2-3
兵士達に連れられて、やって来たのは剣闘士の訓練場だ。
訓練場と言っても、隣には剣奴の宿舎や、大きな食堂、興行師の住処等も併設した、一つの拠点と言って良い場所である。
いやいや慣れたふりはしているが、実の所、この手の施設を利用するのは初めてだった。
アラーザミアでは、貴族様でございと闘技場に参加していたから、流石に剣闘士に混じって訓練や寝泊まりをする訳にも行かず、個人で部屋を借りていたのだ。
御蔭で訓練の場所には非常に困っていたけれど、今回はその心配がない。
ただそれと引き換えに、安全、寝床と食事の質が犠牲となるだろう。
下級の剣闘士は複数人が一つの部屋に押し込められ、床に皮を敷いてその上で寝る。
食事だって、切られても死に難く長持ちする剣奴となるように、脂肪をつけようとする内容になる筈だった。
と言っても、それは下級の間だけの話だ。
中級に上がれば個室とベッドが与えられるのが一般的だし、食事のグレードだって大きく上がる。
それこそ偶になら、以前友人のマローク・ヴィスタに奢って貰ったような食事だって取れるだろう。
何せあの時のマロークは中級剣闘士だったのに、アレをポンと僕に奢ってくれたのだから。
まぁ彼は剣奴ではなかったから、収入の面で余裕があったのだろうけれども。
「ふぅん、お前さんが男爵様かい。ははっ、こりゃいい。全く絶望してねぇな。ようこそ、俺の剣闘士団へ。俺は興行師のドランだ」
僕の手枷を外してくれたのは、ドランと名乗る興行師。
流石は皇帝に伝手のある興行師だけあって、いかにもやり手と言った風情の男だった。
この場合のやり手というのは、人を物として扱える冷徹さと、それでも他者を惹き付け、従えられる人情味を併せ持つという意味だ。
その矛盾する二つを兼ね備えている事は、僕が思う良い興行師の条件である。
そうであるなら、話は早い。
「ルッケル・ファウターシュだ。爵位は確かに男爵だが、剣奴となった事は温情だと受け入れている。言葉遣いも必要なら直そう。どうかよろしく頼む」
僕は胸に手を当て、ドランに向かって頭を下げる。
これから暫く世話になるのだから、出来れば良い関係を築いて行きたいと思う。
「はっ、言葉遣いなんて好きにすりゃ良いさ。大事なのはお前さんが稼ぐかどうかだ。基礎は出来てるって話だから、明日から早速戦って貰うぞ」
ニヤリと笑って、そう言うドラン。
皇帝からの話を聞いたのは今日だろうに、もう明日に対戦を組んでいるとか、実にやり手だ。
話が速くて非常に助かる。
「わかった。どんな対戦が組まれるかは任せるが、出来るだけ早く、可能なら最短で中級に上がりたいと思ってる。長く下級に留まって、無駄な肉を付けたくない。もちろん剣奴として、興行師に損はさせないと約束しよう」
僕の言葉にドランは目を丸くして、
「後悔するなよ」
と言って笑った。
その後、僕はドランに一通り施設を案内されて、食事を取った後に割り当てられた部屋へと向かう。
食事は思った通りの内容で、肉と麦、特に安い麦をこれでもかと言う程に喰わされる。
上半身を裸で血を流しながら戦う剣闘士は、脂肪を身に纏った方が死に難くなるのは確かだった。
でも僕のような身のこなしと技が生命線の剣士は、余分な脂肪を付け過ぎると動きの質が下がるのだ。
しかしだからと言って出された物を喰わない訳にはいかず、部屋へと向かう僕の足取りは何時もより多少重い。
そして部屋の戸を潜った途端、二人の男が僕に向かって踊りかかって来た。
右から来るのが大男で、左から来るのが細身の男。
全くもう、何時かはそうなる可能性はあるかと思っていたが、初日からとは少しばかり予想外である。
色々と入れた物が出そうになるから、あまり激しく動きたくはないのだが……。
僕は一歩下がりながら、右側から襲ってきた大男の手首を掴んで引いて、前に引っ張り出して左側から襲って来る細身の男への盾にする。
互いにぶつかり、男達の動きが止まった瞬間に、僕の掌打が二人の顎を打ち抜いた。
こんな連中を拳で殴って、指を痛めるのも馬鹿馬鹿しい。
倒れた男達を一度ずつ足で踏み抜いて意識を飛ばしてから、僕は改めて部屋へと入る。
すると部屋の中には、襲撃には参加しなかった男が一人、額に汗を滲ませて僕を睨み付けていた。
「貴様がこの部屋のリーダーか。少しの間世話になる。どうせすぐに出て行くから、貴様の地位は脅かさない。理解出来たか? なら良い。忠告しておくが、寝込みは襲うなよ。寝惚けているとうっかり殺しかねないからな」
睨み返すとあからさまに怯えた部屋のリーダーに、噛んで含めるように言い聞かせる。
こういうのは最初が肝心なのだ。
僕だって対戦には万全の体調で出たいから、こんな連中に足を引っ張られたくはない。
可能であるなら穏便に良い関係を築きたかったが、それが難しい事も最初からわかっていた。
床で意識を失った連中を寝床の皮の上に運んでいると、手伝いもしないでこちらを見ていた部屋のリーダーが、思わずといった風に口を開く。
「何でそんな事してんだよ。お前は貴族だろうがよ。俺等をこんな所に売り払った貴族様だろうがよ!」
……とそんな風に。
下級の剣闘士が、それも剣奴が知る筈のない情報が、何故か駄々洩れであった。
あぁ、いや、敢えてドランが流したのか。
だとすればそこには、何らかの意図がある筈だ。
恐らく、これ位は最初に乗り越えて見せろって辺りだろう。
「石の床で寝させて身体を壊せば、対戦で死ぬぞ。同室の者につまらん死に方をされれば不快だ。それに私は、領民を奴隷として売った事はない。売っていたらこんな場所には来てないさ」
まぁ正確には売らなかったのは父だけれど、後始末をしたのは僕なので、偉そうに言う資格はきっとある。
勿論そうやって奴隷として売らなければ、より多くの民が飢えて死ぬなど、仕方がない面があるのは知っていた。
でも今回僕が剣奴になる切っ掛けを作った連中のような、自分の生活の質を落とさない為に領民を売り払った貴族も確かにいるのだ。
できれば一緒にはされたくはない。
僕の言葉に部屋のリーダーは何の言葉も返さなかったが、けれども残る一人の大男を寝床に運ぶのは手伝ってくれた。
そしてその日以降、僕に対する襲撃もない。
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