10話 桐生苗③

 それから二週間が経ち、あっという間にその日がやってきた。

 学校から帰宅し、これから訓練に行こうとしたタイミングでリーフマンが重々しく告げた。


「苗――出たよ」


 苗はぎこちなくリーフマンに向き直った。ごくりと唾をのんで、小さく頷く。

 軽く手足を振って、よし、とつぶやく。


「行こう」

「ああ、早い方が良い」


 リーフマンについていくかたちで、部屋のドアを開けようとする。ドアノブを掴み損ねて、ドアに手をぶつけた。思わぬ痛みに手を押さえながら、おかしいなと独りごちる。

 深呼吸をして、ゆっくりとドアノブを握った。そっと回し、ドアを開ける。


「お母さん、ちょっと出かけてくる!」


 その声すらも、少しばかり上擦っている。家を出て歩き出したところで、つまずいて転びそうになった。

 リーフマンはそんな苗を困ったように見つめた。


「苗、落ち着いて。キミはよく訓練した。大丈夫だ」

「もちろん、大丈夫に決まってるよ」


 言い返して、目を閉じて再度深呼吸をする。

 プレッシャーには強いはずだ。これまでの人生で、緊張するということはほとんどなかったと自覚している。まだ何もしていないうちからこんな風になるとはまったく予想していなかった。


(大丈夫、私はできる。できないわけがない!)


 内心で唱え、かっと目を開く。

 見える景色が変わるわけではなかったが。それでも意識は切り替わったつもりで、歩みを再開する。

 いつも変身している公園に移動し、陰で変身する。変身を終えると、いくらか気持ちが落ち着いてきた。何でもできるという気持ちを持って地面を軽く蹴って宙に浮く。勢いがついてしまい、やや上空に行き過ぎた。

 傍らのリーフマンを見て訊ねる。


「どこ?」

「あっちだ」


 リーフマンが示した方向に顔を向ける。ここからでは見えないが、この先に怪物がいるのだ。

 芽生えかけた緊張を飲み込んで、空を蹴り射られた矢のように飛んで行く。

 この二週間、毎日訓練を重ねてきた。苗が目指したのは確実な攻撃の手段だった。怪物は時間経過で消滅するが、早く斃すに越したことはない。それに、消滅されてしまうと願いの力も回収できないため怪物が壊したものを直すこともできなくなってしまう。

 よって、魔力の武器化を磨こうと訓練の時間を割いた。一瞬しか出せないのでは戦うどころではない。素早く出せるように、そして維持をする。それを目標にやってきた。

 反面、飛行に関してはそれほど時間を使えなかった。というより、あまり使わなかった。

 苗ははっきりと飛行が下手だった。

 リーフマンは速いとは言ったが、比較対象がないのでそれはわからない。そこではなく、制御力が絶望的なほどになかった。真っすぐ飛ぶことはできるのだが、方向転換しようとすると思わぬ方向に飛んでしまう。あらかじめスピードをかなり緩め、制止する寸前までいかないと安全には方向転換ができなかった。

 完全にあきらめたわけではない。まずは攻撃面だと割り切っただけだ。その部分が解決すればとりかかるつもりでいた。それが二週間では間に合わなかったのだが。

 よって、苗はスピードだけをもって現場へ飛んでいく。

 高速で塗り替わる視界の先、それが見えた。


「――あいつか!」


 狼のような怪物が、苗の視線の向こうで暴れている。

 視界に捉えればあとは早かった。手の中に魔力を生み出し、怪物へ切っ先を向け飛んでいき、

 アスファルトの地面に激突した。慣性によって体が跳ねて、塀に背中を打ちつけた。逆さになった状態で、しばし平衡感覚を失う。


(失敗した……!)


 体当たりの勢いで刀を突き刺すつもりで飛んだのだが、目標がずれて地面に激突してしまった。軌道修正が効かなかったことと、飛行中に魔力の武器化を行ったことで飛行の集中が少しブレてしまったのだろう。作った刀も、衝撃でなのか無くなってしまっている。

