6話 渚瑛子⑥

「どこ!?」

「そのまま1キロ!」


 家の中で変身を済ませ窓から飛び出して、ヒューガに怒鳴るようにして方向を確認する。

 飛行にも大分慣れてきて、自在に速度も出せるようになってきていた。いつもは爽快さを感じる飛行だが、今は何も感じることはできない。

 ばくばくと鳴る心臓を押さえるように胸に手を当てる。息も荒くなってきて、落ち着かない思いでうめく。


「大丈夫だよね……」


 怪物との戦闘はこれが初めてとなる。というより、実戦そのものが初めてだ。

 いきなりやってきた本番に、気持ちがついてきていない。


「大丈夫、かりんもうまくやっていたでしょう」


 すっかりアニメにハマっているヒューガが気楽に請け負う。気持ちはありがたいが、今から瑛子が行うのは現実の戦闘だ。身も蓋もないことを言えば、アニメがうまくやるのは当たり前でもある。

 そんな意地の悪い思考が浮かんでくるということは、それだけ緊張をしているということなのかもしれない。

 かりんがどんな風に戦い、うまくやったのかは完全に頭には入っている。それだけ繰り返し見たのだ。

 同じように、とは思えない。大体、怪物というのがどんな姿かたちをしているのかだってわからないのだ。


「瑛子」


 呼ばれて、横のヒューガに顔を向ける。ヒューガは座っているような姿勢のまま、瑛子と並走している。とっくに慣れたはずの光景に違和感を抱くのは、やはり平常心からは遠いせいなのか。


「できるよ。瑛子にはもうそれだけの力がある」


 励まそうとするような力のあるものではなく、ごくごく平坦な口調だった。それが逆に瑛子に深く染みた。

 緊張が、少し解けているような気がした。

 ヒューガを見たままでいると、瑛子の視線に気が付いてきょとんと前の方を指さした。


「着くよ」


 はっとして、視線を前方に戻す。

 その先に、それが見えた。

 それは――


「猫?」


 見た目はほとんど猫だった。だが大きい。虎ほどか、いやそれ以上だろう。四つ足でうなり声をあげながら、飛んできた瑛子をねめつけている。


「あれが……怪物?」

「そう、あれが斃すべき敵」


 ヒューガの言葉に唾をのむ。気持ちを整えて、状況を把握にかかる。

 場所は瑛子が通う小学校の校庭だった。春休みだからか、怪物以外には誰の姿もない。雪は残っているが、踏み固められているので怪物は不自由なさそうにしている。校庭の外に、教師たちがざわついているのが見えた。距離はかなりあるので安全、だろう。

 これなら、戦うにあたって巻き込まずに済むことができそうだった。

 猫の怪物を見据えて、覚悟を固める。魔法少女として、あの怪物を斃さなくてはならない。

 瑛子の方は上空にいて、高さはおよそ十メートルほどで留まっている。たとえ攻撃をしかけてこようとこの距離があれば対応ができるはずだ。

 猫の怪物は瑛子を睨んでぐるるるるとうなっている。ぐっと後ろに体重を寄せていて、今にも飛び掛かってきそうだ。

 右腕を突き出して、砲撃を撃ち出す。訓練の甲斐もあり、速度も威力もそれなりのものになってきたのではないかと自負している。

 猫の怪物は俊敏に後ろに飛んで、瑛子の砲撃を躱した。砲撃は地面を穿ち、雪を巻き上げた。

 この距離ではさすがに躱される。ある程度は近づかないと、当てることはできなさそうだ。そう判断して、すい、と慎重に近づいていく。

 待っていたのかのように、猫の怪物が地面を蹴って宙を飛んだ。


「っ!?」


 まだ十分な距離があると思っていたのに、一瞬で眼前まで詰められた。

 猫の怪物は爪を振るって瑛子を切り裂こうと撃ちつけてくる。

 とっさに魔力の武器化により盾を作り出す。猫の怪物の爪が盾に突き刺さるが、貫通まではせずになんとか耐えた。盾が消滅して、猫の怪物が地面に降りる。

 一気に噴き出した汗を感じながら、重く息を吐く。

 魔力の武器化で砲撃を生み出せるようになった瑛子だったが、それだけでは戦っていけないと考えていた。そうして作り出せるようにしたのが、円盤状の盾だ。これもかりんが使っていた魔法をそのまま真似しただけなのだが。

 それでも様々な魔法を扱うかりんに比べれば貧相な戦力だ。しかし、これで戦うしかないのだ。

 猫の怪物との距離は開いたわけではない。いつ攻撃されてもおかしくないが、こちらの攻撃はただ撃っても躱されてしまう。

 地面に近づいて、ギリギリのところで浮遊する。

 飛行はもっとも訓練の時間を割いた。やればやるほど飛行の自在さは増していき、今では思うがままに飛ぶことができる。体を自分では動かすことなく、魔力によって意思だけで動かす。この感覚を掴んでからは、飛行が楽しくて仕方なくなった。

 猫の怪物のスピードはわかった。これなら、油断さえしなければ反応ができるはずだ。

 地面を滑るようにゆっくりと猫の怪物に近づいていく。

 猫の怪物は上体を伏せて腰を上げた。

 瑛子は反射的に体をひねり、空中で転倒するような形をとった。瑛子の体をかすめるようにして、猫の怪物の爪を通り抜けいく。


(あぶな……!)


