2話 渚瑛子②
「思ったけど、ヒューガが見られたらまずいんじゃないの?」
玄関のドアを開けようとして、気づいたことを指摘する。
部屋からもここまでヒューガは空中を浮遊して進んでいた。いろんな意味でこんな生き物がいるわけがない。ぬいぐるみとして瑛子が抱えていけばいいのだろうか。しかし11歳にもなってぬいぐるみを抱えて歩くのは……
そんな瑛子の懸念をヒューガは一息で否定した。
「普通の人にはワタシのことは見えないから」
「そ、そうなんだ……」
断言されてもおっかない心地で家を出る。とりあえずは誰もいないことにこっそり安心する。
「どこに行くの?」
「人目がない方がいいわね。どこかそういうところある?」
「たぶん……あると思う」
自信はなかったがそう答えて歩き出す。瑛子はそこまで行ったことがないが、ヒューガの条件を満たすはずだ。
今は二月で、雪もピークだ。歩道と車道の間には寄せられた雪が瑛子の背丈より高く積みあがっていて、人目がないといえばない。だから車が通ったりしても、ヒューガが見られたりすることもない。
だがヒューガが瑛子の顔の真横に並んで移動しているのが気になりすぎて、きょろきょろと挙動不審になってしまう。
曲がり角を曲がると、正面に主婦っぽい女性と出くわした。声が出そうになって足を止める。女性はそんな瑛子を不思議そうに見ながらすれ違って歩いて行った。ヒューガを気にしている様子はまったくなかった。
ヒューガは呆れたように吐息した。
「大丈夫って言ったでしょう。ほら、行くわよ」
「う、うん……」
本当に瑛子以外にはヒューガは見えないようだった。胸を撫で下ろして普通に歩いていく。
アニメと同じだった。妖精の姿は魔法少女以外には見えない。瑛子は正確にはまだ魔法少女ではないが、それでも瑛子にしかヒューガの姿は見えていない。
それがわかると、次第に落ち着きを取り戻してきた。
「そういえば、ヒューガは寒くないの?」
「ええ、平気よ」
「やっぱり毛皮は暖かいんだね」
「誰が毛皮よ」
兎の毛皮のことを言ったのだが、ヒューガは不機嫌に返してきた。
ヒューガは自分の体を見下ろして、小さくうめいた。
「いやまあそうね。寒さはあまり感じないの。この姿のせいかしら」
「それって……」
言いかけたところで人が歩いてきたので、慌てて声を止める。ヒューガの姿は誰にも見えていないのだから、大きい独り言を言っている子供になってしまう。
会話がとぎれたことで思考を切り替えて、今向かっているところのことを考える。
瑛子の思考は、アニメのそれをなぞっていた。魔法少女のアニメでは、おおむね人気のないところで訓練を行うシーンがあったりする。本編で場所探しをしているシーンを見たことはないが、彼女たちもそういう場所を探すのは苦労したのかもしれないと思う。
人気のない場所は、共通している要素がある。アニメを見ていたこともあり、人目のない場所で瑛子がまずイメージしたのはそこだった。
そこに足を踏み入れて、瑛子はヒューガに囁いた。
「ここ」
「ここ?」
ヒューガが不思議そうに繰り返す。
「まだ少し先だけどね。たぶん大丈夫」
「そう」
瑛子が入っていったのは公園だった。中央に池がある大きな公園で奥は山になっている。
もちろん奥は進入禁止だが、そうでもなければヒューガのいう人目のないところという条件を満たせないだろう。
普段、というか季節さえ違えば子供たちだけならず近隣の住民すら訪れる広い公園なのだが、雪が降り積もっている現在では人などいるわけもなかった。
というか明確に立ち入り禁止のロープすら張られている。管理の関係で人は入るのだろう雪が積もりっぱなしということもなさそうで、ロープさえ超えれば進むことはできそうだった。
念のため周りを確認する。誰もいない。これなら、とドキドキしながらロープを超えていった。
「ここ?」
「もうちょっと奥までは行きたいな……」
「それにしても雪が多いわね」
ヒューガの今更なコメントを聞き流して慎重に奥に進んでいく。ここ数日は雪も降っていなかったので、まだ歩きやすい。
誰にも出会うことなく、公園の奥へと進んでいく。が、中ほどまで来たところで進めなくなった。
「ここより先に行ければ良かったんだけど……」
瑛子が足を止めた向こうには、途方もない量の雪が積もっていた。瑛子の背丈より高いそこは、もはや乗り越えて進むという次元すら超えていた。どちらかといえば、トンネルを掘って進む方が現実的でさえある。
「ここじゃダメなの?」
ぐるりと周囲を見回したヒューガが言ってくる。確かに人気は全くないが。
「いつ人が来るかわからないから」
「この向こうに行けばいいのよね」
雪の壁を指し示して、ヒューガ。
瑛子は頷いて答える。
「もっと先に行けばまず人が来なさそうなところがあったんだけど」
