1-8


 前回の対戦から四ヶ月。

 再びミダールの民の剣奴、アペリアと僕の対戦が決まった。

 思ったよりも遅めの再戦だが、どうやらアペリアは下級剣闘士として足止めを喰らったこの四ヶ月間で、じっくりと実力を蓄えたらしい。

 下級ではもう完全に敵なしで、しかし決して奢りもせずに黙々と訓練に励む事から、興行師は上級だって夢じゃない逸材だと大喜びをしている。

 僕もアペリアの事は逸材だと覚えていて、気にはなってもいたから、彼が実力を高めていたのなら、素直に喜ばしく思う。


 でも一つだけ厄介な話があって、興行師曰く、どうやらアペリアは僕の対戦を熱心に観戦していたらしいのだ。

 恐らく一度負けた僕に勝とうと熱心に学んでいるのだろうが、下級での対戦なら兎も角、最近になって幾度か行った中級でのタッグ戦を見られているのが少し拙い。

 流石に中級剣闘士との戦いともなると、然程に加減をしていなかった。

 タッグ戦のパートナーであるマローク・ヴィスタが活躍してくれる御蔭で今の所はあまり目立ってはいないが、それでも技を見る為にジッと注視されていたなら、下級相手と中級相手の戦いでは、僕の動きに差がある事にも気付くだろう。