 少しでも反応が遅れていたら爪で切り裂かれただろう。が、リスクを払った甲斐はあった。この状態なら、攻撃を確実に当てることができる。

 手のひらを猫の怪物の腹に当てて、砲撃を繰り出した。猫の怪物は砲撃の衝撃を受けて上方向に体を跳ねさせ、着地できずに地面に落ちた。


「決まった!?」


 期待も込めて叫ぶが、猫の怪物はなんてことなくすっくと起き上がった。怒りを込めた目は、いささかも衰えていなかった。

 瑛子は顔を引きつらせてうめいた。


「効いてない……?」


 全力の一撃というわけではなかったが、できる限りの力は込めた。それでも無傷というのは、信じられなかった。

 猫の怪物は怒りに燃えた目のまま、警戒するように少しずつ近づいてきていた。瑛子は一定の距離を保つべく、同じペースで後退していく。


「どうしよう……」

「全力で撃ち込むしかないでしょ」


 ヒューガの指摘はもっともだ。一撃でダメなら、何度も、できるだけ重い一撃を叩きこむしかない。だが……

 猫の怪物が一足飛びで躍りかかってきた。


「っと!」


 予想はしていた。盾を展開して、爪を受け止める。盾を貫いてきた爪が、瑛子の眼前に迫ってきている。

 盾に魔力を込めて強化を続ける。こうしている間は動けない。耐えられればいいが、


(もた……ない)


 判断して、体をひねって盾を消去する。勢いづいた猫の怪物の爪が地面を深々と抉る。

 猫の怪物の脇腹に、できるだけ力を込めて砲撃を打ち込む。空中を飛んだ猫の怪物は今度は宙でくるりと回転して、何事もなく着地した。


「嘘でしょ……」


 ここまで効かないとなると、同じようなことをしても意味はないだろう。瑛子が疲れていくだけだ。

 魔力を込めようと集中すればその間は無防備になる。空を飛んで距離を取れば猫の怪物が逃げ出す可能性だってある。

 全身が汗だくで、息も上がっている。訓練では多少のことでは疲れなくなってはいたが、実戦は違うということだろうか。

 猫の怪物から意識を切ることはなく、深く呼吸をする。


「落ち着け……落ち着け……」


 言い聞かせるように独りごちる。どうにかする、できなければ魔法少女になった意味はない。

 瑛子にできるのは飛行に砲撃と盾を生み出すことだけだ。これだけであの猫の怪物を斃さなくてはいけない。

 いや、と思い出す。できることはまだ一つあった。

 やるしかない、と猫の怪物に砲撃を撃ち放つ。軽いもので、ダメージにはならないだろうが猫の怪物は横に飛び躱した。もう一発を撃つと、今度はと飛び越えて躱し、そのまま瑛子に向かって爪を振り下ろす。

 瑛子は三度盾を構えた。まずはこれで受けて――

 猫の怪物の爪が、瑛子の前方の地面を打った。爆発のような衝撃とともに、雪が瑛子に向かって礫のように飛んできた。

 盾の範囲は50センチ四方で、それほど大きくない。カバーできていない部分を雪の礫が抜けて瑛子の体を打った。

 吹き飛ばされて地面を転がる。


(また、油断した……!)


 胸中で自信を罵る。相手の行動をワンパターンだと思い込み、対応できなかった。まさかこんなことまでしてくるとは思っていなかった。

 地面に手をついて体を起こす。猫の怪物を探そうとした瑛子に、鋭い怒声が飛んだ。


「瑛子、来てる!」


 起き上がった瑛子の目の前に、猫の怪物の爪が近づいてきていた。気づいたその時から、スローモーションに爪が近づいてくるように見えた。このタイミングでは、魔力の武器化は間に合わない。


(変身すると、身体能力が向上して物理的なダメージはかなり軽減されるようになる。けれど魔力による攻撃だと、魔力の差にもよるけどあまり防げないから気を付けてね)


 ヒューガから受けた説明が頭をよぎった。怪物の体は願いの力でできていて、その攻撃は物理的なものとは一線を画している。だからこの爪はこのまま瑛子の体を容易く切り裂くだろう。

