7話 渚瑛子⑦

「勝ったね、よくやった!」


 戦闘が終わり、呆けている瑛子の耳にヒューガの祝福が届いた。

 ゆっくりとそちらを見やる。ヒューガは嬉しそうに耳をぴくぴくさせていた。


「瑛子ならやれるって思ってたよ。さすが魔法少女」


 ヒューガが言いながら肩に乗ってきた。と、背中の痛みが一気に跳ねた。


「痛い痛い痛い!!」

「あ、ごめん」


 瑛子の訴えにヒューガは気楽に応じて肩から降りた。

 戦闘の興奮が冷めてきたのか、痛みがさらに強くなった気さえする。変身すると身体能力が上がると言っていたが、もし今変身を解除したら死んでしまうのではないだろうか。


「それじゃあ、全部まとめて直しちゃおうか」

「全部……」


 おうむ返しにしながら、ヒューガの視線を追う。

 戦闘を繰り広げた校庭は、あちこちに穴が空いている。とはいえそれらは積もった雪が抉られているだけなので問題はなさそうだが、何らかの攻撃のせいなのかフェンスに穴が空いたりしている。

 猫の怪物は完全に消滅している。いたと思える証拠は、それこそ戦闘痕だけだ。


「ん?」


 突如体の中に何かが入ってくるような感覚が起こり、体を震わせた。

 今までにない感覚に戸惑っていると、ヒューガが解説した。


「怪物を斃したから、願いの力が溜まったよ」

「これが……」


 未知の感覚を持て余しそうになるが、これを得たからにはやらなければいけないことがある。

 ヒューガの話を思い出しながら準備を進める。

 外で行き場のない願いの力が、怪物に形を変える。怪物を斃せばその姿を保つことはできなくなり、願いの力に戻る。その願いの力は、怪物を斃した魔法少女のものになる。

 願いの力は、名前の通り願いを叶える力を持つ。

 ヒューガが今度は瑛子の頭に乗った。


「……ヒューガ?」

「願いの力を使うにはこうしなきゃいけないの」

「……はい」


 とりあえず頷く。願いの力を実際に行使するのは初めてなので、そう言われたら従うしかない。

 目を閉じて、意識を集中させる。叶えたい願いを頭に浮かべて、手にした願いの力を解き放つことを考える。

 目を閉じているのに、ヒューガの姿が見える。目の前に、青色の兎が浮かんでいる。その姿が次第にはっきりとしていき――

 ぱん、という音がして勝手に目が開いていた。視界に見える校庭のなにもかもが、元通りになっていた。フェンスだけではなく、抉られた雪ですら戻っている。

 無事に発動できたようだった。

 ふぅ、と息を吐く。願いの力を使用したのは初めてで、疲労感があった。息を吐いた拍子に、背中がまた痛んだ。

 その痛みに耐えて、頭の上の兎に訊ねる。


「背中も治せる?」

「もちろん治せるけど」


 ヒューガの首が動くのを感じて、何を見ているのかを探す。

 これまで遠巻きに見ていた教師が、恐る恐る近づいてきていた。怪物は消え、戦闘跡も直り残っているのは瑛子だけだ。このままでは面倒なことになることだけは間違いがない。

 治すのは後回しにするしかない。飛行で宙に浮かび上がる。


「我慢できそう?」

「なんとかね……」


 あくまで軽いヒューガにうめいて、空高く飛び上がる。一定の高度に達すると、自宅に向かって飛行した。

 無事に自宅に着き、窓から入る。ベッドの上に座って、すぐさま願いの力を使って背中の痛みを治癒した。

 何事もなく痛みは引き、ほっとして深く息を吐く。これでようやく、一息を付けたという気持ちだった。


「もう変身解いていいよね?」

「そうね。解こう解こう」


 ヒューガの声とともに、変身が解けた。力が抜け、ベッドにへたりこんだ。

 ものすごい疲労感が体を重くしていた。初の実戦のせいなのか、気持ちも身体もへとへとだ。


「ねえ、大丈夫なんだよね」

「何が?」

「いろんな人に見られたけど、バレてないんだよね?」

「うん、認識阻害は自動で入るから問題ないよ」


 認識阻害。魔法少女になった時にヒューガが説明した、使える四つの魔法の一つ。

 使えると言ってもほとんど自動で発動するものだ。魔法少女になっている間は、他人からは瑛子の顔を認識できなくなる。見えなくなるというわけではなく、誰なのかはわからなくなるそうだ。これは同じ魔法少女が直接会うと通用しないそうだが。

 更に認識阻害を意識的に深めることで一般人には完全に見えなくなるようにすることもできる。こちらも魔法少女には通用しないらしいが、移動の自由度は上がる。それなりに集中しなければできないので、戦闘しながらはできない。痛みが辛くて今の帰り道もできなかった。

