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 三日後、半年間の旅で集めた土地の魔力保有量を纏め上げた報告書を国に提出してから、僕は再び旅装を身に纏う。

 幾ら帝国の、大陸の破滅の未来を知ったからと言って、半年もの時間を掛けた仕事の成果を報告もせずに放り出す事は、流石に僕には出来なかった。

 それにその破滅の未来だって、今日や明日、すぐにどうなると言う物でもない。

 と言うよりも、どうすればそれを避けられるかの方針も今だに見えても居ないのだ。

 焦った所で仕方ないとの言葉は、こんな時に使うのだろう。


 また僕としては、ユーパ・ミルドからの依頼を受けるに当たって、宮廷魔術師の職は辞さねばならないと考えていた。

 流石に今の、地脈研究科の仕事を続けながらでは、霜の巨人の魔術概念をどうにかするなんて不可能であるから。

 しかし今朝、提出した報告書の代わりに上司であった地脈研究科の魔術師長から手渡されたのは、皇帝陛下の印が押された命令書。

 所謂勅令と言う奴だった。


 そしてその内容は、霜の巨人に関して調査せよと言う物。

 つまりは、そう、ユーパ・ミルドの依頼を、僕が宮廷魔術師の職を辞さずとも受けられる様にとの配慮であろう。

 どうやらユーパ・ミルドは、皇帝陛下とも深い関わりを持つらしい。

 まぁ何はともあれ、職を失わずに済むと言う事は、実に有り難い話であった。


 それにこの勅令書があれば、帝国内であるならば様々な便宜を図って貰える。

 例えば、……帝国の大書庫に納められた禁書の類も、この勅令書を見せれば閲覧許可が下りるのだ。

 帝国に集められた膨大な量の書物の中には、魔術概念に関する物も数多い筈。

 魔術師としては若輩者も良い所の僕に足りぬ知識を、それらの書物はきっと補ってくれるだろう。


 けれどもそれよりも、まずは帝国に凍える夏、冷害を齎していた術式を、この目で実際に確認せねば話にならない。

 既に一度機能を停止してしまった以上、霜の巨人と言う魔術概念を補強した所でその術式が再起動するかどうかは不明であるし、……何よりも可能であるなら冷害が起きてしまう凍える夏なんて手段でなく、別の手段で帝国とこの大陸を救いたかった。

 やっぱり僕も帝国に生きる一人として、ファウターシュの一族として、多くの帝国人が苦しむ事になるだろう冷害にはどうしても忌避感がある。

 勿論背に腹は代えられないが、時間にまだ猶予があるならば方法の模索位は構わない筈だ。



 さて、地脈研究科の魔術師として旅慣れている僕ではあるが、それは帝国内、人が住まう地での話である。

 流石に前人未到の、……否、そこに魔術の術式が設置されてる以上、踏み入った人間は居たのだろうが、今の時代では前人未到とされる北の大山脈は勝手が大いに違うだろう。

 水に食料、それから暖かい季節になったとは言っても、防寒対策だって必要だった。


 幸い僕は魔術師で、魔術を使えば色々な手間は省略が可能だ。

 魔術で水は手に入るし、沸かす事も出来る。

 動物の数は多くはなかろうが、魔物は恐らく生息しているだろうから、狩れば肉は手に入る筈。

 それである程度の荷は減らせるだろう。


 だったら意識して摂取しなければならない食料は、緑の滋養か。

 肉ばかりの食事があまりに長く続くと、体内の調和が崩れて血が流れ出し、やがては身体が腐って死ぬ。

 これを防ぐには植物から取れる滋養、新鮮な果実や野菜等を摂取する事が必要だとされていた。

 尤も果実や野菜の鮮度は時間と共に失われるし、そもそも嵩張る荷物になる。

 故に僕が用意しなければならないのはそう言った果実や野菜ではなく、ある種の薬草を魔術師が加工して作る、緑の滋養と呼ばれる丸薬だった。


 緑の滋養とは、摂取する事で新鮮な植物が持つ栄養を余さず肉体に与える、消耗型の魔導具である。

 その用途は、主に老化により食が殆ど取れなくなった貴族の延命治療だ。

 当然ながら魔剣の様にずっと使える魔導具程ではないにしても、それなりに高価な品となる。


 だが今の僕には皇帝陛下の勅令書と言う大きな財布があるので、数を揃える事も可能だった。

 勅令を果たす為に必要な経費は、然るべき所で購入するなら、国が後で支払ってくれるのだ。

 であるならば、僕も身体を腐らせて死にたくはないので、帝国の金を使う事に躊躇いはない。


 僕はその他にも旅に必要になると思われる道具、魔導具を、荷物の許す限り、金に糸目を付けずに買い漁り、そうして帝都を後にする。

 ここから北の大山脈へは、僕の一人旅だ。

 戦力的には、ユーパ・ミルドが付いて来てくれれば有り難かったが、彼にはバッタの魔物が発生した際、それが孤独相から群生相に変化する前に殺すと言う役割があるので、帝国を離れる訳には行かないんだとか。

 まぁ仕方のない話だと思う。

 仮に僕が霜の巨人と言う魔術概念を修復し、冷害を起こす術式を再起動したとしても、アーバドゥーンが発生して他の地域に流れてしまった後では対処のしようがなくなってしまう。

 ユーパ・ミルドには、帝国に残っていて貰った方が、僕としても安心だった。



 北に伸びた街道を馬車に揺られて移動しながら、僕は荷物として抱えた剣の鞘をひと撫でする。

 見てくれは多少物騒だが、馬車の座席は腰に剣を吊るしたままで座る様には出来ていないから、仕方がない話なのだ。

 

 それにしても、厄介事に巻き込まれたと思う気持ちは、未だに完全には消えてない。

 けれども同時に、これから起こる出来事に対して不謹慎ではあったが、不思議な胸の高鳴りも覚えてる。

 この感覚には覚えがあった。

 それは初めて剣を握った時、初めて剣の手合わせが許された時、初めて一族の英雄であるルッケル・ファウターシュの物語を聞かされた時に感じた物と、同じ胸の高鳴りだ。


 細く、長く息を吐く。

 僕の中で、長く硬く固まってしまっていた何かが、するりと解けた様な心地がした。

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