夏場でも立ち入れない、というより誰も立ち入らない山に入っていくコースだ。そこまで行けばさすがに誰にも見られないという見込みだったのだが、そこまで行くこともできない。
普段公園などに来ないし、冬になればなおさらだ。自分の見込みが甘かったと素直に反省するが、かといって代案もすぐに浮かばない。
「ここでいいわよ」
「え? だから――」
言い返そうとした瑛子の胸元に、ヒューガが飛んできた。慌てて受け止めると、ヒューガは瑛子を見上げて告げる。
「そのまま持ってて」
「う、うん……」
瑛子の両手の上にちょこんと乗っているヒューガが、目を閉じた。
なんだろうと思っていると、両手に少しずつ暖かくなってきた。毛皮から熱が伝わってきているのかと思ったが、どうにもおかしい。
ヒューガの存在感が高まっていき、重たく大きい熱の塊を抱えているような錯覚を覚えた。目をぱちぱちさせる。実際にはヒューガの大きさも重さも変わっていない、はずだ。
「ヒューガ?」
呼びかけても反応はない。じっと動かずに何かを念じているように見えた。
まるで炎を抱えているようだった。しかし離すことはできない。不思議と恐怖は感じずに、ヒューガを抱えたまま立ち尽くす。
手に伝わっていたはずの熱が、全身に回っている。体の隅々までが熱く、体が浮き上がっているような感覚すらある。
その感覚が高まり続ける中で、ヒューガが目を開いた。
「これでよし」
満足そうにつぶやいて瑛子の手の上から離れるヒューガに困惑のまま問いかける。
「なにをしたの?」
全身の熱は引かないままだ。全身に力が漲っていて、今なら何でもできそうだとすら思える。寒さも、まったく感じない。
「あなたは今魔法少女になった」
「…………」
ヒューガの宣告に、瑛子は自分の体を見下ろした。
力は漲っているが、見かけは何も変わっていない。少し体を動かしてみるが、違和感なく動かせた。感じる力から思うと、違和感がなさすぎるぐらいいつも通りの動きだった。
少し考えて結論を出した。告げる。
「なってない」
「なってるわよ……」
呆れたようにうめくヒューガに、やはり納得できずに言い返す。
「だって、何も変わってない」
「え? 感覚が違うでしょう」
「それはわかるけど……見た目。変身みたいなのないの?」
「あなたは何を言っているの?」
素で訊き返されて、瑛子は言葉に詰まった。
自分がひどく子供っぽいことを言っている気がして顔が熱くなる。しかも魔法少女になることをかなり受け入れてもいることにも気づいて余計に恥ずかしくなった。
(だって、魔法少女になるなんて言われたら……)
内心で言い訳していると、ヒューガはああと合点した。
「そういえば、アニメでは服が変わっていたわね」
「そ、そう。魔法少女は変身するから」
「服変わることに意味があるの?」
「あるよ!!」
つい怒鳴ってしまった。きょとんとするヒューガを前に、慌てて周囲を確認する。それなりに声が響いてしまった。
魔法少女の変身に意味がないような言い方をされたせいで、魔法少女好きとして黙っていられなかった。普段はこういう面倒くさいところはなるべく押さえているのに。
だけど、とヒューガの言葉を頭の中で繰り返す。
魔法少女になった?
変な感じはするけど、全くそんな実感はない。魔法少女ってことは、変身して、魔法を使えるようになって……
「さて、行くわよ」
「行く?」
ヒューガは雪壁の向こうを向いている。
「この向こうに行けば人はいないんでしょう? 今なら行けるから」
「い、行けるって、どういう……」
「魔法少女になると、使える魔法がいくつかあるの」
いきなり始まった言葉に、瑛子はぴたりと口を閉じた。
「そのうちの一つが飛行よ。やってみましょうか」
「できるの……?」
細い声で問いながら、瑛子は心臓が高鳴るのを感じていた。
よくわからないままここまで来たけど、本当に魔法が使えるのだろうか。
瑛子の昂ぶりを読み取ったように、ヒューガはにやりと笑った。
「当たり前でしょう。念じれば飛べるわ」
「念じる……」
瑛子の頭には、やはりかりんが浮かんでいた。かりんは魔法少女に覚醒した後、すぐさま魔法を行使して敵と戦っていた。が、二話ではちゃんと訓練するシーンが描かれていた。その時のかりんは、飛べと言ったら飛んでいた。ヒューガのいう念じるも、その類と考えていいのだろう。
深呼吸をして、目を閉じる。ぎゅっとこぶしを握り、心の中で祈りの声を上げた。
(――飛べ)
不意に体が軽くなった。え、と手足をばたつかせるがそのまま体が浮かび上がっていく。雪の壁を越えたあたりで、ヒューガは気楽に言ってきた。
「いい調子よ。そのまま移動していきましょうか」
「どうやって!?」
コントロールがおぼつかない状態で悲鳴を上げる。
本当に魔法をちゃんと使えるようになるのか、たまらなく不安になった。
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