2-4


 剣奴生活二日目。

 今日は午前中に対戦があるらしいので、流石に朝食は軽めにして貰う。

 流石に腹が重くて動きが鈍ったせいで切られるなんて、間抜けを晒す羽目になる可能性は潰したかった。

 食事を取る僕を遠巻きに観察する視線は感じるが、好奇が殆どで、然程の敵意は感じない。

 動くのに必要な分だけを腹に入れたら、陽の下で身体を温めながら関節を伸ばす。

 借金を返す為にファウターシュ男爵領に戻って、それから帝都にやって来てとしていたから、思えば数ヵ月は闘技場からは遠ざかっている。

 久しぶりの対戦になるのだから、相手が下級の剣闘士であっても、万全の準備はしておきたかった。


 闘技場が開く時間が近付くと、午前中に対戦がある剣闘士は、全て馬車に詰められて運ばれる。

 これも初めての経験だったが、馬車の中は男ばかりで非常にむさ苦しい。

 女の剣闘士も居なくはないのだが、剣闘に適した女は、同じく剣闘に適した男よりも希少だ。

 まぁ当たり前の話だろう。


 馬車を降り、狭い空間から解放された僕は思い切り伸びをする。

 すると後ろから小突かれたので振り返ると、

「ちったぁ緊張しやがれよ。可愛げのねぇ」

 興行師のドランが、苦笑いを浮かべながらそんな事を言う。

 でもこんな所で可愛げとやらを振りまいた所で彼の儲けは増えないし、僕の待遇の良化にも繋がらない。

 アラーザミアに居た頃もそうだったが、僕が演技、演出をするのは基本的には利の為だった。

 要するに何が言いたいのかと言えば、僕の可愛げとやらも有料なのだ。


 しかし流石は帝都と言うべきだろうか。

 デヴュー戦で連れて来られた以上は下級剣闘士の戦う闘技場の筈だけれども、アラーザミアの物と比べれば格段に大きく、建築様式にもこだわりが見える。

 だがそこに満ちた、熱気と血と汗の入り混じった空気だけは、何ら変わらずに僕を出迎えてくれた。



 僕の対戦はまだ後で、どうやら昼前になるらしい。

 暇を持て余した僕は、待機所から闘技場を覗いていたが、予想に反して戦いを行っている下級剣闘士の質は低かった。

 帝都の剣闘士は質が高いとの噂だっただけに拍子抜けした気分だが、良く考えてみればその理由にも思い当たる。

 この帝都は、恐らく今は世界で最も剣奴が集められてる場所だ。

 農地で働かせたり、性的な目的で扱われる奴隷は別にして、剣奴の浪費は間違いなく帝都が一番多い。

 そう、浪費である。


 恐らく剣奴が最初に受ける訓練期間が、他の都市よりも短いのだろう。

 だから帝都の剣奴はどんどん死に、死ぬ傍から補充がされて行く。

 故に下級の剣闘士の質はどうしても低く、混沌とし、その中で本当に才のある一部だけが中級以上に抜け出す。 

 下級を抜け出した中級以上の剣闘士は喰い合いを経て選ばれたエリートだから、それは質も高くなると言う訳だ。

 どうやらこの帝都の闘技場は、僕が思うよりもずっと油断がならず、過酷らしい。

 たとえ相手が下級であっても、足首を掴まれぬ注意を払うとしよう。


 思えば同室の連中が想像よりもずっと早く襲撃をかけて来たのだって、僕が貴族だと知ったからもあったろうが、きっと余裕がないからだ。

 明日を生きてる保証が全くないから、常にピリピリと余裕がなく、軽い刺激でも激発してしまった。

 そんな風に考えて、思わず一つ舌打ちをする。

 あぁ、これはもう癖なのだろうか。

 思わず、勿体ないと感じてしまったのだ。

 今の僕に他人を哀れむ余裕なんてないのだけれど、アラーザミアで過ごした経験が、必要以上に無駄に浪費されてる命を、開花しなかった才能を、どうしても惜しいと感じさせてる。


