5-8
『霜の巨人は、零落せし神々の一柱なり』
巨大な石像の足元には、そんな言葉から始まる記述が刻まれた、一枚の石板が安置されていた。
それを読み進めた僕は、難題の一つが実は既に解決していた事に安堵する。
『最も古き始原の存在、地に落ちて尚も偉大なる者。
霜の巨人は眠りから目覚めて寒さを齎す。
されどその寒さは人に対する戒めだ。
豊かな実りの日々が続けば、人はやがて感謝と喜びの心を忘れ、それを当たり前だと感じる様になる。
そして次は更に多くを求め出す。
けれども感謝を忘れてより多くを求める心は、やがて暴食の災厄、アーバドゥーンを呼び覚ます。
そうなれば全てが暴食の災厄に喰らい尽され、人は滅び去るだろう。
故に霜の巨人は、アーバドゥーンを封じ、人を戒める為に世界を雪で覆うのだ。
凍える寒さは三年続く。
しかしその三年で、人は耐え忍ぶ強さを手に入れる。
その強さを以って、人は寒さが去った世界で、より繁栄するだろう』
……と、石板に刻まれていたのは、おおよそこんな感じの内容だ。
言い回しが非常に古いから、ニュアンスに多少の間違いはあるかも知れないけれども、大筋は多分間違っちゃいない。
これならば、大きな難題であった霜の巨人と言う魔術概念の修復は実に容易いだろう。
帝都にこの場所を摸した神殿を建設し、石板の内容をそっくりそのまま公開すれば、霜の巨人をそう言う物だと認識した人々によって魔術概念の修復は行われる。
元々が神とされた存在なら、別に祀られたとしても何の不自然もなかった。
でも一つだけ気になるのは、恐らくその解決法が、最初からユーパ・ミルドと皇帝陛下の中で決まっていた既定路線であろうと言う事。
ユーパ・ミルドから僕が受けた依頼は、『霜の巨人と言う魔術概念の修復』だった。
だがそれを遂行する為に皇帝陛下から与えられた勅令は、『霜の巨人の調査』だ。
僕は当初、この違いは霜の巨人が魔術概念であると言う事を伏せて勅令を出す為の物だと考えていた。
しかしこの石板の内容を踏まえてもう一度考えると、僕に求められたのは本当に霜の巨人の調査だけであったのだとわかる。
何故ならこの調査結果を報告すれば、後の解決は皇帝陛下が、と言うよりも国が行う事になるから。
そうなると間違いなく、この石板の内容はユーパ・ミルドも、更には皇帝陛下も把握している。
そうでなければ、霜の巨人が魔術概念であるとユーパ・ミルドが知っている筈がなかった。
帝国に古い文献が残っていたのかも知れないし、或いはユーパ・ミルドが自身でこの場所を訪れたのかも知れない。
だって僕に来れる場所なのだから、あのユーパ・ミルドに来れない筈がないだろう。
要するに僕の調査にはあまり大きな意味がないのだ。
精々が、術式が破損しているか否かを確認する位か。
だけど僕はこの神殿へ来る様に、調査の勅令を与えられた。
つまり調査には然したる意味はなくとも、僕が自分の足でこの場所に辿り着く事には意味がある。
より正確に言うならば、僕ではなくてもファウターシュ家の誰かであれば良い筈だ。
あぁ、ならばきっと、僕の父もこの件には加担しているに違いない。
多分この後は、僕は勅令を遂行した功績により、帝都に建設される神殿の管理者に任命される流れだろう。
霜の巨人に仕える祭司であり、守護する戦士と言う位置付けだった。
すると逆説的に、霜の巨人の神殿を発見し、祭司や守護する戦士となったファウターシュの一族の英雄であるルッケル・ファウターシュが、霜の巨人を傷付けた筈がないと言う事になる。
或いは神殿を発見し、霜の巨人を守護する戦士となったのは、ルッケル・ファウターシュが最初だったと言う話になるかも知れない。
こうしてルッケル・ファウターシュが霜の巨人に傷を付けたと言う帝国人の認識を、全く逆の物に上書きするのだ。
そうすれば霜の巨人と言う魔術概念を機能停止に陥らせた傷は、これ以上ない完全な形で修復されるだろう。
……掌で踊らされていた件に関して思う所は多少あるけれど、それが最も良い着地点である事には僕も異論はなかった。
何よりも、今回の話に父が加担してるなら、不満なんて抱けよう筈がない。
だってこれは、間違いなく僕に対する父の親心だったから。
神殿の管理者と言う地位と役割を皇帝陛下から直々に与えられれば、僕はそれを受け継ぐ家を構える事になる。
多分男爵辺りの貴族位も管理者の地位には付属する筈だった。
そうなると流石に、もうファウターシュ侯爵家の当主に僕を据えるなんて話は二度と出ない。
僕が剣の研鑽を積もうが、魔術を極めようが、どれ程に名前が売れようが、分家の剣士達は口を出せなくなるだろう。
つまり父は、僕に好きな事に励める自由を与えようとしてくれたのだ。
また神殿の管理者、祭祀は、修復される霜の巨人と言う魔術概念の恩恵を最も強く受ける立場だ。
ルッケル・ファウターシュの件で、霜の巨人と言う魔術概念は剣と強い縁を得ていた。
剣技と魔術を組み合わせる際に力を借りるには、都合の良い概念になる。
それに神殿の管理者は、普通の領主と違って領地経営の手間がない。
この後、確実に凍える夏、冷害が起きて後始末に奔走する羽目になる罰ゲームの様な領主と言う役割と違って、神殿の管理者ならば自分を鍛える時間もたっぷりと取れるだろう。
こんな好条件は、ちょっと他には考えられない。
不満なんて、当然ある筈がなかった。
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