4話 渚瑛子④

「ただいま」

「お帰り麻美さん」


 夜になって、帰宅した家主を出迎える。鞄を持とうと手を伸ばすが、やんわりと拒絶された。

 伯母は疲れを感じさせる笑みを浮かべると、瑛子の頭を乱暴に撫でた。照れくさくはにかみながら、伯母が撫でるに身を任せる。

 渚麻美なぎさあさみ、35歳。広告代理店に勤め、日々を忙しく過ごしている。瑛子がこの家で済むようになってから二年が経ち、関係も気安いものになってきていた。


「今日はクリームコロッケにしたよ」

「お、いいね」


 と、麻美は食卓に並ぶ二人分の食事を見て、微妙な表情を浮かべた。麻美は基本的にいつも微妙な表情をしてばかりいる。心に浮かぶ様々な感情を同時に顔に出してしまうので、そういった風になってしまう。だから麻美の感情は表情からはわかりにくいと言われているらしい(本人がそうこぼしていた)。だが二年の同居生活を経た瑛子はそれを多少は翻訳ができるようになっていた。

 この表情は困ったと思いながらも、わずかな嬉しさを感じているものだ。

 麻美は後半の感情を隠すようにこめかみを掻いてうめいた。


「先に食べてていいっていつも言ってるのに」

「別にいいじゃない。わたしが好きでやってるんだから」


 努めて軽く言って、席につく。これもいつものやり取りと言えばそうだ。

 食事を始めれば、普段は静かだ。テレビをつけてはいるのだが、瑛子はほとんど見てはいない。おそらく麻美も見てはいないのではないかと思えた。

 しかし、今日は麻美はよく話した。これは疲れが溜まっているということでもある。


「もうすぐ六年生だな」

「うん。最上学年。あと一年で中学生だよ」

「早いもんだな。あんなに小っちゃかったお前が……まだ小っちゃいか」

「まだ子供だからね」

 

 伯母の言いざまに苦笑する。

 瑛子にとってはこの二年という年月は決して短くない。それまでの人生を思えば、この二年こそが瑛子の本当の人生と言えるものだ。充実して毎日が楽しいと迷いことなく断言できる。

 麻美はビールを一気に飲んで――本当に疲れてるみたいだ――話を変えた。


「最近はどうだ、なにかあったりしたか?」

「なにか……」


 思い切り何かあった当日だ。心当たりに言葉を詰まらせる。麻美が魔法少女のことを知っているわけがないが。

 瑛子は麻美のことを信頼しているが、いくらなんでも魔法少女のことを話すというわけにはいかない。そういえば口止めをされていないが、それでも話さない方がいいだろう。

 クリームコロッケをゆっくり咀嚼しながら思考して、飲み込んでから答える。


「なにもないよ、大丈夫」

「そっか。何かあれば言いなよ。欲しいものとかないか?」

「ううん、なんにもないよ。十分」


 にっこりと答えるのだが、麻美は笑ったりはしなかった。

 麻美はよくなにか瑛子に買い与えようとするのだが、瑛子は大体を断っている。遠慮ではなく、単純に欲しいものがないからなのだが、麻美はあまり信じてはいないようだった。

 麻美はコロッケを一口かじり、苦笑した。


「あたしより料理は全然上手だよね。帰りは遅くなってるときは仕方ないかもしれないけど、家事もそんながっつりやらなくていいからな? 瑛子が来る前は自分でやってたんだから」

「いいでしょ、好きでやってるんだから」

「子供は子供らしく遊んでればいいのに」


 独り言のようにつぶやいて、麻美は食事に戻った。瑛子も特も応じずに食事を続ける。

 この会話もほとんどいつものやりとりだ。麻美は瑛子が居候みたいな立場を気にして家事を頑張っていると思っていて、瑛子は本当に家事が好きでやっているのだが信じられてはいない。

