3-11


「御前試合優勝者、ルッケル・ファウターシュ!」

 皇帝陛下の声が闘技場に響き渡り、直後に起こった大歓声に闘技場が揺れた。


 板に乗せられて運ばれて行くアペリアの口元には、酷く満足気な笑みが浮かんでる。

 勝った時は悔しがったのに、負ければ喜ぶなんて、全く以て度し難い。

 ……酷く血を流させたけれど、ミダールの民は生命力も強いと聞く。

 恐らくは魔力による強化が生命力にも及ぶのだろう。

 だから恐らくは、大丈夫。


 僕は地に剣を置き、膝を突いて、貴賓席に、皇帝陛下に向かって首を垂れた。

 暫くそうしていると、護衛と共に皇帝陛下が、闘技場へと降りて来る。

 貴族である僕は兎も角として、帝都の民が、そして剣闘士が、最も間近で皇帝陛下の姿を見る事が出来るのが、この御前試合の優勝者が決まった時なのだ。

 過去にはこの時を狙い、暗殺者が剣闘士となって、時の皇帝を狙った事もあったと言う。

「実に見事な戦いであった。勇猛なるルッケル・ファウターシュ男爵よ。願いがあるならば言うが良い」

 御前試合の優勝者は、皇帝陛下に対して己が望みを願い出る事が出来る。


 ……と言っても勿論空気を読む事は必要で、例えば『皇帝の座を寄越せ!』なんて言うと処刑されるから絶対に駄目だ。

 何でも叶えて貰えると言う訳でなく、優勝した剣闘士が無税を願い出た時は、その剣闘士が参加した都市のみ、一年間は人頭税が無税となった。

 それに僕の場合はこの場で願いを言わずとも、後で色々と褒美を貰えるだろうし、願いだって叶えて貰えるだろう。

 でもそれでも、敢えて僕は、今この場で皇帝陛下に願いを口にする。


「浅ましき私は、二つの願いを持っています」

 そんな図々しい僕の言葉に、皇帝陛下の口元が愉快気に歪む。

 その笑みは、自分を楽しませてみろと雄弁に語る。

 あぁ、つまらない事を言えば、僕はこの方の信を失う。




 それから、五年の時が経つ。

 この五年の間は私が死にそうな目に合う事も、まぁ剣の師であったあの人外に、リヴァイアサン、クジラが魔物と化した海の巨獣退治に駆り出された時くらいで、それなりに平穏に暮らしている。

 今日は帝都の貴族院で、十五歳になった弟のコラッドが卒業を迎えてる筈の日で、あの子が戻ればファウターシュ男爵領、もとい、今はファウターシュ伯爵領となったこの地を引き継いで貰う予定だ。


