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 ドドドッと地の揺れすら感じる轟音と共に、戦車競技場の中を二頭の馬に引かれた戦車が通り過ぎて行く。

 周囲の観客達はその迫力に歓声を上げ、……僕も声こそ上げなかったが、胸の高鳴りを抑える為にゴブレットに注がれた葡萄酒を口に運ぶ。

 いや、やはり戦車レースは物凄かった。

 剣闘を観戦する際は、舞い散る血に酔うよりも、剣闘士の技量や身体能力に目が行ってしまう僕だが、戦車レースはもう圧倒的な迫力でそんなこざかしい見方をさせてくれない。


 今現在、帝国で行われる戦車レースには主に二種類あり、一つは二頭引きの一人乗りの戦車で行う妨害なしで楕円形の戦車競技場を数周するレースと、もう一つは四頭引きの二人乗りの戦車で行う妨害ありのレースだ。

 尤も二頭引きは妨害なしとは言っても、旋回しながら戦車を相手の戦車にぶつける位は平気でするので、お行儀の良い単なる競争とは決して言えない。

 そして妨害ありとされる四頭引きは、御者以外に槍に見立てた長い棒を携えた戦闘要員が一人乗り込み、相手を戦車から突き落としたり、馬を棒で打ったりする非常に荒々しい物である。

 当然ながら、馬から突き落とされた者が後続の馬や戦車に轢かれて死亡する事故だって多かった。


 そんな戦車レースだが、その歴史は古い……、と言うよりも戦車自体の歴史がとても古い。

 元々戦車はその名の通り、戦場で戦う為の二輪の馬車であった。

 今では戦場で馬を使うと言えば騎兵が当たり前だが、どうも昔の馬は今よりもサイズが小さかったらしく、武装しての騎乗、または騎乗しての戦闘には些かの難があったそうだ。

 故に騎乗して戦う為の足場を複数の馬で引くと言う形に安定し、戦車と言う乗り物は生まれたのだろう。


 古代の戦場では、戦車は正に花形であったとされる。

 両軍がズラリと戦車を並べ、それが激しくぶつかり合って勝敗を決めたんだとか。

 無論僕はその時代に生きた訳じゃないから、本当の所はどうだか知らない。

 何故なら帝国が建国される頃には馬の体格が大きくなり、また馬具の質も上がった事で騎兵が台頭し、既に戦車は戦場では廃れてしまったから。

 何でも少しでも体格の大きな馬を名馬とし、その種を残し続けたから全体的に馬が大きくなったそうだ。


 直線を走る速度はさて置き、旋回の性能で言えば、戦車は騎兵の足元にも及ばない。

 正面からの突撃ばかりでなく、場合によっては側面に回り込んでの攻撃も行える騎兵が、戦車よりも優れているとされるのは当然の事であった。

 だけど戦車はやはり見栄えが良かったので、一部の物好きな指揮官は好んで愛用する場合もあったと言う。


 そんな風に一部の例外を除いて戦場から廃れてしまった戦車だが、けれどもその途轍もない迫力は人々を魅了して止まなかった。

 だから戦車の用途は戦争から競争して勝敗を競うレースに変わり、今も残る。

 別にロゲンスト・デュラサス伯爵だけが物好きと言う訳では決してなく、歴代の皇帝の中にだって、戦車レースを深く愛した方は多く居たと言う。

 なのでその人気は、決して闘技場での剣闘に劣る物ではない。


 但し戦車レースに掛かるコストは、戦車と馬を揃えて終わりと言う訳でなく、その維持費や、御者の給与や育成費に加え、戦車を走らせる場所の整備等と凄まじい。

 最小単位なら奴隷二人に剣を持たせて殺し合わせるだけで良い剣闘とは全てが桁違いだ。

 その為に戦車レースは帝国人に絶大な人気を誇りながらも、その開催は月に一度か二度と数少ない。

 ましてや今の帝国は凍える夏と言う厳しい試練を潜り抜けたばかりで娯楽に注げる余力が乏しく、また今の皇帝陛下が剣闘や戦車レース等の荒っぽい娯楽に血を沸かせるよりも、学術や音楽、劇等を好む穏やかな性質である為、全く戦車レースの開催されない月も決して珍しくはなかった。



