9話 桐生苗②

 部屋の中で魔法少女となった苗は、軽く魔法についての説明を受けた。

 実践のための場所はどこかないかと言われ、町外れの山を提案したところ受け入れられた。

 母がふと来てしまっては困るので、出かけてくると言って外に出た方が良い。よって、玄関から出発すべく部屋を出ようとする。

 リーフマンは机から浮き上がると、真っすぐにドアに向かって飛んでいく。

 その姿に面食らって、思わず制止の声をかける。


「ちょっと待って!」

「ん?」


 リーフマンはくるりと回転して苗に向き直った。


「いや……羽、動かさないの?」


 リーフマンはその白い羽をまるで動かすことなく、まるでドローンのように空中に浮かんでいる。


「羽?」


 羽を一度ばさりと動かして、リーフマンは困ったように続けた。


「飛ぶのに必要ってわけじゃあないからね」

「えー……」


 釈然としない思いで半眼でうめく。

 リーフマンはよくわからないという表情で首を傾げた。


「それ、大事なことかい? 早く魔法の訓練をした方がいいと思うけど」

「……そうだね」


 考えればがっかりするのも変ではある。気にしないことにして、部屋を出た。

 母に出てくる旨を告げて、家を出る。

 変身をすると認識阻害で周りからは魔法少女であることがバレてしまう。人気のない物陰を探して、変身を行った。


「これで、見えないの?」

「ああ、不安なら試してみるといい」


 変身したことの不思議な感覚――全能感、だろうか?――は確かに感じるのだが、なにしろ見た目は何も変わっていない。魔法少女に詳しくない苗だって、アニメの魔法少女は変身してコスチュームを変えることは知っている。だからなのか、妙な違和感がくすぶっている。

 物陰から出てみる。どの道人通りがなくて、認識阻害の効果を確かめようもなかった。


「もう行こうか」


 リーフマンに急かされて、苗も諦めることにした。

 山まで歩いていくと何時間かかるかわかったものではない。行くのなら、先ほど教えられた飛行を使う必要がある。


「飛ぶのってどうすればいいの?」

「もうキミは飛べるよ。念じればいい」

「念じる……」


 目を閉じて、心の中で唱える。


(飛べ!)


 不意に、地面の感覚が消えた。え、と目を開くと、自分の体が直立した姿勢のまま宙に浮いていくのが見えた。

 突然のことにパニックになりかけて手足をばたつかせる。体はどんどん上に向かっていく。


「落ち着いて、飛ぶ時と同じだ。止まるように念じればいい」

「わ、わかった!」


 頷いて、そのように念じる。

 すると、空中で体がぴたりと止まった。ばたつかせていた手足すらも止まり、そのまま動かないことを確認する。

 勘で体を動かして、どうにか直立の姿勢に戻る。水中の動きに近いかとも思ったが、どうにも違う。が、もう少しで慣れそうだ。


「落ち着いたね。じゃあ行こうか」


 苗の様子をゆっくり見ることなく冷静に急かしてくるリーフマンを軽く睨む。こっちは初めてやっているのだから、少しぐらい様子見ながらにしてほしい。


(やればできるか)


 強がるように独りごちて、三度念じる。今度は前に向かって進むように。

 念じた通りに、山の方向に向かって進んでいく。よし、と内心で喝采を上げる。早くも少し慣れてきたような気がしてきている。

 しかし、異変に気付いた。

 少しずつ、飛行のスピードが速くなっている。速くなるように念じたわけではないのだが、なぜだかどんどん速くなっていき車ほどのスピードに達した。

 いや、それどころではない。車のスピードを越え、電車と同じぐらいになっているのではないかと思えた。風を切る音が耳にうるさく、服の裾がばたばたとはためいている。

 歩けば数時間の山も、これならそうかからずに到着する。なのだが……


「これどうやったら止まるの!?」


 叫ぶのだが、答える声はない。

 念じればいいのだと気づき、全力で念じる。


(止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ!!!)