 また一人、覗き見ていた闘技場で下級剣闘士が死ぬ。

 同室の連中は今日は対戦がなかった様だが、明日、明後日には、もしかすると入れ替わるかも知れない。

 ……午後は確か訓練の時間だった筈だから、対戦のある僕は自由時間だけれど、同室の連中を引っ張り出して生き残る為の技の一つもくれてやろうと、そう思った。

 けれどもその前に、そろそろ、漸く、僕の対戦が回って来る。

 全てはこれを乗り越えてからの話だ。



 トーラス帝国の闘技場では、キャリアの長い側、格上とされる側が、先に入場して観客に己をアピールする慣習があった。

 つまりアラーザミアでは僕が何時も先に入場し、相手が入って来るのを待っていたが、今日は後から入る事になる。


 しかし今闘技場の中央で観客にアピールしながら僕を待っている剣闘士は、

「いや、あれは明らかに下級じゃないだろう?」

 これまでの対戦で戦っていた下級剣闘士とは明らかに格が違う。

 一見古めかしく見える武器や籠手、脛当ても、あれは丁寧に使い込まれて年期を重ねた代物だ。

 そしてそれを身に纏う剣闘士の肉体も同様に。


 確かめるように興行師のドランに視線を送れば、

「貴族様のデビュー戦に中途半端な奴は出せないだろうが。いいじゃねぇか。駄目ならアレが処刑人になるだけさ」

 なんて風に悪びれもせずに言った。


 ……まぁそう言われれば、そうだなと思わなくもない。

 奴隷に落ちた貴族なんて面白い題材で、下手くそ同士の泥仕合なんて物を演出してしまえば、興行師としての沽券に関わるのだろう。

 ならばいっそ処刑劇にでもした方が、まだ受けは良いと言う訳である。

 でもそう言う心算なら、僕としても都合が良い。


「じゃあアレを客受けよく倒せば、一つ頼みを聞いてくれないか?」

 こんな風に頼みごとがし易いからだ。

 今の僕にはどうしても、早急に行わねばならない事が、一つあった。

「あ? 特別扱いは無しだってのが、皇帝陛下からの御達しだぜ?」

 僕の言葉にドランは首を横に振るが、そんな事は知っている。

 ではあの対戦相手は何なんだと思わなくもないが、それはそれ、これはこれなのだろう。


 でもそんなドランの言葉に、僕は笑った。

「稼げる剣闘士を優遇しないのは、悪い意味での特別扱いだ。それこそ皇帝陛下のお言葉に叛く事になるな。それに頼みと言っても大した事じゃ無い。今回の詳細を急いで領地に知らせないと、奴隷に落ちましただけじゃ心配するだろう?」

 実際には、心配するだけなら良いけれど、妹が思い詰めて変な動きをしかねない。

 帝都に行けと言ったのは妹のマリーナ・ファウターシュで、その帝都で僕が剣奴に落ちたと知れば、どんな手を使っても救おうとするだろうから、心配ないと伝えねばならなかった。


「お、ぉぉ、成る程な。それなら仕方ないな。でもそれも、お前さんがアイツに勝ったらの話だぜ? 死んだら手紙なんて書けないんだからよ」

 と、そんな風に言うドランに頷き、僕は闘技場へと進み出る。

 何の心配も要りはしない。

 確かに目の前の相手はどうみても下級じゃない相手だが、上級には程遠い、中級の中でも中堅辺りの剣闘士だ。

 こんな言い方をするのも何だが、僕より先に入場して待ち受ける資格のある相手ではなかった。



 観客達に僕のプロフィール、皇帝陛下の意向で男爵のまま奴隷落ちした辺りが説明され、観客の野次と罵声が激しくなる。

「おいおい奴隷にされた上に処刑かよ。可哀想になぁ!」

「どんな悪さをしたらそんな目に合うってんだ。この極悪人が!」

 なんて風に。

 あぁ、なんて、なんて何時も通りなんだ。

 アラーザミアを遠く離れた帝都でも、この空気は変わらない。

 何故か安心感すら覚える野次に、僕の中の何かが切り替わった。


「ふんっ、高貴な貴族たる私の戦いを見られるのだ。皇帝陛下のご温情に感謝せよ!」

 手に馴染む使い込まれたグラディウスを掲げ、観客達にアピールをする。

 野次も歓声も、たったその一言で大きくヒートアップした。

 目の前の、剣闘士が強い怒気を放つ。

 そりゃあそうだろう。

 先程まで精一杯アピールをして観客を温めていたのに、たった一言で空気を全て持って行かれたのだから。


 しかし残念ながら、今日の闘技場の主役は君じゃないのだ。

 負けてやる必要のない、好き勝手出来る僕の相手をするのに、中級の中堅レベルの剣闘士では圧倒的に役者が足りない。

 それを彼が思い知るのは、戦いの開始を告げる銅鑼が鳴って、数秒後の事だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る