5-3
兎にも角にも用件を聞かなければ話は始まらないし、終わらない。
ユーパ・ミルドが本物であろうとなかろうと、父の紹介状を持って現れた客を、用件も聞かずに追い返すなんて真似は出来やしないのだから。
よもや先程の弟子の誘いが、用件だったと言う事もないだろう。
僕が居心地の悪さを殺して、正面に向き直ると、彼、ユーパ・ミルドもそれを察した。
彼の顔から笑みと言う柔らかさが消えて真顔となると、その鋭利さが一層引き立つ。
もしかすると目の前の男は本当に、人間ではなくて剣の精霊か何かではないのかと錯覚する程に。
「今日、君を訪ねたのは、ある魔術概念の修復を頼みたいからだ。……君の一族にとっての英雄、ルッケル・ファウターシュが意図せずに傷付け、やがて機能を停止してしまった『霜の巨人』と言う魔術概念をね」
そして開かれたユーパ・ミルドの口から出て来たのは、驚きの言葉の連続だった。
ルッケル・ファウターシュが霜の巨人を傷付けた?
霜の巨人が魔術概念?
冗談にしても、あまりに笑えない。
確かにルッケル・ファウターシュの物語は、死後に彼の魂が霜の巨人に挑む終わりで語られる事が多い。
だがそれはあくまで物語の上での話だ。
彼は単なる剣士であって、死後に何かを成す様な力はなかった……筈。
今、現在進行形で目の前に人間の例外みたいな存在が居るから、歯切れは悪くなってしまうが、ルッケル・ファウターシュは英雄ではあっても普通の人間の筈だった。
そして霜の巨人が魔術概念であると言うのが、また一つおかしな話である。
魔術概念とは、魔術師が魔術を行使する為に創り上げた架空の、と言うか存在するかしないかが知れない存在の事だった。
例を挙げて説明すると、火の魔術を使う際に力を借りる火の精霊、火蜥蜴、サラマンダーがその魔術概念だ。
人間の魔術師が一から火を発生させるのは、実は結構手間がかかる。
火が発生する仕組みを考え、その流れを一つ一つ再現しなければならないからだ。
だから火を司る精霊が存在するとし、その存在を周知し、その概念を確固たる物とする事で利用する。
つまり火を司る精霊が存在するのだから、その力を借りれば細かな手順は不要であると決めるのだ。
火を司る精霊が居るとは証明出来ないけれども、居ない事もまた証明出来ない。
故に魔術師は存在の不確かな火を司る精霊の力を、上手く引き出し利用していた。
……まぁ多少乱暴な説明になってしまっているが、魔術概念とはそう言った類の物である。
現在の魔術は、そんな魔術概念を利用した物が殆どだ。
では仮に霜の巨人が魔術概念であったとするならば、それをどこかの魔術師が確立させたと言う事になってしまう。
要するに帝国を幾度も襲っていた凍える夏による冷害は、天災ではなく人災だったと言う話になってしまうのだ。
俄かには、信じられよう筈がない。
以前の冷害はおよそ七十年以上も前の事。
だから僕は、今生きる多くの帝国民は、その苦しみを体感しては居ない。
しかしルッケル・ファウターシュの物語と共に語り継がれる凍える夏の恐ろしさに、帝国民はやがて起こるだろう災厄への備えを怠っては居なかった。
「……理解が早いね。本当に、今のこの時期に君の存在は奇跡の様だ。あのファウターシュ家から宮廷魔術師が出て、しかも地脈調査科に居るなんて」
何故か感慨深げにユーパ・ミルドはそう言って、懐から一本のスクロール、巻物を取り出しこちらに放る。
受け止め、開き、中身を確認すると、そこには僕にとって馴染み深い情報が記載されていた。
そう、土地が保有する魔力量の情報だ。
それもこれは、……帝国本領の、百年分程の情報を纏めた物だった。
これは思い切り帝国の秘匿情報にあたる代物なのだけれど、なぜこんな物がここに?
