはり血を流しすぎているのかもしれない。

 使い方は事前に教わっていたが、実際に願いの力を行使するのは初めてだ。

 目を閉じて、傷が治ることを願う。

 すぐに痛みが嘘のように引いていった。目を開けて、なんとなくの不安から背中に手を触れてみる。


「ちゃんと治ってる」

「願いの力とはそういうものだからね」


 リーフマンの言葉は流して、状況を確認する。

 怪物が表通りにまで出てきたことで、パニックになっているようだった。あちこちでクラクションや人の声がする。

 というより、遠巻きに人に囲まれていた。みな思い思いにスマートフォンを向けてきたりしている。認識阻害があるとはいえ、肝が冷えて身震いする。

 そっと認識阻害を深く入れる。苗の姿が見えなくなった人垣が、大きくどよめいた。


「怪我人は……」

「いても、治すことはできないよ」

「わかってるけど、だからってこのまま帰れないよ」


 強く言って、飛行する。勢いよく上に飛んで、全体を眺める。

 車が止まっているが、事故が起こっている気配はない。混乱で車を止めて逃げ出した人がいるようで、そのせいで進めなくなっているみたいだった。

 ゆっくりと飛行して(制御できるギリギリの速度でも、歩く程度の速さしかないのだが)状況を丹念に確認する。車の衝突など、軽い物的破損はあるが大きな事故はないようだ。

 見える範囲には怪我をしている人もいない。

 再び上昇して、狼の怪物と激突した看板に向き直る。折れてこそいないが、大きく歪んでいて看板としての役割と果たしてもいない。


「これらをまとめて直したいけど、できる?」

「できるけど、認識阻害を深く入れながらはできないよ」

「じゃあ……」


 どこかないかと見回し、ファミレスの屋根で行うことにした。屋根に着地してしゃがむと、周りからは見えなくなるだろう。

 もう一度願いの力を発動させる。大きなざわめきがして、目を開く。

 看板は元通りに戻っていた。あたりの物的破損も、おおむねは直せたはずだ。

 成果に満足な吐息を吐いて、認識阻害を入れ直して自宅へと飛行した。


☆☆☆


 自宅に無事戻る。部屋に入るなり、眩暈がしてベッドに倒れこんだ。


「大丈夫かい?」

「なんかふらふらする。疲れたのかな……」


 落ち着くまでこうしていようかとも思ったが、いつまで経ってもよくなりそうになかった。

 いっそ寝てしまった方がいいのかと思い始め、いや、と心当たりを自覚する。


「わかった、血が足りないんだ……」


 怪我は治したが、流れ出た血ははそのままだ。服は直したのに、そこは抜けていた。


「リーフマン、もっかい。なくなった血って戻せる?」

「戻せるよ」


 リーフマンが肯定とともに頭に乗ってきた。

 願いの力を発動させると、頭がはっきりしてきた。目を開いて、深く息を吐く。

 とにかく、これで初戦はなんとか終えることができた。怪物による人的被害は見る限りはなかったし、ダメージは受けたが斃すことにも成功した。


「これで、願いの力はどれぐらい使ったことになるの?」

「今回得た分の半分ぐらいだね」

「それって、物を直したのと私を治したのでどういう割合?」

「苗のが少し多いぐらいで、半々だね」


 それなら、自分の負傷を治すことは問題はなさそうだ。願いの力をこの調子で持ち越せるのなら物的破損の方もなんとかなりそうな気はする。やはり肝心なことは速やかな討伐になるだろう。どれだけ願いの力を持ち越しても、他人の怪我を治すことは難しいのだから。

