2-5
バックラーを用いたシールドバッシュは僕の特技の一つだ。
特に相手を殺さないように戦う際には便利である。
普段は相手の武器の腹を盾で叩くが、今回はもう一歩踏み込んで、相手の手首を叩きながら攻撃を反らした。
もちろん攻撃を反らした後は、グラディウスで切り付ける。
戦いの開始の銅鑼が鳴ると同時に猛然と切り掛かって来た相手の剣闘士を、僕はバックラーで叩き、グラディウスで切った。
切ったと言っても、皮と皮下の脂肪だけ。
皮一枚では大した出血はしないが、皮下の脂肪も切ってやればダメージが後に引かない割には血を流す。
これを繰り返し、相手を血達磨に変えながら、相手が武器を握れなくなるまで手首を盾で殴り付けた。
相手はどうやらこの手の攻防を織り交ぜた、いや、もっと言えば防御からのカウンターを主軸とした戦いを苦手とするのか、或いは少し不慣れな様子。
戦いは最初から最後まで僕の思う通りに運び……、血と体力を失い、武器を握る握力も失い、打つ手がなくなった対戦相手に剣を突き付けて試合は終わる。
格の違いを知らしめて。
一方的な展開に闘技場は一瞬静まり返ったが、僕が剣を掲げれば割れんばかりの歓声に包まれた。
罵声が歓声に変わるこの一瞬が、何とも言えず心地良い。
そういえばこの手の歓声を受ける事は、アザーラミアでは少なかったから、尚更だろうか。
……というのが午前中の出来事で、馬車に乗せられて拠点に帰った僕は、昼食を食べてから妹への手紙を書いている。
昼食の内容は昨日食べた物よりも随分と良かった。
どうやらこの拠点では、対戦に勝利した日は食事内容が上がるらしい。
実にやりがいのある話だが、そうなると逆に対戦のない日が残念に思えてしまう。
まあそれも、中級に上がるまでの辛抱ではあるのだけれど。
さて手紙の内容だが、最もマリーナやコラッド、家族達に伝えなければならないのは、剣奴になったのは皇帝陛下からの温情ある措置であり、僕はそれを問題にしないと言う事だ。
しかしそれだけを書いて送っても、心配を掛けないように無理をしてると取られては意味がなくなる。
だから敢えて、ファウターシュ男爵領を旅立ってから帝都に辿り着くまでの出来事や、帝都に辿り着いてからの出来事を可能な限り面白おかしく書き添えておく。
帝都の広さや雑多さ、拝謁するのに貸衣装があったり、入浴までさせてくれる話。
皇帝陛下の偉大さは誇張なしに書けるし、抱いた感謝と忠誠心に関しても書き綴った。
この手紙が届いたならば、心配はしたとしても、早まった事だけはしないでいてくれるだろう。
妹のマリーナは、兄の贔屓はあるかも知れないが、領主としてはかなり優秀な部類に入る。
状況の把握さえキチンと出来れば、周囲に集る羽虫の様な貴族達に隙を見せる事はない筈だ。
ついでにザルクマ伯爵夫人宛ての手紙も添えて、妹から送って貰おう。
ザルクマ伯爵、セルシアン伯爵が擁護してくれたからこそ、今回の温情はあった。
いずれ感謝の言葉は直接伝えるにしても、先に手紙は送らねばならない。
検閲代わりに一度ドランに読ませてから、封蝋をして預ける。
今からなら、僕が奴隷落ちしたとの知らせと然程に間を開けず、妹の元へと手紙は届くだろう。
最大の懸念が解決した事に、僕は安堵の息を吐く。
今後、皇帝からの処分を知ったあの羽虫達が、伝手を通じて帝都に働き掛けてくる可能性はある。
しかしファウターシュ男爵領なんて小さな土地を狙わねばならぬ程に困窮してる貴族に、大した影響力等ありはしない。
精々が他の興行師を通じて、闘技場に刺客を送り込んで来るぐらいの筈。
その程度はまぁ、別に大した問題ではなかった。
手紙を出し終えた僕は、訓練場を歩き回って同室の連中を探す。
今日の対戦がなかった剣闘士達は既に午後の訓練も終えた様子で、熱心な者はまだ武器を振っているし、そうでない者は思い思いに横たわって休んでる。
そして見付けた同室の連中は、昨日襲い掛かって来た二人は今日も地面に転がっているが、部屋のリーダーだけは一人熱心に剣を振っていた。
