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 ファウターシュ侯爵家は、帝国四大都市の一つに数えられるアラーザミアを領都とし、周辺の広い地域を治める大貴族だ。

 勿論強大な帝国には、ファウターシュ家よりも大きな力、財力や権力を持つ貴族家は幾つもあるだろう。

 だが知名度、または権威においては数多い帝国貴族の中でも頂点に近く、帝国の剣とすら称される。

 また帝位継承権こそ持たないが、皇族の血も多少混じっているらしい。


 しかし今では紛う事なき大貴族であるファウターシュ家も、最初からそのように巨大であった訳では決してなかった。

 確かにファウターシュ家は帝国が建国された当時から、初代皇帝に付き従っていた功績で貴族位を得た古い家ではある。

 でもその格は決して高い物ではなく、男爵として小さな領地を統べながら穏やかに暮らしていたと言う。


 その状況が激変したのは、今から遡って八代前の当主、コラッド・ファウターシュの兄、ルッケル・ファウターシュが世に登場した時だ。

 彼、ルッケル・ファウターシュは時の皇帝によって剣奴に落とされながらも、自らの剣を以ってに名誉と身分を回復し、その様な仕打ちを受けながらも皇帝に忠義を尽くしたとされる。

 まぁ残っている手記によると、ルッケル・ファウターシュは剣奴となる前から剣闘士として闘技場で戦い、ファウターシュ家が冷害で負った借金を返していたらしい。

 その辺りを不名誉だと領地を接する他の貴族に突かれ、皇帝の処分を受ける事になったんだとか。

 故にルッケル・ファウターシュ本人は、名誉を回復する機会を与えられたと皇帝の措置に深く感謝をしていたそうだ。


 ……と、まるで物語の登場人物の様な彼だが、実際にルッケル・ファウターシュの生き様は帝国でも良く知られた物語の一つになっている。

 他国の企みを潰し、過酷だった奴隷の扱いが改善する切っ掛けを作り、戦地では少数の兵を率いて戦局を変え、御前試合に出場して死の運命だった幼子を救った等、……その活躍は枚挙に暇がない。 

 確かに彼は、その時代に星の様に現れた英雄の様な人物だったのだろう。


 けれどもだからこそ、彼の死後、ファウターシュ家は苦しい試練の時を迎えた。

 死したルッケル・ファウターシュの名が余りに大きく、重かった為、彼の血族、彼の後継である事に掛かる期待もまた大きく、ファウターシュ家の者達はそれを受け止めるのに皆が必死にならねばならなかったのだ。

 それから数世代に渡って優秀な剣士、指揮官、文官、統治者を排出し続けたファウターシュ家は、代々の皇帝から最も信頼のおける貴族として、侯爵の地位と広い領土を賜るに至る。