 恐怖が全身を突き抜けて、叫び声をあげる。


「あああああっ!!」


 体を動かせないまま、力を解き放つ。

 瑛子の顔面を引き裂く寸前、猫の怪物の爪が粉々に砕けた。爪だけではなく足そのものが砕けていく。根元まで何もなくなった足を振り、猫の怪物は地面に転がった。

 荒く呼吸をしながら慌てて後ろに下がる。どっと全身に疲れを感じて、よろめきながら地面から浮遊する。

 目に入りそうになっている汗をぬぐって荒れた息を整える。地面をのたうち回っている猫の怪物を見ながら、胡乱につぶやく。


「……破壊」


 固有魔法の『破壊』。放ったそれが、猫の怪物の足を砕いた。

 ようやく与えられたダメージだが、自分の起こしたものに背筋が震えた。固有魔法はその人間の本質を表すとヒューガは言った。猫の怪物の足を粉々に砕いたこの破壊の力は、瑛子の本質だというのだろうか。

 眩暈を覚えて、ふらついて地面に手をついた。


「瑛子、怪我した?」

「ううん、大丈夫!」


 強く答えて立ち上がる。今は戦う時だ。悩んだり考えたりするのは後で良い。

 猫の怪物は三本になった足でバランスを取りながらなんとか立ち上がっていた。歩きにくそうにふらついていて、自由に動けないことがうかがえた。

 片方になっている前足に砲撃を撃ち込む。躱すこともできずに砲撃は命中し、猫の怪物はバランスを崩して倒れた。

 低く飛行して接近していく。砲撃と違って、破壊の力は接近して撃たないといけない。ほとんど検証していないが、射程が短いのだ。

 猫の怪物は接近する瑛子に威嚇するようなうなり声をあげているが、立ち上がることができていない。これなら問題なく攻撃を当てられる。

 猫の怪物は寝た状態のまま前足を掲げた。瑛子は構わずに破壊の魔法を放つべく意識を集中させる。

 振り下ろしの爪に、破壊の魔法を解き放つ。さきほどと同じだ。爪ごと足を砕き切り、猫の怪物が悲鳴を上げる。

 直後、全身に衝撃が走り視界がぶれた。


「!?」


 混乱して、とっさにとった行動は盾を出すことだった。再度の衝撃で、地面に落下したことが分かった。背中がずきずき痛み、なんらかの攻撃を受けたということだけが分かったが、どうしてなのかがわからない。攻撃は破壊で対処できたはず。

 頭だけを動かして猫の怪物を探す。前足を両方失った怪物はのたうちまわっている。瑛子の攻撃が功を奏したことを示しているが、見ているうちに原因が分かった。

 今瑛子が砕いた方は爪と肉球のあたりだけが消失していた。爪の直撃は避けたが、殴られることは避けられなかったようだ。

 だが、かなりのダメージになっているのは間違いない。このまま攻めれば、斃すことができる。

 立ち上がろうとすると、背中に激しい痛みが跳ねた。


「いぎっ!?」


 あまりの痛みに思わず地面に倒れ伏した。痛すぎて訳が分からずに涙があふれてきた。未体験の痛みに、困惑したまま推測する。


(骨が折れた……?)


 猫の怪物に殴られたということは、魔力による殴打を受けたということだ。耐えきれずに、骨が折れてしまったのかもしれない。

 重症度で言えば、同じぐらいなのではないかと思えた。前足を失った猫の怪物と、痛みに耐えかね立ち上がれない瑛子。

 いや、立ち上がる必要などない。

 瑛子は地面に伏せた体勢のまま、宙に浮いた。こうすれば、体に力を入れなくていい。それでも背中は痛み、体のどこを動かしてもきつい。

 破壊を当てるために接近するのは、おそらくもう無理だ。

 ならば。


「これしか、ない」


 痛みに耐え油の切れた機械のような動きで、右腕を上げて猫の怪物に向ける。

 意識を集中させる。実態の存在しない魔力が、手の平の先で膨れ上がっているのを感じる。

 猫の怪物が瑛子の魔力に気づいたのか、立ち上がろうとしたが失敗して地面を転がった。

 できる限りを使って、魔力を高めていく。そうしていると、不思議と痛みも薄らいでいくようだった。


「これで、終わり!」


 最大まで威力を高めた砲撃を撃ち放つ。瑛子の体を飲み込むほどの太さの砲撃が、真っすぐに猫の怪物の頭を撃ち抜いた。

 吹き飛んだ猫の怪物は、仰向けにひっくり返ってぴくりとも動かない。そして、糸がほつれるようにして体の端から空中に霧散していった。


「終わった……?」

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