 とはいえ、今の瑛子の関心ごとは他にあった。

 自分の部屋にいるヒューガだ。食事の必要はないそうで(食べられないわけでもないようだが)、パソコンを使いたいということで一人でいさせている。

 ヒューガの姿は瑛子以外には見えないようだが、それでも気にはなってしまう。

 食事を終えたら麻美に風呂に入ってもらって部屋に戻ろう。

 そんなことを考えていて、麻美の呼びかけを聞き逃した。


「瑛子」

「え、あ、なに?」

「ぼーっとしてどうした?」

「う、ううん。なんもないよ」

「そっか。確認しておくけど、瑛子は中学校もこっちでいいのか?」


 瑛子の箸を動かす手がぴたりと止まった。

 どういう意味?

 喉まで出かかった言葉を飲み込んで、短く答える。


「うん」

「……わかった」


 それ以降は会話もなく、食事は終わった。


☆☆☆


 麻美を風呂に入るように促し、洗い物は後回しにしてすぐに自室に入る。


「あ、瑛子」


 パソコンを覗き込むようにして見ていたヒューガがこちらに顔を向けた。

 ほっとする心地で安堵の息を漏らす。


「大人しくしていたね」

「そりゃするわよ、子供じゃないんだから」

「何見てたの?」


 ヒューガの抗議を流して自身も画面をのぞき込む。なんらかのまとめサイトのようだった。出てくる名前に見覚えがある。魔法少女アニメに関するものだった。


「魔法少女について調べてたの」

「ふうん……どうして?」

「この世界では魔法がどういう風に扱われているのか知っておきたかったのよ」

「でも、魔法少女は創作だし、作品によって魔法の扱いも全然違うよ?」

「そのようね。よくもまあ、これだけ考えるもんだわ」


 ヒューガは匙を投げるように言って、ページを閉じた。パソコンの扱いはずいぶん慣れたようだ。


「誰も本物の魔法を知らないんだものね。しょうがないか」

「飛行とか、魔力の武器化、とか……?」

「そうそう。それよりこれ」


 ヒューガは前足でパソコンをぺちぺちと叩いた。


「すごいわねこれ。これだけで情報を見放題。本なんてもういらないぐらい便利すぎる」

「うんまあ、便利だよ」


 適当に相槌を打って、ヒューガをつかんでこちらを向かせた。


「訊きたいことがあるんだけど」

「うん、なに?」


 気軽に返されると、勢い込んだ気力が空回りするような感覚に陥ってしまう。

 なんとか立ちなおして、問いを重ねる。


「説明してほしい。ヒューガがなんなのか、魔法少女の力について、怪物ってなんなのか、そういうの全部」


 ヒューガは瑛子を見返して、はっきりと頷いた。


「わかった、説明する。魔法少女になった初日だから疲れてるだろうと思ったけど、聞く準備はできてるってことでいいんだね?」


 確かに疲れていて混乱もあるが、このまま放っておかれる方が辛い。

 椅子に座って、机に乗っているヒューガと向かい合う。「近いな」とヒューガは数歩後ろに下がり、パソコンの上に乗った。


「ワタシたちは、ユービスから来た。こことは違う、魔法の世界」

「ユービス……」

「そう。言っておくけど、魔法の世界だからこんな姿をしているんじゃないからね。瑛子と同じ人間なんだから」

「え?」


 仰天して、まじまじと青色の兎を見つめる。アニメの使い魔か妖精のようなイメージを持って見ていたのだが、元は人間?