 止まらない。スピードは緩まないまま、猛烈な勢いで真っすぐ山に向かって進んでいく。

 山が目の前に迫った。どうすることもできないまま、破れかぶれに悲鳴をあげた。

 苗は轟音を立てて山に生えている一本の木に激突した。視界がめちゃくちゃに回転して、落ち着いたときは目の前は真っ暗になっていた。

 というか頭が土に突っ込んでいた。引き抜いてあたふたしながら周囲を見渡す。意識が追い付かず、呆然とうめいた。


「ええっと……」

「素晴らしい」


 突然の賛辞にびくりと体を跳ねさせて、声のした方を振り返る。

 苗の顔の高さほどで浮いているリーフマンが興奮した様子でまくしたてる。


「すごいスピードだよ。初めてでこんな飛行をできる人は見たことがない。キミは才能があるよ」

「あ、ありがとう……」


 勢いに圧されてよくわからないまま礼を言う。苗からすれば、コントロールが効かずに山に突っ込んだだけなのだが。それで才能があると言われても、褒めているのか皮肉なのかもわからない。

 苗が激突したと思われる木は、斜めに傾いでいて倒れる寸前だった。衝撃で葉も散らされて、あたりにそれが舞っている。

 額がじんじんと痛むことに今更気づいた。さすりながら斜めになった木を見つめて、


「これにぶつかったの……?」

「そうだね。折れはしなかったみたいだけど」


 なんてことないようにつぶやくリーフマンに納得がいかずに指摘する。


「いや、あの勢いで死んでないのもおかしくない? 死んでたら困るけどさ」

「変身状態では魔力で体が守られてるから物理的なダメージはそこまで受けないよ。ちょっと痛いぐらいだ」


 おでこを擦る。確かに少し痛い程度だし、もうすでに痛みも引き始めている気がする。

 ここまでくれば、いくらなんでも疑う余地はない。苗は魔法少女になったのだ。

 だとすれば切り替えるべきだ。軽く伸びをして、リーフマンに確認する。


「じゃあやろうよ。魔力の武器化、だっけ」

「そうだ、これも飛行と同じイメージだ。武器にしたいものを粘土で込めて形にするのをイメージする」

「なんにしてもイメージが大事なんだね」

「そうだ。自分の扱うものに確固たるイメージを持つんだ。それが魔法の強度になる。逆に曖昧だったり自信がなければ、弱い魔法になる」


 頷ける話だった。学校でも、自信を持っている人とそうでない人はパフォーマンスに差が出やすい。

 苗は自分が特別な人間だと思ったことはない。勉強も運動も上位にはいるがそれも努力してのことだ。本気を出してない人もいるし、自信をもって取り組めば苗を抜かすことができる人の心当たりもある。

 正しさを為そうとするには、意思がいる。陰で裁判官だなんて呼ばれてもそれでもやり抜くには図太さや自分が正しいという自信を持つことが必要だった。

 苗が自信を持っているのは、自信があるということだけだ。


「イメージ……」


 リーフマンの言葉を繰り返して正面に向かって手を伸ばす。武器になるものとは、なんだろうか。

 魔法少女のアニメを参考にすべきだろうか。苗は魔法少女アニメをちゃんと見ていたわけではないので、魔法少女がどんな武器を扱うのかは見当もつかない。

 ふと思い出したものがあった。父が好きで見ている時代劇だ。苗は好きというわけではなかったが、幼い時になんとなく一緒に見ていたので記憶の底に残っていた。

 頭に浮かんだものの形をイメージする。目を閉じ、自信を持って臨む。自分はそれができるのだと、心の底から信じる。

 妙な手触りが、頭の上に感じられた。自分の中にある存在しない手が、別のところでなにかをこねているような。

 その感覚に従い、イメージをさらに強めていく。

 今度は、正面に伸ばした手に何かを感じた。目を開くと、透明なもやのようなものがそこに浮かんできていた。


「もう少し」


 リーフマンの囁きに応えるように、全身に力を込める。

 そしてついに、もやが形を為した。柄も含めて1メートルほどの鍔のない刀だ。

 伸ばしていた手で、ぐっと掴む。消えないことをぼんやり確かめて、まじまじと刀を眺める。透明に近い白だが、刀を透けて向こうが見えるというわけでもない。魔力でできた刀を、作ることができたのだ。