 僕、フィッケル・ファウターシュが生まれたのはそんなファウターシュ家の、本家の三男として。

 ファウターシュの家に生まれた者は、本家や分家、男女を問わずに誰もが一度は剣を握る。

 大きな物を得た切っ掛けが剣だったから、それを忘れぬ様にと言う習わしみたいな物だ。

 当然僕も物心が付く頃には、多分三つ位には、既に木剣を握って素振りをしていた。


 家の習わしとして始めた剣だけれど、僕は決してそれが嫌いじゃなかったんだろう。

 いや寧ろ、無心に剣を振る時間はとても楽しくて、だから未だに朝夕の素振りは欠かさないのだと思う。

 だけど僕がそんな剣の道に生きて行く事を諦めたのは、多分十二歳の時だ。


 本当に幼い頃は素振りや型の練習のみだったが、五つ位になると分家の教官相手に打ち込みを行う様になり、八つになれば兄や父の訓練に混じって打ち合う様になる。

 ……僕が初めて嫡子である長兄から一本を取ったのは、十歳の時。

 そして十二歳になる頃には、兄だけでなく教官や父からも時に一本をもぎ取る様になっていた。

 でもその事で、僕は分家の剣士達から特別視される様になってしまう。


 元より剣の才と、当主としての才に関わりはない。

 あのルッケル・ファウターシュも、自身に剣才はあっても当主としての才覚は弟に劣ると言い、コラッド・ファウターシュに当主の座を譲り渡してる。

 にも拘わらず、分家の中には嫡子である長兄よりも、剣才を示した僕の方が当主に相応しいのではないかと言う意見が出て来てしまった。

 それは本当に、実に愚かしい話だろう。


 父は当然ながらそんな事は認めないし、実際に統治者として向いていたのは間違いなく兄だ。

 兄弟仲も良好で、僕だってそんな兄の地位を脅かす様な真似は絶対にしたくなかった。

 なのに僕がファウターシュの家に居て、剣を握り続ける限り、分家の剣士達の心は兄から離れて行ってしまいかねない。

 僕を当主にと望む声は、愚かにも分家の中で少しずつ広がりつつあったから。


 だから僕は十三になると同時にファウターシュ家を出て、帝都の学院に入学をした。

 剣ではなく、魔術師として身を立てる為に。

 父も兄も、僕の決断には反対をした。

 下らない事は気にするなと。

 己の望む道に進めば良いと、そんな風に言ってくれた。


 しかしその言葉に甘える事等、出来よう筈がない。

 僕にだって矜持はあるのだ。

 相手が大切な家族だからこそ、その足を引っ張る様な甘えを僕は自分に許せなかったから。



 幸いな事に、僕には魔術師としての才もあった。

 魔術師としての才とは、つまりは魔力の保有量の事だ。


 昔ほどではないが帝国貴族は今でも魔力の保有量をステイタスとする為、貴族は平民に比べてずっと魔力持ちが多い。

 これは貴族が稀に生まれる魔力持ちの血を、積極的に取り込んで行った結果だとされるが、そんな貴族であっても魔術師として大成出来るだけの魔力量を持つのはホンの一握りだけだ。

 そして僕は、自分で言うのは実におこがましいが、そんな一握りの一人だった。


 僕は帝都の学院で魔術を二年学び、十五歳で帝国にお抱えの魔術師、所謂宮廷魔術師として仕える事になる。

 その甲斐もあって、僕をファウターシュ家の当主にと望む声は殆どなくなったらしい。

 そう、彼等が当主として欲したのは、自分達の心を理解する優れた剣士で、魔術師では決してなかったから。

 まぁ宮廷魔術師は宮廷魔術師で、普通の貴族家から排出されれば誉れとなる存在なのだが、その辺りはファウターシュ家が少し変わっているのだろう。


 さて宮廷魔術師と一口に言っても、その仕事は多岐に渡る。

 例えば皇族へ向けられた呪いを防ぐ呪い封じや、魔剣を始めとした魔導具等の作成等が、宮廷魔術師としては花形の仕事だ。

 或いは星々の運行を観測して凶事を予測する占星科も、魔術師の間では人気のある部署らしい。

 因みに部署を課ではなく科と称すのは、宮廷魔術師とは研究者としての性質も帯びるからなんだとか。


 逆に魔術師達が厭う仕事としては、やはりダントツで軍に属して戦場に随行する魔戦科が不人気だった。

 幾ら魔術師と言えど、一人や二人では大勢が入り乱れる戦局に影響は及ぼし難いし、当然ながら危険も大きい。

 尤も貴重な魔術師を安易に戦場で消耗する事は帝国にとっても大きな損失となるので、余程の事情がない限りは魔戦科への配属は行われないと言われてる。


 僕が配属されたのは、魔戦科程ではないが不人気の、地脈調査科と呼ばれる部署。

 具体的な仕事内容は、土地が保有する魔力量の調査だ。

 地が発する魔力量が多ければ、畑から取れる作物の収穫量は向上し、けれども同時に魔物の発生率も上がってしまう。

 故に予測される税収を算出するのに、魔物の出現に即応可能な戦力を適切に配置する為に、帝国領土を全て巡って土地の調査を続ける事が、地脈調査科の仕事である。


 税収の予測が立たねば、農家が徴税官を誤魔化したり、徴税官や領主が税を中抜きして懐に入れたりする事態が発生した時に気付けない。

 魔物の発生を予測し、即応可能な戦力が配置されねば、時に村々が魔物に襲われて甚大な被害が出てしまう。


 だからこそ、地脈調査科の仕事は地味だがとても重要だった。

 しかし地脈調査科の仕事が厭われるのは、帝国中を旅して巡らなければならないと言うだけでなく、既に魔物が発生していた場合、その地の領主に乞われて魔物退治に参加せねばならなくなると言う点にある。

 また旅を続けていると、どうしても不心得者、つまりは襲って来る賊の類にも出くわす。

 要するに地脈調査科は、懲罰でもなければ配属されない魔戦科に次いで戦う機会が、危険が多い部署なのだ。


 尤も幼い頃から剣を握り、戦う事が当たり前だと思っていた僕には、この地脈調査科の仕事はとても性に合っている。

 帝国が正しく運営される為、それから民の安全の為にも、地脈調査科の仕事は間違いなく必要な物だし、魔物と戦い力を振えば大抵の場合は感謝もされた。

 手に握った力が、剣から魔術に変わっただけの話だ。

 いやまぁ護身用の剣は今も一応腰からぶら下げているけれど、然程に使った試しはない。


 汝、多能の天才でなければ一芸に秀でる事に努めよ。

 優れた技は、それが何であれ使い方次第で身を助ける。

 一芸を磨き、その使い方を知れ。


 ファウターシュ家に伝わる、ルッケル・ファウターシュの言葉だ。

 僕は多能の天才ではないけれど、幸いな事に剣以外にも魔術師として身を立てる事が叶うだろう二つ目の才があった。

 こんな風に剣の素振りを趣味とし、帝国各地を巡って土地を調べ、時に魔術の力を振う。

 そんな生活を、ずっとずっと続けるのだろうと思っていた。

 そう、思っていたのに。



 十七歳の春、僕の思い描いてた人生は、ユーパ・ミルドとの出会いによって、大きく揺らぐ。


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