4-3


 風が熱い。

 観客達の熱気だけじゃない。

 参加者達は皆、御前試合に迷い込んだ格好の獲物、倒せば恐ろしい程の名声が得られるだろう老いた老人、つまり私を凝視してる。

 ついでに開会の宣言を行う皇帝アリアロスの視線も、私だけに注がれていた。


 いいから早く終わってくれないだろうか。

 闘技場に並んでずっと立っているのもそれなりに疲れるのだ。

 御前試合の規模は、以前に参加した数十年前と変わらない。

 帝都や地方都市から集められた上級剣闘士や、貴族の推薦を得た実力者、六十数名が参加している。

 多分その殆どが、第一試合で私と当たる事を熱望しているのだろう。

 戦いがトーナメント式で良かった。

 仮に乱戦形式であったなら、私は六十数名の全員を一度に相手にする羽目になったかも知れない。

 流石にそれは、幾ら何でもしんどい話であった。


 私が御前試合に参加した事で帝国市民の関心は非常に高まっているが、しかしそれだけに一回戦や二回戦程度で負ける訳にも行かない。

 どんなに無様でも良いから私は数度の勝利を掴み、同時に帝国市民の心をも掴まねば、クレイスの助命は叶わないのだ。

 事を成すには、物語性が必要である。


 ふと、開会に当たって色々と言葉を述べている皇帝アリアロスの隣に目をやれば、化け物はやはりそこに居た。

 何も変わらぬ姿で、懐かしそうに、面白そうに私を見ている。

 やはりあの化け物は、現皇帝にのみ、今も仕え続けているらしい。

 まぁ化け物連中が参戦して来る事だけが懸念だったが、奴等が自重してくれるなら、何とか数戦は戦い切れるだろう。

 最後まで、優勝まで辿り着いて生き延びるのは、少しばかり難しいが。

 これ以上の栄誉を私は望んで居ないのだから、別にそれは問題にならない。


 さて、戦うか。 

 若い頃の私が全てを得たこの場所で、私はもう一度だけ、望みを叶える。



「おいおい爺さん、無理すんなよ? 抵抗しなけりゃ優しく寝かし付けてやるからよ。アンタだって最後位はベッドの上で死にたいだろう?」

 一回戦の相手は、……何と言ったか。

 地方都市であるカレイラから来た上級剣闘士だ。

 とても面倒な事にミダールの民だった。

 どうやら天然で魔力による身体強化を行っている彼等は、圧倒的な膂力を誇る。


 今現在、帝国におけるミダール人の地位は向上し、奴隷として扱うべき蛮族と言う認識は大分と薄れた。 

 勿論人種の区別、差別が完全になくなった訳ではないけれど、以前とは比べ物にならない位に少ない。


 私は、黙って長剣を両手で構える。

 盾で攻撃を受け止めるのはしんどいし、片手で剣を振るのもしんどいし、戯言に返事をするのもしんどいからだ。

 だが名も知らぬ彼は、私のそんな態度が気に食わなかったのだろう。


「はっ、何だ爺さん死にたがりか。だったら昔の英雄だか何だか知らないが、その無駄に高い名声だけオレに譲ってサッサと死にな!」

 そんな風に雄叫びを上げて、長斧を振り回しながら突っ込んで来る。

 ……成る程、これが今の時代の上級剣闘士か。

 何と言うか好都合ではあるのだが、実に残念だ。


 私は確かに俊敏性も筋力も失っている。

 以前とは違い、飛んだり跳ねたり、逆に踏ん張ったりするのはもう難しい。

 だが以前よりも、確実に得意だと言える事が二つだけあった。


 相対する上級闘士の勢いに圧される様に、後ろによろける私。

 次に起きる惨劇を予想してか、観客達が悲鳴を上げる。

 いや、いや、大丈夫、大丈夫。


 私が以前よりも得意な二つ。

 それは正確に剣を振り、相手の呼吸を読む事だ。

 今でも、私は剣を振っている。

 昔からずっと、積み重ねる様に。

 そこに速さは失われ、更に肩が痛くて回数を重ねられなくなっても、遅くなっても少なくなっても、正確に正確に振っている。


 そして多くの弟子を育てて、つまり多くの剣士を深く深く観察して、相手を読んで間を外す事にも長けた。

 だから、そう、よろけた様にでも一歩でも下がれば、相手の間は少し外れて、一呼吸の間だけ反撃の隙が出来るだろう。

 ぶぉんと風切り音を立て、相手の長斧が空を切る。

 起きた風が、割合に涼しい。

 同時に私の剣は、彼の、名前を忘れてしまった上級闘士の、長斧を握る手首を裂いた。


 握力は失われ、長斧が勢いのままに飛んで行き、円形闘技場の床を転がる。

 だが私はそこで決して油断せず、次は相手の両の腿をザクリと切り裂き、次は彼から立つ力を奪う。

 それから二歩、三歩と離れ、決着の判定を待つ。


 決してこれ以上近寄りはしない。

 仮に組み付かれでもすれば、今の私は成す術もなくやられてしまうだろう。

 トドメを刺す為に剣を振うより、一回分でも剣を振る力は温存したかった。

 本来なら御前試合では一日に一度しか戦わなくて済むが、今の私は現皇帝と敵対に近い関係にある。

 今日中にもう一戦、余分に行わなければならないのだ。

 理由は、そう、私の戦いを少しでも多く見たいと願う帝国市民と、剣を振う後進達の為らしい。



 シンと、辺りは静まり返ってる。

 けれども我に返ったかの様に、私の勝利を告げる判定が下され、観客達は一気にわぁと大きな歓声を上げた。

 ふぅと思わず溜息が漏れる。

 いやいや、久しぶりの闘技場は、やはり心が浮き立ってしまう。

 同時にとってもしんどいけれども。


 相手の上級剣闘士は、ぽかんと呆けた面をしていた。

 どうやら自分が負けた事が、まだ信じられぬらしい。

 今の私には有り難い話だが、剣闘士の質は以前よりも大分低下してる様に思う。

 しかし私はそれを素直には喜べず、どうしても残念に、口惜しく、歯痒く感じる。

 昔に比べて剣奴の扱いが大分良くなった今、命懸けの戦いは数を減らし、その結果として剣闘士の実力も緩やかに低下しつつあるのだろう。


「私は確かに老いた爺だ。若者と剣を合わせれば、吹き飛ばされてしまう程度の力しか、もうない」

 だからだろうか。

 一刻も早く体を休めて次に備えたいと思うのに、私の口は言葉を紡ぐ。


「だがそれでも私は、数十年間帝国の武の象徴として君臨して来た。誰もが私に敵なしと信じた」

 まぁそれはまやかしで、思い込みに過ぎないのだけれど。

 世界には人を越えた化け物が幾らか存在しているのだけど。

 それでも私は皆の羨望を浴びながら英雄と言う虚像であり続けた。

 その事実は決して軽くない。

「だから私を砕きたいなら、それに値する想いを抱け。吹けば飛ぶような老人を突いただけで、簡単に栄誉が手に入ると思うな」

 故に私は、言わなくていい事を言ってしまってる。

 この宣言により、私はこの御前試合で、より苦労を強いられるだろう。


 だが言わねばならない。

「我が武は未だ象徴として在り続けている。この帝都を囲う防壁と同じく、我が武は未だ堅牢だ」

 以前よりも少し痩せた足で地を踏ん張り、胸を張り、声を張り、気を満ちさせて。

 大きく大きく宣言する。

「私に、挑め」

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