奴隷貴族の剣闘士生活
2-1
トーラス帝国の首都は、帝都とだけ呼ばれ、その他の呼称が存在しない。
皇帝の御膝元であり、この世界の中心であるとの自負が、その帝都以外の名を付けさせなかったのだ。
元より国土も国力も、他の諸外国に比べて飛び抜けていた帝国が、近年では南方の地を支配下に治めた。
そうなると帝都の規模は当然ながら、四大都市と呼ばれるアラーザミアと比較しても更に圧倒的で、世界の中心と呼ばれるに相応しい物である。
さてトーラス帝国内に領地を持つ男爵位以上の貴族は、帝都を訪れた際には必ず皇帝に拝謁しなければならないと言う決まりがあった。
別の言い方をすれば、低い爵位の貴族は領地持ちでない限りは皇帝に拝謁するのはほぼ不可能な為、この決まりは帝国を支える領地を持った貴族に対する優遇だと言われている。
帝都を訪れる事になった僕も気楽な気持ちで、折角だから皇帝の顔を拝んで置こう位に考え、役人に案内されて宮殿へと向かう。
田舎から出て来た貴族の為に、入浴と礼服のレンタルなんてサービスがあった事には少しばかり驚いた。
まあ確かに田舎貴族にとっては、拝謁の為だけに帝都で礼服を仕立てるとなるとそれなりに負担が大きいから、こう言ったサービスはとても助かる。
でも後になって思えば、そのサービスも含めて、帝都の威を領地持ち貴族に見せ付ける為の策なのだろう。
自分で用意した自分の為の礼服を身に纏えば、それなりの覚悟が自然と出来る。
しかし借り物の衣装は覚悟をさせてくれないどころか、周囲と一緒になって心を飲み込みにくるのだ。
領地持ち貴族の皇帝への拝謁は、男爵や子爵といった低い爵位の場合は纏めて行われるらしい。
らしいというのは、今日の拝謁予定者は僕一人だけだった為に、伯爵以上の貴族と同じく個別での拝謁になったから。
案内された場所で跪き、首を垂れて待つこと少し、不意に辺りの空気が変わる。
何と表現すればいいのだろうか。
泥沼のようなと言えば少し違う。
もっと硬質の、石の中に閉じ込められたらこんな風に感じそうな、重たく硬い空気に辺りは包まれた。
身体を上から押さえ付けられてるかのような錯覚に、冷たい汗が流れ出る。
それは手強い剣士の放つ圧とは全く違う、権と威の重み。
「ルッケル・ファウターシュ男爵、面を上げよ。直答も許す」
かけられた声に、僕は悟る。
この声の主こそがトーラス帝国を支配する皇帝で、この物理的な重さすら伴う空気の中心だ。
帝都を訪れる領地持ち貴族が必ず皇帝に拝謁すると言うルールは、別に優遇なんかじゃない。
領地と一緒に独自に兵を抱える領地持ち貴族達に、身の程を知らしめ、深い忠誠を誓わせる為の儀式なんだと。
顔を見たい。
強く僕はそう思った。
およそ同じ人とは思えぬ空気を身に纏う、帝国貴族の一人として仕えるべき主の姿を、どうしてもこの目に。
そんな思いを抱いているのに、僕の首はまるで鉄の鎖に繋がれたかのように、動かない。
汗が吹き出し、身体が震える。
「ふむ、今代のファウターシュ男爵は余に会うのは初めてか。動けぬなら無理はせずとも良い。そういう決まりだ」
気遣う様なその声に含まれる、ほんの僅かな失望。
それに気付いた時、僕の中で何かが切れた。
実は僕は、思った以上にファウターシュの家に誇りを抱いていたらしい。
父からも、祖父からも、幼い頃から初代皇帝に付き従ったと言う、祖先の話は聞いていた。
その子孫である僕が、皇帝に面を上げろと言われて動けないなんて、そんな無様が許されて良い筈はないのだ。
思い切り拳を握り締め、自らの下唇を噛み、痛みで自分を取り戻す。
僕は重圧に抗い、震える声を絞り出し、首を無理矢理持ち上げる。
「……いえ、ルッケル・ファウターシュ、陛下のご尊顔を拝し奉る事、光栄の極みに御座います」
力を込め過ぎた首が、肩が、全身が痛かった。
でも本当に、ここで顔を上げた自分を褒めてやりたい。
初めて目にしたトーラス帝国の支配者である皇帝は、三十代の偉丈夫だった。
姿形は普通の人間と変わりはないが、しかしやはり身に纏う空気が尋常ではない。
殊更に飾り立てた服装でもないのに、一度でも視界に入れてしまえば吸い寄せられたように視線を逸らせず、瞬きすら困難に思う。
「ほぅ、初めてで顔を上げられた者は久しぶりだな。流石は始祖にも称えられしファウターシュの末裔よ」
その言葉には、好奇と紛れもない称賛が含まれている。
そりゃあ普段は己の領地で支配者として振る舞い、思い上がりがちな領地持ちの貴族も、こんな皇帝に会ってしまえば身の程を知らざるを得ないだろう。
皇帝は隣に控えていた役人から羊皮紙を差し出され、それを受け取り目を通す。
「成る程、帝都に来た理由は剣闘士をする為か。変わり者よな。だがそんな貴様だからこそ、余の前で顔を上げられたのだと思えば頷けよう」
嬉しい事に、随分と皇帝は僕を評価してくれているらしい。
この御方の前で、自分の意思で顔を上げられると言うのは、それ程に大きい事なのだろう。
僕も首や肩を痛めた甲斐が、少しはあったと言う物だ。
そんな風に、皇帝の発する圧にも少し慣れて来た僕は、そんな気の緩んだ事さえ考える余裕が出て来ている。
けれども、そんな風に皇帝の言葉を喜んでいられたのも、そこまでだった。
羊皮紙から顔を上げて唇を歪め、皇帝は少し楽し気に口を開く。
「しかしファウターシュ男爵よ。貴様に関する訴えが、この帝都にも届いているぞ?」
その言葉に、僕の背筋は凍り付いた。
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