5-7


 僕は短時間に魔力を放出し過ぎた事による頭痛や吐き気と戦いながら、石段を登る。

 ミルド流・纏いの剣は、魔力さえ保有していれば、その量が少なくとも使える効率の良い技だが、それは魔力を流す対象が剣と言う小さな物で、尚且つ魔力を流す時間も剣を振う間のみと短いからだ。

 故に当たり前の話だが、巨大な化け物を殺し得るサイズの氷柱に魔力を流せば、その消耗は剣に使う時の比では無い。

 それに加えて広範囲型の上級魔術を三度も連続で使えば、幾ら魔力の保有量が多い僕でも、その底が見えると言う物だった。


 上を見上げれば、先はまだまだ長そうだ。

 僕は溜息を一つ吐き、背の荷物を一度下ろして、石段に腰掛けて座り込む。

 本当に疲れているのだろう。

 一度腰を下ろすと、僕の身体はまるで根が生えてしまったかの様に、暫くは動きたくないと主張する。


 まぁ、仕方ない。

 うっかり寝こけると命に係わる危険があるが、少し休憩する位は構うまい。


 下を見下ろせば、もう随分と石段を登った筈なのに、氷柱に貫かれて息絶えた巨大熊の骸が見えた。

 全く以って、どれだけ大きかったのかって話である。

 あんな巨大な魔物が、あの場所を縄張りと決めていたのは、帝国本領からの流れてくる魔力の通り道だったからだろう。

 暫くそれをじぃと眺めていると、

「楽しかったなぁ……」

 ふと僕の口からは、そんな呟きが零れていた。


 あぁ、そうだ。

 あの戦いは楽しかった。

 どうしようもない程に、自分よりも格上の相手との戦いは、僕の心を昂ぶらせた。


 ……ずぅっと忘れて、その気持ちに蓋をしてたけれど、昔の僕は強い相手に挑み、そして勝利をもぎ取る事が何よりも好きだった。

 兄に挑んだのも、父や教官に挑んだのも、全てその喜びの為に。

 勿論、剣を振る事自体が好きだったと言うのも本当だ。

 でもだからこそ余計に、その好きな剣で強者に打ち勝つのが、より楽しく好きだったのだろう。


 とは言え、家を出て魔術師の道を選んだ事が、間違いだったとは決して思わない。

 あの巨大熊を倒せたのは、僕が魔術に真剣に打ち込んで、自分の才を開花させたからだ。

 僕はそれを誇りに思う。


 だけどやはり一つだけ、どうしても僕が間違っていたのは、自身にその資格がないと思い込んで剣を遠ざけた事だろう。

 心に蓋をし、もう自分は剣に縁がない、それを欲してはいけないと決め付けて、強者との戦いに心躍らせる事すら忘れてた。

 その結果、折角ユーパ・ミルドなんて物語にしか出て来ない様な本物の強者に出会えたのに、警戒するばかりで挑もうって発想すら出て来なかったのだ。

 まぁ剣を遠ざけてた今の僕の腕では、ユーパ・ミルドに勝利するなんて、夢のまた夢だけれども。

 何年か掛けて剣の腕を鍛え直し、そこに魔術を組み合わせれば……、万に一つの勝ち筋位は見いだせるだろう。


 厳しい北の大山脈の旅で、極限の状況で、僕の心身は徐々にすり減っていたらしい。

 だからこそ、心を塞いでた蓋にも罅が入り、そして巨大熊との戦いで割れてしまった。

 もう一度この気持ちに蓋をするのは、僕には些か難しい。

 何よりも、僕は再び自分の気持ちに気付けた事を、とても嬉しく思ってしまっているから。


 冷たい空気を大きく胸に吸い込めば、僕は頭痛と吐き気が随分と収まっている事に気が付いた。

 ならばそろそろこの石段を登り切ってしまおう。

 どうするにせよ、ユーパ・ミルドからの依頼を、皇帝陛下からの勅令を、済ませてからの話なのだ。



 長い石段を登り切った先に待っていたのは、一体の巨大な石像だった。

 先程戦った巨大熊よりも、更に大きく見える石像に、僕は暫し言葉を失う。

 まぁ元々この一人旅の間に言葉を発した事なんて、それこそ数える程だったけれども。


 また石像は、単に大きいだけじゃなく、何やら侵し難い空気を纏ってる。

 まるで、そう、神殿に安置された神像の様な、とても神聖な空気を。

 否、様なではなく、実際にここは神殿で、あの石像は紛れもない神体だ。


 周囲を見まわせば、屋根のない風に吹き曝される場所ではあるが、四方に太い柱が立ち、周囲とは明確に区切られていた。

 更に床は石のタイルが敷き詰められて並ぶ。

 その丁寧な仕事は、この場所が単に魔術を発動させる装置としてではなく、あの石像への畏敬を以って建設された神殿なのだと物語ってる。

 本来ならば石像も柱も床のタイルも、雨風に曝されてとっくに風化していてもおかしくはないのだが、こんなにも綺麗に形を残すのは恐らく魔術的に保護されているからだろう。


 僕は胸に手を当て一礼し、意を決して風が吹き曝す神殿に踏み込む。

 踏み締めた石のタイルには、細かな紋様が書き込まれている。

 どうやらこの床自体が、凍える夏を発生させる術式の一部らしい。

 つまり僕は術式の状態を調べる為に、全てのタイルを調査する必要があるって事だった。


 ……まぁ、仕方ない。

 どうせ僕の体力はもう限界が間近だったから、この場所で数日は休まねばならないのだ。

 幸い、食料に関しては先程倒した巨大熊でどうにでもなった。

 それに神殿に荒らされた後がない事から察するに、この場所には魔物を遠ざける術式も施されてる。

 帰り道を踏破する体力が戻るまで休息しながら、その合間に少しずつ調査を進めよう。

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