 認識阻害は他の魔法と違って自分ではどうなっているのかはわからないので、不安ではあった。訓練の時も変身さえしていれば見られても身元はバレないと言われていたが、実際に誰かに見られることもなかった。

 なんにせよ、怪物を無事に斃すことができた。その実感からつぶやきが漏れる。


「なんとかなった……」

「うんうん、かりんみたいだったよ」

「どこが?」


 苦笑する。かりんの戦いに比べると、どたばたしたみっともない戦いだった。課題は山積みで、華やかなデビュー戦とはまったくいかない。


「戦い方が似ているとかそういうことじゃないけど、戦っている姿を見たらそう思ったよ」

「……ありがとう」


 ヒューガの口ぶりからは、どこまで本気で言っているのかはよくはわからなかった。礼を口にしたのはかなりなんとなくだったが、悪い気分ではなかった。

 それでもたった一つ、かりんと同じようにできたと思えるのは。


「誰も怪我とかしなくて本当に良かった」

「そうだね、それはワタシも同感」


 願いの力は、願いを叶える。たった今行ったように破壊されたものを元に戻したり、自分の怪我を治すこともできる。ヒューガが言うには、手足がちぎれても治せるそうだ(あまり考えたくはないが)。

 だが、他人の怪我を治すことはできない。

 正確にはできないというわけではないらしいが、他人を治すことは自分を治すより膨大な願いの力が必要ということだった。怪物を一体斃したところで得られる願いの力は微量で、何十体を斃してようやく他人の擦り傷を治せるほどだそうだ。骨折などの重傷だとどれほど必要なのか考えるだけで気が遠くなる。

 だから、怪物による人的被害はゼロにしなくてはいけない。その視点に立てば、今回の戦いは成功と言って良い。


「物は直せるんだもんね」

「物を直すのは消費量が少なく済むから。街が丸ごと破壊されたらキツいかもしれないけど」

「物騒なこと言わないでよ」


 眉をしかめてうめく。そんなことにならないために戦うわけだが、今日の有り様だともっと強い怪物が出てきたらどうなるのかはわからない。

 そういえば、と疑問を口にする。


「願いの力を貯めていったら何ができるの?」

「色々なことができると思うよ。他人をどうにかしようとすると相当な量がいるし、叶えたい願いにもよるけどね」


 パソコンを勝手に起動させながら、ヒューガは物のついでのように訊いてきた。


「瑛子の叶えたい願いはなに?」

「わたしは……」


 言葉が出てこない。ヒューガは既にアニメを見始めていて、会話は宙に浮く形になった。

 魔法少女になれたことに喜びはある。だが、本気で魔法少女になりたいと思いながら日々を生きてきたわけではないし、現状は願いが叶ったというには少し違う気もする。

 それなら、瑛子の望みとはいったいなんなのか。

 考えても、何かが浮かんでくることはなかった。


☆☆☆


 それから数日で、一息に状況に変化があった。

 瑛子が怪物と戦っている動画が出回り(いつの間にか撮られていたようだ)、怪物と魔法少女の存在が世間に知られることになった。

 同日、または数日内で日本どころか世界でも怪物とそれと戦う魔法少女が確認され、連日ニュースで報道された。詳しいことは何もわからないという状態で、怪物と魔法少女の目撃情報が流され続けた。

 いきなりの変化にヒューガは考えているようだったけど、結局はわからないようだった。

 数日が経っても、瑛子の住む街に怪物は現れていなかった。どれぐらいの頻度で発生するものなのかもわからず、待つしかないのだが。

 怪物と戦ったことで、魔法少女がどこに住んでいるかの目星はつけられるようになってしまった。魔法少女同士が接触を望めば可能な状態だが、ヒューガはここでも慎重論をとった。万が一戦闘になった時の自信が持てなかった瑛子も、それには同意した。

 友人たちは自分の学校に魔法少女が現れたことに強く興奮していた。メッセージアプリの通知が鳴りやまず、アニメを見る暇がないほどだった。

 怯える人はいなくて、全員が突然の非日常に興奮しているようだった。魔法少女が出たのに瑛子が大人しすぎると指摘もされ、弁明をする羽目にもなった。

 友人たちが魔法少女の存在に好意的だったことに、救われる思いだった。頑張って良かったと、深い満足感がこみあげていた。

 早速と、訓練にさらに集中するようになった。砲撃は溜めがないとほとんど効かなかったことで、攻撃力が課題だとわかった。ヒューガが言うにはあの怪物が特別頑丈なわけではないそうなので、やがり瑛子の魔力が非力ということだろう。

 破壊の力は、なるべく使いたくはなかった。いよいよとなればもちろん仕方がないが、使うたびに破壊を望む自分を突きつけられているようでどうにも気分が重くなった。

 訓練を続け、怪物と戦い、他の魔法少女と会うこともなく。

 半年が経った。

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