けれども僕の疑念を込めた視線を、ユーパ・ミルドは気に留めた風もなく、
「見て欲しいのは百年前と七十年前、そして最近の数値だ。わかる事があるだろう?」
話を強引に先に進める。
百年前と比べると、七十年前の数値は極端に低い。
より正確に言うと七十年前から三年程をかけて、魔力が極端に低下していた。
そしてそこから徐々に魔力の数値は上昇し、最近は百年前の値も大きく超えている。
七十年前の出来事と言えば、帝国を襲った霜の巨人の引き起こした凍える夏だ。
アレも確か三年間も続いた筈。
つまり凍える夏は魔力の値を下げる効果が……、否、霜の巨人が魔術概念だとの言葉を信じるならば、凍える夏は帝国本領の土地が有する魔力を吸収して発動する大魔術と言うのが正解なのか。
何となくだが話が見えて来た。
要するに帝国本領は、放置すると魔力が高まる、各地から魔力が流れ込む土地なのだろう。
魔力は実りを豊かにするが、同時に魔物の出現を高めもする。
要するに彼、ユーパ・ミルドは、霜の巨人が齎す寒さは、魔物の出現を抑える為の物だったと、そう言っているのだ。
成る程、確かにこれは、地脈調査科に所属する魔術師でなければ話は中々通じない。
話を理解し、視線を上げると、彼は満足げに頷いた。
「ルッケルに悪気はなかったんだろうけれどね。彼は霜の巨人と戦うと口にして死に、あの頃の帝国はそれまでに無いくらいに豊かだった。故に凍える夏による冷害で出た被害は思った以上に軽くてね。こんな風に言い出した者が居たんだ。『霜の巨人はルッケル・ファウターシュの剣に傷付き怯んだからこそ、冷害は軽く済んだんだ』……ってね」
……あぁ、確かにそれは、魔術概念を傷付け得る刃だ。
考えてみれば、寒い日には北に向かって剣を振る事で、寒さを遠ざけると言う風習も、その話が由来なのか。
それは僕の実家でも、ごく当たり前に行われていた。
その一振り一振りが、霜の巨人と言う魔術概念に届いて傷付けていたとすれば?
霜の巨人と言う魔術概念が機能を停止し、数十年に一度は起こる筈の凍える夏が、今も起きていないと言う状況に説明が付いてしまう。
するとこの後に起こり得るのは……。
「魔物の大発生。……なら今の帝国なら、充分に対処は出来るだろう。それが並の魔物ならね。しかし君は、アーバドゥーンと言う魔物を知っているかな?」
ユーパ・ミルドの問い掛けに、僕は首を横に振る。
地脈調査科の魔術師である僕は、魔物にも詳しい方だと自負するが、それでもその名を聞いた事はなかった。
「アーバドゥーンは極度に魔力の高い土地でしか発生しない魔物でね。この大陸だと帝国本領以外には出現しない。尤も単体だと大した事のない魔物なんだ。並の人間よりも多少大きなくらいのバッタの魔物でね。個体としての戦闘力はトロールにだって劣る」
バッタの魔物。
個体としての力は低い。
なのに目の前の男、ユーパ・ミルドが何よりも警戒する存在。
……まさか。
「そう、アーバドゥーンは群生相を示して周囲のバッタを同類に変え、また凄まじい繁殖力を以って蝗害を引き起こす魔物だ。とある大陸はコイツに滅ぼされ、何もなくなった。人も植物も、全てが喰い尽されたんだ。今も共食いと繁殖を続けるアーバドゥーン以外は、草木の一本すら残っていない。これを封じ殺す為に、帝国本領の魔力低下と、夏冬を問わぬ虫の生きれぬ寒さ、つまり霜の巨人と言う魔術概念が必要とされていたんだ」
つまりユーパ・ミルドは、このままだといずれ帝国が、否、この大陸がアーバドゥーンと言う魔物によって滅ぼされると言っていた。
それも我が一族の英雄、ルッケル・ファウターシュの死に際の言葉を引き金として。
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