2-9


 僕が中級に上がってから暫く、漸く訪れた初対戦の日。

 中級剣闘士の対戦は午後からなので、午前中はゆっくりと身体を暖めほぐす様に、柔軟の運動とアップを行う。

 訓練官は居るけれど、こちらから特に教えを請いに行かなければ、訓練内容に口を出される事もない。

 そうして汗を出した後は入浴し、出した汗を洗い流す。

 剣奴でも中級剣闘士ならば好きな時間に入浴が出来ると言うのは、帝都の豊かさと素晴らしさを証明していると思う。

 それから軽めの昼食を口にしたら、馬車に乗って闘技場への移動の時間だ。


 時間になったら馬車に乗って闘技場へ移動。

 これだけは、下級でも中級でも変わらなかった。

 上級の剣闘士になると個人の屋敷を与えられるから、馬車も専用の物になるらしいが、それはまだしばらく先の話だろう。


 中級の中の三つの区分、下位から中位、中位から上位へと上がるにはそれぞれ五つの勝ち星を上げ、尚且つ直近の対戦で三連勝が必要となるらしい。

 つまり勝ったり負けたりしていると、何時まで経っても上には行けないと言う訳だ。

 但し全て勝利すれば十勝で、中級上位に行けると言う話でもある。

 元より僕の目標は中級上位等ではなく、上級剣闘士になっての剣奴からの解放と、その先にある御前試合だった。

 誰にも文句を言わせぬ形で上級剣闘士に昇格するには、中級の上位なんて最短で辿り付けねば話にならない。



 ……でもそんな風な考えは、円形闘技場の中央で僕を待つ剣闘士を見た瞬間に吹き飛ぶ。

 中級に昇格したばかりだから、僕が格下扱いされるのは別に良い。

 この先もずっと、上級剣闘士に辿り着くまで僕は挑戦者だ。

 しかしこれは、あまりに酷くはないだろうか。

 僕は、隣で僕から目を逸らす興行師のドランを睨み付ける。


 今円形闘技場の中央で僕を待っている剣闘士は『旋風のバストゥール』。

 近い将来のライバルになると考え、一度は彼の対戦を観戦にも行った、中級の上位で上級行きを争う剣闘士の一人で、今年の上級昇格の最有力候補であった。

 僕だって今年の上級昇格枠を狙っているから、バストゥールはいずれ直接対決をしなければならない相手である。 

 しかしそれは断じて今じゃない筈だ。

 中級昇格後の、初対戦の相手が彼だなんて、一体どんな陰謀があればそうなると言うのだろうか。

 これまで僕はドランは稼げさえすれば味方であると考えていたが、事と場合によっては事故死して貰う必要だってあるかも知れない。


「い、いや、待て、聞け。わかった。お前さんにだけはわかるように説明するから、そんな剣呑な目で俺を見るな!」

 思わず視線に殺気を込めていたのだろう。

 僕の視線から顔を庇う様に腕を交差したドランが、息苦し気にそう呻く。

 理由、理由か。

 なら聞かせて貰うとしよう。

 一体どんな理由があるのかを。


「今日『お前さんを見に来た御方』の前で、下手な相手は出せなかったんだ。最上の相手を用意するしかなかった。これでわかってくれ」

 僕が殺気を緩めると、安堵の息を吐いたドランが、小声でそう囁いた。

 まさかと思い、反射的に貴賓席に視線をやってしまう。

 そんな事があり得て良いのだろうか。

 よもやわざわざあの御方、皇帝陛下が僕の対戦を見に来ているなんて。


『ルッケル・ファウターシュよ。貴様の活躍、余は楽しみにしているぞ』

 その言葉が、僕の脳裏に蘇る。

 何たる光栄だろうか。

 身体中を沸々と熱い物が駆け巡って止まらない。

「すまなかったドラン。約束しよう。勝利の栄誉をあの御方に捧げ、そしてそのおこぼれは貴方に」

 ドランの返事を聞かずに、僕は武器を携えて門を潜る。


 もう一人、バストゥールにも謝らなければならないだろう。

 今日は見せ場はやれそうにない。

 今の僕は、自分でも止められないから。

 正真正銘、全霊の僕が、出せそうだ。



 バストゥールの武器は、その異名に相応しい二丁の斧。

 手斧と呼ぶには大きなそれを、人離れした握力と腕力で振り回す。

 出身は南方でミダールの民と争う民族、ロスギーの民の出身だとか。

 身体能力は折り紙付きだった。


 僕の装備は何時も通りにバックラーとグラディウス。

 こんな強敵と戦うのなら、鉄のラウンドシールドにしとけば良かったと思わなくもないが、まあ今の集中力ならどうにでもなる。

 対峙すればバストゥールの顔には嘲る様な笑みが浮かんでる。

 中級昇格したての雑魚を相手に勝ち星が稼げて美味しいと考えてるのか、或いは時間の無駄だと考えているのかは知らないが、彼が既に勝利を確信している事は間違いがない。

 故に僕は、開始の銅鑼が鳴るとほぼ同時に、最速、最巧でバストゥールを叩き切った。

 相手の動きを許さない程に速く、相手が動けない程に巧みな剣で。


 ……まあ別の言い方をすると、速度と正確さで心の隙に滑り込み、虚から切り付けるズルっこい剣なのだけれども。

 コツは相手の呼吸を読む事と、意識の間隙に滑り込む踏み込みである。



 名前は何と言っただろうか。

 習ったのが随分昔なので思い出せないが、昔、家に招いた高名な剣士が教えてくれた『ミルド流、何とかの剣』だ。

 思い切り集中した状態でなければ出せないから、調子が飛び切り良い日の、それも大体は初撃にしか使えない。

 ついでに言えば、それなり油断、慢心した相手じゃなければ意識の間隙にも入り込めない。

 使用したのも本当に久しぶりの事だった。


 何もできずに血飛沫をあげて倒れたバストゥールの姿に、観客席にどよめきが走る。

 鋭く切ったから、手当が迅速ならば助かりもするだろう。


 だから僕は、

「我、ルッケル・ファウターシュは、この勝利をトーラス帝国に捧ぐ!」

 胸に手を当て、自ら勝利宣言を行った。

 素早くこの戦いを終わらせる為に。


 本当は皇帝陛下に捧げると言ってしまいたいが、お忍びでの来訪ならば、名を出すのは迷惑が掛かる。

 下手に勘繰られて、あの御方の名を下げてもいけない。


 一礼してから闘技場を去れば、どよめきは大きな歓声へと変わり、大慌てで駆けて来た闘技場のスタッフが、タンカにバストゥールを載せて運び出して行く。

 僕は門を潜って、ポカンとした表情を浮かべたまま突っ立っているドランの胸を、

「勝ったぞ」

 拳で突いてそう笑う。

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