2-10
上級昇格の最有力候補とされていた『旋風のバストゥール』に勝利し、僕の中級剣闘士生活は鮮烈なスタートを切った。
……のだが、その御蔭で僕との対戦を望む剣闘士、興行師は皆無に近い状態になってしまっている。
そりゃあ中級の中でも一番強い相手を、しかも初撃で倒してしまったのだから、今更中級下位の剣闘士を持って来たところで結果は火を見るよりも明らかだ。
どんな剣闘士だって、始めから負けるとわかって戦いたくはないし、興行師だって無駄な怪我を稼げる中級剣闘士に負わせたくはないだろう。
かと言って、今帝都でも有数に注目度の高い剣闘士である僕に、対戦を全く組まないと言う訳にも行かない。
ドランもあちらこちらを駆け回り、僕の対戦相手を確保しようと必死になっていると言う。
昨日は駝鳥相手の闘獣戦で、前回は下級剣闘士三名が相手の多対一、その更に前は矢張り下級剣闘士複数名が相手の勝ち抜き戦だった。
勝ち星は順調に稼げているが、正統派でないイロモノ染みた対戦ばかりが続くと、どうしてもこう、フラストレーションが溜って行く。
これはその鬱屈とした感情を発散すべく、許可を取って町に買い物に出かけた、その時の話である。
買い物と言っても、僕は部屋に無駄な家具を置く趣味はないし、娼婦相手に種を撒き散らす心算もない。
女遊びは楽しい物だが、貴族である以上は相手を選ばないと後々に大きな問題となる事もあるのだ。
衣類だって必要最低限の物は部屋と一緒に与えられているので、金の使い道としては買い食い位が精々だった。
「お、兄さん剣闘士かい。うちの串焼きは美味いよ」
なんて風に声を掛けて来た屋台で、串焼きを数本買い求める。
ジュゥジュゥと、肉の焼ける良い匂いに、グゥと腹が音を立てた。
「ははは、もう少し待っておくれよ。焼き立てが一番上手いからさ。それにしても剣闘士と言えば、最近はアレだね。『雷光のルッケル・ファウターシュ男爵』が有名って話だ」
腹の音に笑う屋台の店主は肉をひっくり返しながら、……多分雑談の心算だろうが、そんな事を言い出す。
もちろんルッケル・ファウターシュ男爵に関しては、僕はこの屋台の店主よりもずっと詳しいだろうけれど、
「『雷光』?」
その呼び名に聞き覚えはなく、思わず首を傾げる。
有名な剣闘士に二つ名が付く事はままある話だが、僕は男爵って爵位のインパクトが強いから、安易な二つ名は付かないと思っていたが……。
「おや兄さん、知らないのかい。なら闘技場では気を付けな。ルッケル・ファウターシュ男爵は恐ろしい技の使い手で、何でも剣を振っただけで魔法のような雷が落ちて『旋風のバストゥール』を倒したって話だよ」
なんて真面目な顔で、僕に忠告をくれる屋台の店主。
凄いな、雷光が付く方のルッケル・ファウターシュ男爵。
何でそんな話になってるのかは知らないけれど、僕では到底勝てそうにない人物である。
多分一撃で倒したって話が大袈裟になって伝わっているのだろうけれど、良くそんな荒唐無稽な話を信じられるものだ。
僕の少ない魔力では魔術師になんて到底なれないのだが、帝都ではあっても一般の市民である彼にはそこまでの知識はないのだろう。
恐らくは貴族が使う不思議な力は、全て魔術……、あぁ、魔法の類だと思ってるんじゃないだろうか。
魔力をステイタスとする貴族の中でも、本格的な魔術を扱える人間は、然程に多くはないのだけれども。
ましてや実戦の中でともなると、言わずもがなだ。
尤も、確かに僕が祖父の連れてきた高名な、……祖父曰く高名な剣士、ユーパ・ミルドの教えてくれた剣技は、基本的な戦い方以外は常識外れの奇天烈な物が多かった。
実際の所は、バストゥールだって間違いなく強敵で、出会い頭の慢心に浸け込んだ一撃で決まらなかったら、もっと苦戦していた可能性は高い。
見た目のインパクト程に、一方的で楽な戦いだったと言う訳では決してなかったが、それを僕が口に出しても、単なる嫌味にしかならないだろう。
思わず苦笑いを浮かべた僕に、屋台の店主は焼き上がった串焼きを、頼んだ本数より一本多く渡してくれる。
どうやらサービスらしい。
「ありがとよ! 串焼き気に入ったら生き残って、また来ておくれよ」
実に暖かみのある言葉に送られて、僕は串焼きを咥えながら道を歩く。
確かに言うだけあって、中々に美味い。
そのままふらふらと歩いていると、広場の隅に人だかりが出来ているのが見えた。
ふと気になって覗いてみれば、一人の女が集まった人々に向かって演説をしている。