 ふっ、と刀が消えた。途端に全身の力が抜けて座り込んだ。息を切らせて、リーフマンを振り向く。


「初めてでここまでしっかりと形を作れているのはすごいな! やっぱりキミを選んで正解だったよ」

「でもこれ……すごい疲れるんだけど……」

「かなり力んでもいたからね。慣れれば疲れなくなるよ。訓練を積めば素早く出せるようになってくるから」

「そっか……」


 努力次第で向上するというなら、そうするだけだ。

 ふらつきながら立ち上がる。今もう一度やれと言われてもおそらく無理だろうが。


「次で最後だ」

「固有魔法でしょ?」

「そうだ。これは発動するまでどんな効果かわからない。説明したけど、固有魔法は心の底からの望み、その魔女がどういう人間か示すものにもなる、どういうものであれ、キミらしいものになるはずだ」

「…………」


 右手を握ったり開いたりしながら、リーフマンの話を飲み込む。

 私らしさって、いったい何だろうか。

 いつも正しくあろうと思っているその気持ちに嘘はない。そんな自分らしい魔法が、これから発動するのだろうか。

 右手を握ったままにして、リーフマンに訊ねる。


「どうすればいいの?」

「同じだよ。念じるだけだ」

「わかった」


 よし、とまた右手を伸ばす。どんな魔法が出てくるのかわからないが、とりあえずそうしてみた。


(固有魔法……)


 苗らしさを示す、唯一無二の魔法。

 一体どんな魔法なのか、知りたくもあるし、怖いという気もする。いや、自分の本質を示すのだから、良いものに決まっている。

 期待の意思を眼差しに込めて、さらに強く念じた。

 苗の視線の正面、少し離れたところにある頭の大きさほどの岩がふわりと浮き上がった、そのまま近くの期に向かって飛んでいき、鈍い音を立てて衝突した。


「今のは……」


 目の前で起きたことの意味を考えて、今度は岩二つに意識を集中させる。

 それぞれが浮かび上がり、お互いに激突し地面に落下した。

 同じことを何度か繰り返す。これが、苗にとっての固有魔法ということだが。


「固有魔法ってその人の本質を表すんだよね」

「……そうだね」


 まるで磁石のように岩同士がぶつかった。ぶつけようとしたわけではなく、ただ二つに集中しただけだ。磁石の固有魔法と言えるのかもしれないが、磁石が本質というのは意味が分からない。もっと、何か意味があるはずだ。


「ぶつける……つなげる……」


 ぶつぶつとつぶやいていると、しっくりくる言葉が見つかった。これだ、とリーフマンに向かって告げる。


「結びだよ。岩同士だったり、岩と木だったり、それらを結んだんだ!」


 苗は興奮のまま続ける。


「結び。それが私の固有魔法なんだよ」


 言葉にするとそれしかないと思えた。結びが苗の固有魔法であれば、まさしく自分にぴったりだ。正しさと為すことと、正しい縁が保たれるようにするのも苗の心からの望みだ。

 リーフマンは苗を真剣に見据えて頷いた。


「そうだね、その通りだと思うよ」


  リーフマンは翼をばさりと動かして、神妙に言ってきた。


「ボクはまだキミのことをよくは知らない。でもボクはこれから魔法少女としてのキミを支えるパートナーになる。改めてよろしく、苗」

「うん、よろしくリーフマン」


 リーフマンの右の前足を掴んで軽く振る。リーフマンは抵抗はしなかったが、怪訝そうに訊いてきた。


「これはなんだい?」

「なにって、握手だよ」

「握手?」


 初めて聞いたという風に繰り返すリーフマンに、そういえば別の世界から来ているんだったと実感する。


「よろしくっていう意味合いの……なんていえばいいのかな、挨拶?」

「そうか、そういうものがあるのか。勉強になったよ」

「世界全部通じるのかはわからないけどね」


 苦笑いする苗に、リーフマンは無感動に「そうか」とつぶやいた。

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