 なんとか立ち上がって、怪物を見据える。

 見た目は狼のようだが、完全に二つ足で直立している。体も大きく、2メートルほどだろうか。小学六年生の苗からすれば、はるかに見上げる大きさだ。

 素早く周囲を見渡す。人通りの少ない裏道、そのど真ん中に怪物がいる。周囲は住宅が並んでいるため、巻き込まないようにしなければいけない。

 人の姿はまったくない。もともといなかったか、逃げたかしたのだろう。まずはそのことに安堵する。

 アスファルトには、大きく爪痕のようなものが刻み込まれている。この怪物がやったことと見ていいだろう。

 狼は、今や苗を真っすぐに見つめている。黒い目が妖しく光り、切り裂くような視線は苗の身を震わせた。


「大丈夫だ、キミなら勝てる」


 リーフマンの声がした。探すことはせず、ただ小さく頷く。

 狼との距離は10メートルほどだろうか。飛行すればすぐに接近できるだろうが、繊細なコントロールができない苗ではまたどこかに突っ込んでしまうのがオチだろう。

 結局、地上で戦うしかない。その覚悟を固めて、魔力で刀を作る。

 これまで怪物と戦うことも何度もシミュレートしてきたのだが、何度も検討してきたプランは、怪物と対峙している今すべて飛んでしまっている。

 少し考えて、刀をもう一本作って両手で一本ずつ構える。訓練の成果か、魔力の武器化は苦も無く発動できるようになっていた。

 狼の怪物が地面を蹴り、砲弾のように突っ込んできた。

 素早さに面食らいながらも、刀を交差させて狼の怪物の爪を受け止める。押し込まれるが、なんとか踏みとどまった。


「う……ぐ……」


 力が強い。身長差もあり上から押し込まれるようにされ、少しずつ苗の体も沈んでいく。

 狼の怪物の爪が、少しずつ苗の顔面に近づいてくる。地面に激突してもさほどではないダメージも、魔力での攻撃は別だ。この爪が届けば、苗は引き裂かれるだろう。

 歯を食いしばり、打開策を探すために頭をフル回転させる。


(なにか――なにか!)


 少しも気を抜けない状態で、目だけを動かす。


「――結び!」


 叫び、体内から魔力を解放する。

 苗の前方にある消火栓の蓋が勢いよく外れ、水が吹き上がる。

 狼の怪物がそちらに反応し、首を回して振り返る。その顔面に、消火栓の蓋が激突した。魔力でできている怪物に物理的ダメージは小さいが。


(緩んだ!!)


 爪から伝わる圧力が弱まり、一歩引きながら両腕を開くようにして刀を薙ぐ。手応えとともに狼の怪物が絶叫した。


「――――っ!!」


 全身に鳥肌が走った。怪物は生物ではない。わかってはいても、見た目は生き物にしか見えない。それを自らの手で切り裂いた手ごたえが、なんともいえない嫌悪感をもたらした。

 狼の怪物は後方に飛びずさると、前脚も地面につけ苗を睨み獰猛にうなり声をあげた。腹を裂いたはずなのだが、浅かったようだ。

 消火栓から吹き上がる水が、辺りの空気を濡らしている。水のにおいを感じながら、狼の怪物を睨み返す。一歩を踏み出そうとしたが足が動かない。

 狼の怪物もうなるばかりで近づいてはこない。どうすればいいかと考えながら、刀を構え直す。

 と、狼の怪物がぐるりと後ろを向いた。逃げるつもりかと焦り、身体が前に傾いた。

 しかし、違った。

 曲がり角から、一台の乗用車が顔を見せていた。運転席には中年の女性が驚愕の表情を浮かべて硬直している。

 狼の怪物がぐっと後ろ脚に力を込めるのが、確かに見えた。


「――ダメ!」


 苗の制止の叫びをむしろ合図にしたかのように、狼の怪物は苗に背を向けて跳躍した。

 考えるよりも早く、身体を飛ばした。

 飛行し、手にした刀で突き刺そうとする。飛行の方向は間違っていない。このままいけば、刀を突き刺すことができるはずだ。

 狼の怪物が、空中で身体をくるりと回転させた。目が合い、にやりと笑ったように見えた。直後に、真っすぐに爪を突き出してくる。

 しまったと思いながらとっさに体をひねり、とにかく刀を突き出す。

 いくつかの感覚が、一息に苗を襲った。

 まず、脇腹に鋭い熱さが走った。突き出した左手に、確かな感触があった。そして、身体が急上昇する感覚が。

 狼の怪物に刀を突き刺したまま、苗は一緒に空中に飛び出していた。飛行中に軌道を変えたためにコントロールを失ってしまっている。


「ど、どうすればいいの!?」


 パニック直前のまま叫ぶが、答えはない。耳がつぶれそうなほどの狼の怪物の咆哮に身がすくむ。それでも刀をなんとか保ち、空中をめちゃくちゃに飛行する。

 狼の怪物の爪が、苗の背中を裂いた。激しい痛みにたまらず声を漏らし、涙も出てきた。


(どうすればいい……!?)


