2-12


 開いた扉に、一瞬だけ迷いを見せたトロールだったが、次の瞬間、大きな咆哮を一つ上げると、猛然と檻から飛び出して僕に向かって襲い掛かる。

 檻から出て立ち上がったトロールは、身長は僕の倍近く、体重だって数倍だった。

 生意気なチビを叩き潰して貪り食わんと振るわれた腕に、観客の多くは僕の死を予感、確信しただろう。

 けれどもだ。

 僕が長剣を一振りすれば、血を流したのは潰れた僕ではなく、振るわれたトロールの腕だった。

 手首から先を斬り飛ばされて、血を撒き散らすトロールの腕。


 驚きに、闘技場がどよめく。

 トロールの、魔物の毛皮が鉄の鎧と同じ硬度を持つ事は周知の事実だ。

「魔剣か?!」

 誰かが観客席でそう叫ぶ。

 そんな事がある筈はない。

 魔剣なんて高価な物を、闘技場で戦う剣闘士なんかが持てる筈がないだろう。

 それに魔剣は、金属が定着した魔力で独特の色味を常に帯びるから、見れば一目で分かるのだ。


 苦痛の咆哮を上げ、しかし怯まずに体当たりを敢行するトロールを、僕は飛び退りながら再び長剣で切り付ける。

 僕の剣がトロールに通じる理屈は、実は魔剣と同じ、魔力による切れ味の強化だ。

 しかし魔剣の魔力は魔術師が定着させる物だが、今僕が振るう剣の強化は完全に自前。

 これの名前は覚えてる。

『ミルド流、魔纏の剣』で、教えてくれた高名な剣士は、僕の魔力は赤い色を放つからと、赤光と呼ぶ。


 魔術師になれる程の魔力を持たない、それでも貴重な魔力持ちの為の剣技で、相手を切る一瞬だけ剣の切っ先に魔力を流して強化する技。

 僕も貴族の端くれなので、少ないながらも魔力を持ってる。

 正直僕にとってこの技は、領民相手の宴会の席で岩を切るくらいにしか使わない、一発芸以上の物ではなかったけれど、まさか闘技場で役立つ日が来るとは思わなかった。

 だって普通の人間を相手にするのに、こんなに馬鹿げた切れ味は必要ないから。

 全身に鉄の鎧を纏った騎士を真っ二つにしたいというなら話は別だが、普通に生きていたらそんな機会はまず訪れない。

 だったら剣に魔力を流す分の労力を、上手く剣を当てる事に使った方が、ずっと簡単に敵を倒せるだろう。


 但し僕に剣技を教えてくれた高名な剣士は、

「これは魔物狩りの為の剣だ。無闇に人に向けては、決していけない」

 そんな風にも言っていた。

 だから僕は、今初めて、本当の使い方でこの剣技を振っている。



 トロールは魔物の中でも、特に人に怖れられる存在だ。

 他の獣が元になった魔物の様に、鋭い爪や牙こそは持たないが、大きな体躯と桁外れの膂力に加え、獣とは一線を画した知能と、更に再生能力を備えているから。

 流石に切った手首が再び生えてきたりはしないが、既に手首も、肩口も傷口は塞がり、出血も止まっている。

 そう、たとえ攻撃が通用したとしても、実にしぶとく厄介な相手である事に全く変わりはない。 

 中途半端な攻撃は意味がなく、ただでさえ決して豊富とは言えない僕の魔力を、無駄に消費するだけの結果に終わってしまう。


 故に狙うは、最初に斬り飛ばした手首と同じく、再生出来ない部位欠損だ。

 四肢を切り離して動きを鈍らせてからの、心臓や脳といった生命の中枢を潰しての勝利が、僕の狙える唯一の勝ち筋であった。


 振り回される手足を恐れず前に出て、トロールの動きを読み、躱し、躱し、躱し、焦らずチャンスを待ち、そして訪れたチャンスを決して逃さずに一本ずつ四肢を切り飛ばす。

 人型の相手であった事は、ある意味で幸いだ。

 防御に、回避に徹して隙を待つこの戦い方は、相手の動きを読み切る事が必須になる。

 何せ一撃でも躱し損ねて掠めでもしたら、その時点で僕は戦えなくなるだろう。

 でも四足歩行の獣型の魔物に比べ、二足で人に近い体格のトロールはまだしもその動きが読み易いから、僕の回避には迷いがない。


 大勢の人が詰めかけている闘技場なのに、今の観客席からは罵声や歓声どころか、物音一つしなかった。

 まるで僕の戦いの邪魔をする事を恐れるかのように、皆が静まり返ってる。

 別に全然構わないのに。

 僕は数年間を闘技場で過ごした、謂わばベテランの剣闘士だから、歓声も野次も罵声だって、力にする事はあっても邪魔には決してならないのだから。


 ガチンと、身を沈めた僕の頭の上で、トロールの歯が打ち鳴らされた。

 四肢の大半を切り離されようと諦めずに、トロールは僕を殺そうとあらゆる手を、……手はもうないが、手段を使って攻撃して来る。

 いっそ心地好い程に激しい殺意。

 けれどもそれも、これで終わりだ。

 僕は頭上にあるトロールの顎の下から脳までを剣で貫き通し、捻りを加えて脳を破壊してから、引き抜いた剣でその首を胴体より切り離す。


 僕がトロールを殺した後も、闘技場はシンと静まり返ったままだった。

 恐らく誰もが、まだ目の前で起きた光景を現実の物と認識できていないのだろう。

 魔物を剣で倒すのは、それ程に珍しい出来事だから。

 本当ならば、切り離した首を掲げて勝利宣言を行う所だが、あんな大きな頭はちょっと僕では持てないし、それに結構な疲労も感じてた。

 だから僕は剣を土に突き刺して、貴賓席に、そこに座る皇帝陛下に向かって、跪いて首を垂れる。


 多分きっと、後は何だか良い感じに、皇帝陛下が上手く纏めてくれると信じて。

 だって僕はもう充分以上に働いたから、これ以上の労働は流石に勘弁願いたい。


 やがて皇帝陛下の声と共に、我に返った観衆の、割れんばかりの歓声が、下げた頭の上に降り注ぐ。

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