 では何故そんな戦車レースの観戦を僕がしているかと言えば、今回の戦車レースの主催者であるロゲンスト・デュラサス伯爵からの招待を受けたからである。

 今代のデュラサス伯爵と言えば熱烈な戦車レースの愛好家で、多くの名馬や腕の良い御者を何人も抱えてる事で知られる人物だった。

 そして戦車レースなんて大金の掛かる道楽に血道を上げられるだけあって、デュラサス伯爵家は豊かで広い領土を有してる。

 但し保有する領土が豊かで広いと言う事は、その分だけ凍える夏で受けた影響も大きいって意味だ。

 デュラサス伯爵家が蓄えた財貨を放出し、凍えた夏は乗り切ったらしいが、当主であるロゲンスト・デュラサス伯爵は自身の趣味を縮小せざる得なかったと聞く。

 ならば恐らく、その凍えた夏を引き起こした霜の巨人や、それを崇めて守護する霜雪の剣、または僕の事を決して良くは思ってないだろう。


 まぁそれでも今回のレースに出場する戦車の三割か四割はデュラサス伯爵が所有する物である辺り、流石としか言い様がない。

 だってそれ以外にレースで一着を取った際に出される賞金だって、主催者であるデュラサス伯爵家が出しているのだ。

 他の参加戦車は貴族家や、商家等の大金持ちの市民が所有する物だが、やはりそれ等と見比べるとデュラサス伯爵の持つ戦車は車体や馬の見栄えがとても良かった。

 こう言うのを見ると、僕も戦車が欲しいなと思ってしまう。

 尤も今のファウターシュ男爵家にはもっと金を掛けねばならぬ事が多々あり、戦車なんて代物を保有する余裕はこれっぽっちもないのだが。


 ……さて、更にデュラサス伯爵家は代々近衛隊との繋がりも深く、今も当主の次男や分家の男子が、幾名か近衛隊に所属している。

 つまりデュラサス伯爵は、ミルド流の近衛派に近しい貴族と言えた。

 どうしても、この招待には何らかの裏があるのだろうと、勘繰らざるを得ない。


 とは言え、誘い自体は決して不自然な物ではないのだ。

 僕は霜の巨人の神殿発見や、皇帝陛下からの褒賞で神殿の管理者になった事、また御前試合への出場で、随分と名が売れてしまった。

 なので僕に冒険譚等を聞きたがる帝国人は多く、それは貴族も例外ではない。

 故にこの手の催しや夜会には、割と頻繁に誘われている。

 だから裏があると思うのは僕の勘繰り過ぎである可能性も、まぁなくはなかった。


 しかしそれはさて置き、今行われてるのは二頭引きの戦車レースだが、朝から一度も一着を当ておらず、ハズレの賭け札を投げ捨ててばかりいる。

 賭けは小遣いの範囲内に収めているが、流石にこのままだと少々拙い。

 いやでも、食事休憩を挟んだ午後からは四頭引きの、妨害ありのレースが行われるし、そちらを当てれば負け分を取り返して充分に釣りも来るはずだ。


 何せ四頭引きの盛り上がりは二頭引きを大きく上回るから、賭けで動く額もまた大きいだろう。

 まず馬の数が多くて、戦車も二人乗りであるから当然ながら大きく、時には犠牲者も出る位に激しく争うのだから、盛り上がらない筈がない。

 剣闘に例えるならば、四頭引きのレースは一日の最後として行われる、上級剣闘士が出て来る試合の様な物だった。


 つまりは、そう、僕は未だ負けてない。

 勝負はここからなのだ。

 そんな風に自分に言い聞かせ、僕はゴブレットの葡萄酒を飲み干す。

 勿論それは、このまま何事もなくデュラサス伯爵が僕に戦車レースを楽しませてくれたらの話だけれども。

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