 内心で叫びを繰り返す。刀で突き刺していても、まだ致命傷ではないようだ。身体を離せばいいのかもしれないが、負傷した狼の怪物がどう動くのか予想がつかない。

 完全に人のいないところまで移動ができればいいのだが、苗の飛行の技術では狙ったところに移動はできない。

 狼の怪物の爪が苗の背中を抉ってくる。激しい痛みに思考が鈍る。

 これ以上は耐えられない、そう判断して。刀を思い切り横に振った。

 体がめちゃくちゃに回転して、弾かれたように飛んでいく。なんとか制御して、前後左右もわからない状態で狼の怪物の姿を探す。

 狼の怪物は地面に落ちていっている。思ったより地面に近く、しかも人通りの多い場所に来てしまっていた。人々は足を止め、苗と狼の怪物をそれぞれ見上げている。

 十秒もかからずに狼の怪物は地面に着地するだろう。そのあとにどう行動するのか、苗には読めない。逃げるかもしれないし、苗と戦うかもしれないし、人を襲うかもしれない。さきほどのは恐らくブラフとして人を襲おうとしたのだろうが、そうされたら苗は助けないわけにはいかないしブラフで済む保証もない。


「逃げて!!」


 叫び、狼の怪物に向かって飛行する。地面に着地する前に、なんとかトドメを刺さないといけない。

 不意に、背中の傷が痛んだ。唇から苦痛の喘ぎが漏れ、飛行の角度がずれた。

 狼の怪物へは完全にずれた。このままでは地面の車に激突するだけだ。かといって自力で方向転換しようとすればあらぬ方向に飛んで行ってしまう。

 痛みと焦りで頭が回らない。すぐにでも打開策を思いつかないといけないのに。

 狼の怪物を追い越しそうになったところであるものに目を留めた。


「結び!!」


 苗の叫びに魔力が応える。

 苗の身体が狼の怪物に向かって軌道を変えた。その勢いに任せて、魔力と飛行に全力を注ぐ。

 全力の飛行をさらに上回る速度の飛行。空気による抵抗に顔を歪ませながら、刀だけは真っすぐに向けた。


「ああああああああ!!」


 狼の怪物の胸に刀を突き刺し、勢いはまったく止まらないままファミレスの看板に衝突した。狼を潰す形で衝突し、鈍い轟音が響き渡る。

 初めての飛行で木にぶつかった時をはるかに上回る衝撃だった。肺の空気がすべて絞り出され、一瞬目の前が真っ白になった。

 看板がたわむのが狼の怪物の体越しに感じられた。折れるのではないかと思ったが、そうはならないまま苗と狼の怪物は地面に落下していく。

 受け身も何もできず無様に地面に落下したが、看板に衝突した衝撃が強すぎたのか何も感じなかった。痛さというより呼吸が苦しかった。起き上がろうとしても、まったくうまくいかない。


「か、怪物は……」


 這うようにしながら狼の怪物を探す。いた。苗からほとんど離れていないところで、起き上がれずに浅い呼吸を繰り返してた。


「苗! トドメを!」


 いつの間にか傍にいたリーフマンが指示をする。

 わかってるよ、と言いたかったが声を出すほどの余裕がなかった。地面に手をついて、なんとか上体を起こす。

 先に狼の怪物に立たれたら終わりだ。抵抗することもできないままやられてしまうだろう。

 刀を作り出して、地面に突き刺す。それを支えにして、どうにか立ち上がった。

 刀を構え、ほとんど倒れ掛かるようにして狼の怪物に斬りかかる。実際に倒れながら、刀を狼の怪物の首に突き刺した。

 狼の怪物の体が痙攣した。苗は刀にしがみついて、それを間近から見ていた。狼の怪物の目は変わらず獰猛に光っていたが、苗の目には死にかけの哀れな動物に映った。

 身体が動かない。この刀を横に引くだけで完全なトドメになる。それはわかっているのに……

 狼の怪物はもう動けない。このまま放っておいても、すぐに死ぬはずだ。

 こういった時に、頭に浮かぶ判断基準は一つだ。

 正しいことを。


「うわあぁぁぁ!!」


 気合とともに身体を無理やり動かして狼の怪物の首を断った。首と身体は分かたれて、切り口から粒子のようなものが宙に上がっていく。

 刀も消え、消えていく狼の怪物を呆然と眺める。

 狼の怪物の身体はその輪郭を少しずつぼやけさせていく。次第に透けて身体越しに地面すら見えるようになっていき。

 全てが光の粒となって消えた。

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