「じゃあ、これも魔法で?」

「その話は今はおいといて」


 面倒そうにうめいて、話を戻す。


「ユービスは平和な世界でね。魔法の力を持つ魔女が国を治めていて、ワタシたちも魔法の力をよって役割を持っていた。でも、ユービスから脱走した魔女がいたの。グレンという魔女で、周囲を扇動してこっちの世界に移動していったの」

「何の為に?」

「それが問題でね」


 ヒューガはしばし押し黙った。ややあってから、話を続ける。


「ユービスはね、この世界のおかげで存在できているの。この世界の人が何かを願うときに生まれる願いの力を原動力にしてユービスは存続して、魔法を使うことができてる。グレンの目的は、その願いの力をユービスに行かないようにすること」

「そうなったら……どうなるの?」

「わからない。ユービスが滅びるっていうのが一番可能性が高いと思う」

「じゃあ敵ってそのグレンって人のことなの?」

「グレンもそう。落ち着いて一回最後まで聞いて」


 宥めるように言われて、瑛子は前のめりになっていた自分に気が付いた。


「もちろんワタシたちはグレンを止めるためにこっちの世界に来ている。だけど問題があって、こっちの世界に来るときには元の姿では来れなかったの。それでこんな姿になった」


 うっかり訊きたいことを口にしかけたが、最後まで聞くんだったと思いとどまった。


「こうなると、魔力が回復しなくなるの。せいぜいこうやって浮くぐらいね。だから魔力は、魔法少女を一人生み出すことだけに使う。これはグレンたちも同じ」

「ってことは……」

「グレンたちにも魔法少女がいる。ワタシたちと同じく」

「それが、敵?」

「それも敵」


 含みを持たせた言い方に眉をひそめる。

 ヒューガはいい? と話を進める。


「グレンたちはこっちの世界に来てすぐに願いの力がユービスに送られる仕組みをいじったみたいなの。だけど完全には変えることはできなかった。願いの力の一部だけがユービスに送られないようになっただけ。今の状態ならユービスは問題なく存続できる。問題は送られない一部の願いの力。願いの力には外に出ると形を保とうとして――怪物になる」

「怪物……」

「そう。ワタチたちの敵はグレンたち、その魔法少女たち、そして怪物」


 ヒューガはパソコンを操作して、あるサイトを呼び出した。どこの国のものかはわからない言語だった。なにかのニュースのように見える。


「これはたぶん怪物に関する報道。おそらく、今後もっと増えてくると思う」


 ニュースは読めないが、画像が一枚表示されていた。映画のシーンのような奇妙な動物が映っている。

 これが、怪物?


「戦うにあたって、力をつけなくちゃいけない。だからまずは訓練だね」

「怪物って強いの?」


 訪ねるとヒューガは首を傾げた。しばらくして、気楽に言ってくる。


「たぶんそんなに強くないわね。ちゃんと訓練すれば普通に勝てるんじゃない?」

「…………」


 なんだか不安になるような言い方だった。が、気になることは他にもある。


「グレンたちって言ってたけど、全部で何人いるの?」

「おそらく、魔法少女となっているのは十人」

「ヒューガたちは? 一人じゃないんでしょ?」

「ええ。こっちは百人の魔女がユービスから渡ってきた」


 十人に対して百人。単純に十倍だが、だとしても。


「世界にいる十人を、百人で探すの……?」

「ええ。そのうち見つけられるでしょう。多少の問題はあるけれど、大丈夫よ」


 ヒューガが言うのならばそうなのだろう。何かそのための魔法があるのかもしれない。

 そうなると、瑛子がやることは一つだった。


「じゃあ、明日から訓練だね」

「ええ。やる気になってきたじゃない」


 説明は受けたが、わからないことはまだまだ多い。けれど細かいことはこれから聞いていけばいい。

 はっきりしたのは、戦う相手がいるということ。そのための訓練が必要ということ。

 思い切り息を吐いて、ヒューガと目を合わせる。


「頑張るよ。あらためてよろしくね、ヒューガ」

「ええ、よろしく」


 握手でもしたかったが、兎が相手ではそうもいかない。とりあえず前足に指を乗せるとヒューガは疑問そうにはしたが振り払ったりはしなかった。

 こうして、渚瑛子は魔法少女として戦うこととなった。

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