剣闘貴族のあとしまつ

5-1


 僕がその男に出会ったのは、日差しが温かいある春の日の事だった。

 外回りの末席とは言え、仮にも宮廷魔術師の一席を担う僕は、素性も知れぬ不審者とわざわざ会う程に暇ではない。

 と言うか、寧ろ外回りの末席だからこそ忙しい。

 何せ外回りで帝国領内をずっと巡ってる僕が帝都に返って来たのは実に半年ぶりで、昨日帝都に戻ったばかりの僕にはその半年間で得た情報、帝国各地の土地が発する魔力量のデータを纏め、報告書を作成すると言う仕事があったから。

 本当に普通に忙しい。


 だがそれでも僕がその男と会ったのは、彼が実家の父、現ファウターシュ侯爵がしたためた書状を携えていたからだ。

 武門の名家である実家を出、敢えて魔術師の道を志した僕ではあるが、それでも立派に育ててくれた親への情や、ファウターシュ家への感謝の気持ちは濃く残ってる。

 しかしだからこそ、僕はその書状に掛かれた文言を俄かには信じられなかった。

 その書状に記された彼の名は、ファウターシュ家にとってとても重大な物だったのだ。

 例え当主である父であっても、その名前を出して冗談で済むとは思えない。

 だけどそれでも冗談としか思えない、信じ難い名前だった。


 けれども頭ではなく身体が、彼が本物ではないかと感じてる。

 その男は、少し離れた場所で僕が書状を読むのを見ていた。

 そして剣は携えていない。

 にも拘らず、僕が激しく感じてるこの居心地の悪さは、腕の立つ剣士の傍、つまりは剣の間合いの内側に入った時に感じる居心地の悪さだ。

 相手がその気になりさえすれば何時でも斬られると言う、死が間近に居座る感覚だった。


 無手で尚且つ距離があるにも拘らず、死を予感させる相手なんて、これまでに一人も出会った事がない。

 同じ人間とは到底思えない、人外、化け物と呼ぶのがふさわしい相手である。

 そう、実家に伝わる彼の英雄の手記に、そう記されていた通りに。


 故に僕は彼が本物であると半ば認めると同時に、本能的に相手の隙、逃げ道を探して視線を彷徨わせた。

 意図的にと言う訳じゃない。

 目の前の男が僕と敵対する理由はないと理解はしている。

 でもだからって、簡単に自分を殺せてしまいそうな相手と相対して、怖いと思う感情は殺し切れなかったから。


 ……なのに、途端にふっと、視線を上げた男と目が合う。

 まるで僕が隙を探っている事を察したかの様なタイミングで、まるで僕の視線を彼の目が吸い寄せたかの様にピタリと。

 ニッと浮かべられた男の笑みに、思わず背筋が凍り付く。


「怯えなくても、構わない。私は君に協力を求めに来たんだ。敵対する心算はないよ」

 そう言って手をひらひらと振る男に、僕は曖昧な笑みを浮かべて何とか頷いた。

 心臓が破裂しそうだ。

 僕は暫く顔を合わせていない実家の父に、心の中で禿げてしまえと呪いを送る。

 何だってこんな化け物を、僕に送り付けて来たのか。


「しかしそれにしても、素晴らしい才だ。あの子も、ルッケルもそうやって何時も私を警戒していた。ファウターシュ家は、実に惜しい事をしたね。……君は、私の弟子になってみないか?」

 僕が家を出た経緯を知ってか知らずか男は、否、化け物はそんな言葉を口にする。

 まるでそれは御伽噺の悪魔の誘惑の様だった。

 だが僕は、彼の言葉に首を横に振り、

「貴方が本物なら、その言葉は我が一族にとってはこれ以上ない程に名誉な物ですね。だからこそ、お断りします」

 ハッキリと否の言葉を口に出す。


 勿論、心が全く動かなかったかと問われれば、そんな事は決してない。

 それは僕の剣に対する未練の気持ちだろう。

 ファウターシュの家を出た後も、素振りの習慣だけはやめられなかったし。


 だが仮に彼の弟子になってしまえば、僕が家を出て魔術師になった意味がなくなってしまう。

 その事を知れば、否、もしかすると今の言葉だけでも、僕を当主に据えたいと考える分家の剣士達の動きは、まず間違いなく再燃する。

 何故なら目の前に居る男、人外の化け物は、我が一族にとっての英雄であるルッケル・ファウターシュが師事したとされる剣士、ユーパ・ミルドだったから。


 ……ルッケル・ファウターシュもユーパ・ミルドも、もう二百年は前の人物ではあるのだけれども。


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