 頭の中を整理して、確認したいことを口にする、


「仮にだけど、私が治した傷と同じぐらいの傷を負った人を治そうとしたら、今日の怪物をどれぐらい斃せば足りる?」


 リーフマンは少し考え、大体だけど、と答えた。


「百体分ぐらいかな」

「そんなに!?」

「キミの怪我は重傷だったしね。ともあれ他人を治そうとするのは割に会わないよ」

「割に合うかどうかじゃないよ」

「じゃあなんだい?」

「人の命の問題だよ」


 ムッとして言い返す苗に、リーフマンはそれ以上は何言ってこなかった。

 だとしたら、願いの力は万が一のためになるべく貯めておいた方が良いのかもしれない。重傷を負った人がいたとしても、止血などの応急処置ぐらいは間に合う可能性はある。

 怪物の人的被害はほとんどない。これは苗自身思っていたことだが、自分の街にまで現れるようになっては他人事の顔はできない。


(それに……私のせいで被害が出そうにもなった)


 苦い思いで認める。狼の怪物に飛び掛かり、飛行をコントロールできずパニックになったばかりに人通りの多いところまで移動してしまった。うまく斃せたからよかったものの、万が一のことがあれば後悔してもしきれないところだった。

 狼の怪物が人を襲おうとする動きも見せていた。直後の動きから考えるとブラフのようでもあったが、いつ本当に襲うのかもわからない。

 必要なものは迅速な対応と、確かな実力。

 それと。


「一つ提案があるんだけど」

「なんだい?」

「他の魔法少女と協力すべきだと思う」

「ダメだ」


 リーフマンは即答した。その際に威嚇するように羽を大きく動かした。

 付き合いが長いとは言えないが、それでも見えてきたこともある。リーフマンは声も表情も大きく動かさないが、感情的になるとそれに応じて羽を動かす。そして、冷静に話そうとしていても結構な激情家だということもわかってきた。

 この話題はリーフマンの感情を刺激するようだ。


「他の魔法少女と協力できれば、色々とやりやすくなるのは間違いない。訓練の効率も上がるし、戦いも協力し合える」

「色々と言いたいことはあるけど、距離も離れている魔法少女とどうやって協力するっていうんだ?」

「願いの力を使えば遠いところでも一瞬で移動できるんじゃない?」

「それは……」


 想定外の指摘だったのか、リーフマンは羽を畳んで考え込んだ。が、すぐにかぶりをふった。


「それはできるだろう。だけど、もっと根本的な問題がある。危険だ。キミならそれぐらいはわかると思ってたけどね」

「110人いる魔法少女中で10人が敵ってことなら、遭遇する確率の方が低いと思う」

「十分の一は低い確率ではないよ。命がかかると特にね」

「…………」


 その感覚は、正直苗には理解できなかった。誤魔化されているような気持にもなるが、危険があるということが否定しがたい。


「けれど、いつまでこうやっているの? ずっと怪物だけを斃していっても、何も解決するわけじゃないでしょ? いずれは解決しなければいけないことなんだから、取り組むべきだよ」

「確かにその通りだ。いずれはグレンのことも対処しないといけないようになる。でも今の苗じゃ無理だ」

「なんで」

「わかってるだろう。弱すぎる」

「……っ!」


 言い返したかったが、さきほどまでの戦闘を思い返すと何も言えることなどないと思い知る。


「言い方が悪かったかな。キミは初の実戦としては十分すぎるぐらいにはよくやった。けれど、他の魔法少女と戦うとなったときには不安がある」

「じゃあ、強くなればいいってこと?」


 反射的な言い返しに、リーフマンがきょとんとまばたきをした。


「私が強くなれば、他の魔法少女と接触してもいいってことだよね」

「……そうなるね」


 言質をとった、とまでは思わない。そもそも、強くなったとなんてどう判定するのかという話ではある。

 だけど、それが課題なのは確かだった。今日の戦闘は課題が見えすぎるぐらいに見えた。克服することが、正しさへ近づく一歩なはずだ。

 道筋は見えにくいが、頑張る方向性がわかったのならそこを突き進むのが正解のはずだ。

 あくまで苗の目的は正しさを為すことだ。力を手に入れ、フィールドが変わってもそれが変わるわけでは決してない。

 正しいことが為せない世界で、生きていたいとは思わない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る