 妹のマリーナは、なんとマローク・ヴィスタと結婚した。

 あの御前試合の後、自分の限界を悟ったと言うマロークは熱心に金を溜めてから、未練を見せずにスッパリと剣闘士を引退してしまう。

 だから私は半ば冗談で、以前からの約束通りに妹をマロークに紹介したのだ。

 でもまさかあのマリーナが、出会った途端にマロークを気に入るとは、流石の私も予想はしていなかった。

 それからあれよあれよと言う間に、私には年上の義弟が誕生する。

 まぁ、うん、友人が義弟になるのは少し複雑だったけれど、妹が幸せならばそれで良い。


 そう言えばマロークに剣闘士としての限界を悟らせたアペリアだが、御前試合の傷は命を奪うまでには至らず、三週間程で綺麗に回復したそうだ。

 その後は、対戦を見ていてアペリアを気に入ったらしい人外の師に拉致された。

 以前のリヴァイアサンが海から上がって来た時の退治で会ったが、異常なまでに強くなっていたから、私は二度と彼とは戦わないと心に決めてる。

 下手に戦えば、間違いなく死ぬ。

 アペリアが、私の中で人外判定される日も、きっとそんなに遠くはないだろう。


 師は、私にも幾度か後継にならないかと訪ねて来たが、もちろん全て断った。

 私は剣技を磨く事は好きだけれど、誰とも競い合えない程に強くなりたいと思ってる訳ではないし、その為に家族を捨てたいとも思わない。



 あれから、トーラス帝国は然して変わる事なく強国として君臨している。

 でも多分、少しだけ良くなったと、私は思う。

 あの時、私が皇帝陛下に願ったのは、剣奴を含む奴隷の待遇の僅かな向上と、自分の軍団を持つ事だった。


 トーラス帝国では、一度奴隷の身分に落ちれば、抜け出す事は非常に難しい。

 例えば剣奴ならば、上級剣闘士に昇格するか、貴族位を持つ者に買い取られる以外に方法はないのだ。

 しかしこれは、余りに狭き門である。

 上級剣闘士になれるのは本当に一握りに過ぎず、貴族に買われる者だって同様に少ない。

 後の者は、それなりの才覚があったとしても、精々が中級に留まって、老いが身体を蝕み出したら死以外の道は殆どない。


 実に惜しいと、僕は思った。

 以前に僕は、カィッツ、グリーラ、スェルの三人を買い取ったが、彼等は中級剣闘士になるのがやっとの才しか持たなかったが、今では家臣として充分以上に力を発揮している。

 消費されるだけの者も、機会があれば、別の役割が与えられれば、もっと帝国の利益になって、尚且つ当人も幸せが得られる可能性もあるのだ。

 だから僕は皇帝陛下に、奴隷であっても金を溜めれば当人が、或いは近親者が、買い取り解放をできるようにと変化を願った。


 でももちろん、それによって起こる問題も、理解している。

 自らを買い戻した奴隷が、それによって職を失い、犯罪に走ってしまう可能性は決して低くない。

 特に元剣奴がそうなれば、戦う術に長けた手強い強盗、野盗、山賊が誕生してしまう。

 故に僕はそれを防ぎ、或いは刈りとるべく、中級以上の剣闘士を集めた軍団を欲した。


 剣奴ならば自らを解放する金を稼ぐ為、元剣奴なら新たな働き先として、自由民の剣闘士なら己を鍛えて名声を得る為、まぁ何でも良い。

 僕の手足となって、治安維持を行う軍団であれば、目的は何でも構わないのだ。

 どうせ軍団に参加すれば、僕が一から鍛え直す心算だったから。

 別に他の軍団の様に、五千や一万なんて数は要らなかった。

 二百や三百、多くても千に届く程度でいい。


 つまり僕が欲したのは、奴隷達に少しばかりの希望を与える事と、それを守る術である。

 あまり多くを抱えれるほどの器を、僕は持ってないから、少しで構わない。

 けれども少しでも希望を持たせてやれば、酷く苛烈な真似はせずとも奴隷の反乱は防げるし、それによって救われる者も増えるだろうから。


 そしてその願いは皇帝陛下に聞き遂げられて、奴隷の扱いはほんの少し良くなり、剣闘軍が発足した。

 ……といっても実のところ、私にはコラッドが後を引き継げるようになるまで領地経営をする義務があったし、皇帝陛下からの褒美の御蔭で領地も急速に発展したので、剣闘軍にずっと掛かり切りだった訳じゃない。

 仕事の半分以上は任命した副長、大抵の事は平均以上にこなす便利な義弟のマロークに押し付けてる。

 だから剣闘団の仕事が忙しいマロークは中々ファウターシュ領に帰って来れないし、当然領地での仕事が忙しいマリーナも中々マロークに会いに行けない。

 実に可哀想な事をしてるなと、本当に思う。


 しかし救いがあるとすれば、二人がそれでも楽しそうに仕事をしてる事だろうか?

 まぁマリーナにはチクチクと責められはするのだが、それも後もう少し、コラッドが帰って来るまでだ。



 私は剣で、両手から溢れて零れ落ちそうになる程の物を得た。

 そしてそれを零れ落ちないようにと支えてくれる者達がいる。

 多分きっと、これを幸せと言うのだろう。


 仮にアナタにそれを羨む気持ちがあるのなら、是非武器を手に取り、円形闘技場へと赴いて欲しい。

 あそこの土の下には欲望、絶望、希望の全てがごちゃ混ぜになって埋まってるから、アナタに運と実力があれば、間違わずに希望を掴み取れる筈だ。

 もしも間違った物を掴んでしまえば?

 大丈夫。

 アナタの死に様は帝国市民が明日を生きる糧になる。

 決して無駄にはならないだろう。


 流れる血を愛する文化を持つ帝国が、何時か滅びて消えるその日まで、闘技場から歓声は止まない。

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