演説している女は、多分貴族の令嬢だろう。
見目の整った美しい女だ。
「帝国は今、南の地に住む人を武力で脅かして連れ去り、同じ人間であるにもかかわらず鎖で繋ぎ、奴隷として扱っています。このままでは神の怒りが帝都に向かうのは明白で……」
あぁ、偶に見る人道的な帝国批判とやらか。
人は生活に余裕があると他人と違った事をしたくなり、他人と違う考えを持つ自分を特別だと思う。
要するに宗教かぶれのカルト思想と言う奴だった。
「南方の占領政策がなければ、この前の冷害で帝国は立ち行かなくなっただろう。そうなれば南方人に帝国人が殺され奴隷にされる側だ。貴女の神は帝国人に死ねと言うのか?」
多分少し、女の物言いに不愉快さを感じたのだろう。
あの件では苦労をしたし、今だって苦労をしている。
だから思わず、そんな言葉が口から出てしまった。
カルトでない宗教は、地方領主の視点から物を言えば、気は遣うけれど有り難い相手でもある。
人の心の支えとなり、モラルも与えてくれるのは宗教だ。
結婚するなら前途を祝福して欲しい、子が生まれたらその未来に希望が欲しい、己が死ねば安らかな眠りを見守って欲しい。
その全ての世話をしてくれるのも、やはり宗教だった。
もしもそれ等全てを領主が行わなければならない責務だとしたら、あの優秀な妹ですらも己の心を潰してしまうだろう。
民の全てが貴族並の教育を受け、己の考えを持てるような社会が出来上がればその限りではないけれど、そんな物は夢物語か神話の世界にしか存在しない。
「無礼な! 神の考えを侮辱しますか!」
まぁ何が言いたいのかと言えば、彼女は宗教家としては偽物に過ぎないと言う話である。
反論ができない事を言われれば侮辱として取る辺りが、その証左だろう。
集まっていた人々が、白けた顔をして散り始めた。
本当の宗教家であるならば僕の言葉から更なる説法へと繋げるのだろうが、彼女はキィキィと喚き散らすだけだ。
尤も、彼女の言ってる事だって全てが間違いと言う訳じゃない。
己の生活の維持の為に領民を売り払う貴族や、娯楽の為に多くの人死にを出している闘技場等は、確かに間違っていると言われても仕方ないだろう。
だが全ての貴族がそんな連中ばかりでないし、闘技場の存在が故に救われた者だっている。
勝ち抜いた剣闘士が軍に入り、精強な兵を育て上げた話なんてのも数多い。
多くの人々が去った後、その場に残ったのは串焼きを齧る僕と、誰も居なくなってしまった事に肩を落とす女、そして何故か残っている数名のガラの悪い赤ら顔の男達だった。
「おぉ、姉ちゃん可哀想にな。そっちの兄ちゃんはヒデェ奴だ。だからな、俺達があっちで話を聞いてやるよ」
なんて風に言う男達。
おぉ、正気か。
凄いな、こいつ等。
幾ら下手な帝国批判をしていたとは言え、相手は恐らく貴族の令嬢だ。
物事が見えてないのか度胸があるのか、或いはかなり酔っているのかは知らないが、下手をすれば命を落とす羽目になるのに。
彼等の蛮勇に、思わずごくりと口の中の串焼き肉を飲み下す。
しかし一方、言い寄られている、或いは絡まれている女は、顔を真っ青にして男達と僕を交互に見ている。
助けて欲しいと言いたいのだろうが、先程喚き立てた手前、それを口に出せないのだろう。
女に向かって伸びる男達の手。
全く以て仕方ない。
両方ともを、助けるとしよう。
僕はサッと割り込むと、ぶすぶすとその手の平を木串で貫いて行く。
驚きに目を見開き、次いで痛みに大きな悲鳴を上げる男達。
「酔ってるなら帰った方が良い。貴族のお嬢さんなんて襲ったら、後で命が無くなるぞ」
囁くように言ってやれば、怯えたように、手に刺さった串もそのままに男達は逃げ出す。
そして僕は後ろでへたり込んだ女を一瞥し、……関わっては面倒だと考えて、そのまま声は掛けずに散策に戻る。
絡まれる切っ掛けを作った負い目は、男達を追い払った事で清算した。
それ以上に優しくしようと思う程、僕は彼女に対して好意は持っていないから。
そんな風に僕は、夕暮れ近くまで町をぶらつき、見付けた酒場で葡萄酒を一本購入してから宿舎に戻る。
今日の散策の最大の収穫はこの葡萄酒で、次に気の良い串焼き屋の屋台を見付けた事だ。
その他は、まぁこの葡萄酒を飲んだら忘れるだろう。
どんなに僕が皇帝陛下を素晴らしいと感じていても、その治世が全ての者にとって完璧でないのは、当たり前で仕方の無い事なのだから。
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