元々腕っぷしが強いのだろう。
部屋のリーダーが振る剣は、それなりに力強く安定もしている。
訓練で教わった事を、忠実に繰り返す事で成果も出ているようだった。
まぁもちろん、それだけでは多分生き残れないのだが。
僕がどの様に声を掛けようか迷っていると、向こうもこちらに気付いてしまう。
「あ……、てめぇっ、昨日の仕返しにでも来たのか?」
なんて風に言う部屋のリーダー。
一体彼は、僕をどう言う風に思っているのだろうか。
あぁ、でも、いやしかし、それも悪くないかも知れない。
「あぁ、そうだな。今から貴様に打ち込むから、防いで見せろ。反撃はしても構わないが、まずは防いでからだぞ。では右だ」
刃を落とした訓練用の剣を握り、宣言通りに彼の右胴へと打ち込む。
咄嗟に後ろに下がってそれを躱し、直ぐに打ち掛かって来る部屋のリーダー。
しかしあまりに真っ直ぐなその剣を、僕は軽く右に避け、
「左だ」
宣言してから、思い切り手加減して彼の左胴を打ち据える。
でもそれでも大分痛かったのだろう。
顔色を真っ青に変えて、荒い呼吸を吐く部屋のリーダー。
「まずは防げと言っただろう。相手の剣を見ないで思い切り突っ込むからそうなる。今のが対戦なら、死んでるぞ。ほら、早く構えろ。次はもう一度右からだ」
そして再び右胴への切り付けから。
青い顔のままに何とか僕の剣を、自分で剣で受ける部屋のリーダーだが、でも駄目だ。
しっかりとした防御の仕方を習っていないから、簡単に体勢を崩してそのまま力で薙ぎ払われる。
さて僕がなぜこんな事をするのかと言えば、部屋のリーダーが言ったように昨日襲われた復讐では、もちろんない。
では何故かと言えば、恐らく訓練所では教わっていないだろう防御の仕方を教える為だった。
剣闘士が求められる役割は、思い切り良く切り合って、血を流す事である。
アラーザミアでは剣闘士の損耗を防ぐ為、訓練期間中に防御の方法も教えていたが、帝都の剣闘士はその訓練期間が短い。
尚且つ入れ替わりも激しい為、見栄え良く切り合う事だけを教え込まれ、求められるのだろう。
先に敵を切り倒してしまえば生き残れると言うのは、ある意味の真理だ。
しかし以前にアラーザミアで出会ったアペリアのような逸材なら兎も角、同室の連中の乏しい才では、それを実現する事は難しい。
だから僕は部屋のリーダーに、取り敢えず防御の仕方を叩き込もうと思った。
切られて血を流しながらも致命傷だけは避け、何とか耐えて勝機を掴む。
否、勝てなかったとしてもどうにか生き残り、しぶとく経験を積めば良い。
そんな風に考えたから。
もちろん、これは僕の気まぐれだ。
でもそんな風に思えたのは、恐らく彼らが冷害の被害を乗り切る為に、貴族に売られた民だろうから。
統治者である貴族に売られ、裏切られたと思う彼らを、……領民を売らずに冷害を切り抜けたファウターシュ男爵として、放ってはおけなかったのだ。
尤も、彼らと同じ境遇の人間なんて、この帝国には大勢存在しているし、その全てに手を差し伸べる事は、僕にはできやしないけれども。
暫くそうして打ち合えば、慣れぬ事をしている部屋のリーダーは力尽きてフラフラになってしまう。
でも大丈夫。
寝転がっていた筈の二人が、驚きと好奇に満ちた目でこちらを見詰めているから、
「疲労した相手に打ち込んでもつまらんな。少し休んでろ。代わりにそこの二人、デカい方から相手をしてやる。立て、そっちのデカいの。まずは右からだ」
部屋のリーダーは、暫くは休みながら見ていると良い。
教え込むなら同室の連中には公平に教えてやりたいし、見ているだけでもわかる事は意外に多いのだ。
そうして僕のしごきは、訓練所に居た剣闘士達が興味を持って遠巻きに見守る中、日が暮れるまで続けられた。
我ながら、物好きだなとは、本当に思う。
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