 そしてアペリアがそれに気付いたならば、次の対戦はとても加減や演技がし辛い物になる。


 中級への昇格が決まっているなら、別に僕が相手をせずとも、それこそバットゥーザ辺りでも良いだろうに、アペリアは対戦相手として僕を希望しているらしい。

 その為の四ヶ月だったとまで言われてしまい、興行師のゴルロダも思わず首を縦に振ったそうだ。

 一度敗北した相手に勝利しての昇格を望む。

 その気持ちはわからなくもないけれど……、まぁ、なんとも厄介な話だった。


 しかし僕がどんな風に思っても、興行師がやれと言えばやるしかない。

 興行師は事情を理解した上で、それでも何時も通りの仕事をやれと言っている。

 確かに中級で戦うようになったのは僕の事情、より正確には僕のパトロンの事情で、興行師には関係のない事だ。

 たとえ彼がそれによって儲け、伝手も出来てホクホクしてたとしても、それは結果的にそうなったというだけの話。

 これからもこの闘技場で借金を返して行く心算ならば、困難でも興行師の意向通りに仕事を果たさねばならない。



 対戦当日、僕は何時も通り円形闘技場の中央で、観客の歓声と罵声を浴びながらアペリアがやって来るのを待っている。


「そろそろくたばれクソ貴族」

「さっさと負けろぉ。てめぇの無様な姿を見に来たんだよ」


 まぁ多少、今の設定で引っ張り続けるのも無理が出て来てる気がしなくもない。

 小器用に立ち回り過ぎたせいか、どうせアイツは死なないとか、アレはああ言う道化者と言った見方をされるようになって来ていた。

 以前に比べ、随分とマイルドになってしまった罵声がその証左だ。

 今はまだ道化として受け入れられているが、派手な人死にが出ない今のやり方では、やがて飽きられてしまうだろう。

 短ければ後数ヶ月、長ければ半年ほどで借金の返済は、領地の収入と合わせて完済できる筈なので、そこまで稼げればいいのだが……。


 そんな風に考えていると、歓声の質が少し変わる。

 単に囃し立てるだけじゃなく、何処か期待感を孕んだようなそれに。

 視線を正面に戻せば、向こう側のゲートからやって来るのは褐色の肌をしたミダールの戦士。

 もう少年とは呼べない位に、アペリアは戦士としての雰囲気を身に纏っていた。


 あぁ、そりゃあ観客だって期待するだろう。

 入れ替わりの激しいこの円形闘技場で、多くの剣闘士を見て来た観客達である。

 これから上に駆け上がるであろう実力者だって、彼等は何人も見て来たのだ。

 それと同質の雰囲気を身に纏ったアペリアに期待感を持つのは、何ら不思議な事じゃない。


 いやそれに加えて、僕に対しても、観客からの期待を不思議と感じる。

 ……それは好意なんて物ではなくて、名勝負への期待感か。

 僕が中級で通じる腕を持つと知る観客が、このアぺリアと一体どんな勝負を繰り広げるのかと、固唾を飲んで見守っているのだ。

 全ての観客がそうである訳ではないだろうが、闘技場の空気に影響を及ぼす程度の数は、確実に。


 両手持ちの長剣を構えるアペリアに、僕も黙ってグラディウスとラウンドシールドを構えた。

 何時もの様に演出として、軽口を叩いて煽れなかったのは、多分僕も少しアペリアや、周囲の観客達の雰囲気に飲まれていたから。

 観客の声援は益々大きく激しくなり、対戦の開始を告げる銅鑼の音が、闘技場に響き渡る。



 弾けるように飛び出したアペリアの、切り下ろしの攻撃が迫った。

 実に真っ直ぐな攻撃だが、「また何の工夫もない攻撃を!」なんて言葉は、もうちょっと言えないだろう。

 それというのも、前回の彼との戦いで使ったバックラーに比べ、今日持っている鉄で補強されたラウンドシールドは格段に重たく、動きを鈍らせる要因になる。

 ましてやバックラーの様に払い落しにも使い難いから、今日のアペリア程の勢いで攻められると、安易にそれを崩せない。

 しかも正面から一撃を加えて盾ごと僕を圧した後は、アペリアは左右へと潜り込んで武器を振り、僕の逃げ場を潰す。

 回り込むように逃げられたなら、少しは持ち直しも叶うのだけれど、先んじて逃げ場が潰される為、僕は圧されるままに後ろに下がるより他になかった。


 ここまで来れば、もうそれは立派な戦術で、そして駆け引きでもあるだろう。

 何の工夫もないなんて、とてもじゃないが言えないのだ。

 僕は防戦一方のままに、次第に壁際へと追い込まれて行く。


 実はそもそも、振り回される両手武器に対して盾はあまり分がよろしくない。

 もちろん扱う盾次第なので一概には言い難いが、今の僕とアペリアの戦いで起きてるように、防御は出来ても力負けして後ろに圧されてしまう事が多かった。

 まず両手と片手の段階で、単純な押し合いには負けるだろう。

 でもそうならない為に盾は腕の力だけじゃなく、体重で支えるようにして相手の攻撃を防ぐのだけれど、両手武器をぶん回すタイプは膂力に優れ、体重をも乗せた一撃を放って来る。

 するとやっぱりどうしても、攻撃の勢いに押されて力負けをしてしまうのだ。


 まぁ盾の最も大事な役割は、矢を防ぐ事なので仕方なかった。

 僕がもっと腕力に優れ、体格と体重に恵まれたなら押し負けたりもしなかっただろうが、対戦中にない物ねだりをしても意味はない。

 それにそんな勢いや力で負けてる時の為の、技術もちゃんと存在している。


 攻撃の勢いに圧されながらも、僕は少しずつアペリアの速度に慣れつつあった。

 疲れを見せずに攻撃を放ち続けるアペリアは実際に大したもので、こんなに連続して威力のある攻撃を喰らえば、並大抵の相手ならそのまま沈む。

 並ではなくても攻撃から逃れられず、壁際に追い込まれればやはり潰される。

 この猛攻から逃れられるのは、アラーザミアの剣闘士でも極一部しかいない。


 でも、そう、自分で言うのも何だけれど、僕は並大抵ではなくて、その極一部の側である。

 アペリアも、この攻撃で沈む相手の為に、四ヶ月間を鍛え上げて来た訳じゃないだろう。

 だから僕は、本気を見せた。



 何度も攻撃を受けていれば、激しい攻撃でもパターンとリズムは読めて来る。

 威力と勢いで誤魔化してはいるが、攻め気に逸るアペリアの攻撃は、少しずつリズムが単調になっていた。

 僕を逃がさない為の攻撃だから、右に逃げようとすれば右からの斬撃が、左に逃げようとすればその逆が、飛んで来るのは当たり前だ。

 つまり別の言い方をすれば、思った通りの攻撃を、僕の動きで誘い出せる。

 狙うは左右の斬撃ではなく、押し込む為の、或いはあわよくばそのまま相手を倒してしまう為の、力の乗った振り下ろし。

 右に逃げようとして右の斬撃を誘い、次は左に逃げようとして左の斬撃を誘う。

 どちらにも逃げれずに硬直した僕に、アペリアは振り下ろしの斬撃を放つ。


 僕は待っていたその振り下ろしに対し、身体を左にスライドさせながら盾の当たる角度を調整し、更に左肩を回して肘を横へと倒す。

 つまりは盾に、右回転の動きを発生させた。

 角度を甘く当てられたアペリアの両手剣は、盾に吸い付かれたかのように回転の動きに巻き込まれ、狙いを逸れて地を叩く。

 僕は何が起きたのか理解ができない顔をしているアペリアの、その剥き出しの腹に思い切り蹴りを叩き込んだ。


 全力を込めた蹴りの威力に、大きくアぺリアの身体が吹き飛ぶ。

 流石に転げてしまいはしなかったけれど、それでもまともに入った蹴りのダメージは軽くない。

 だけれども、僕の蹴りに跳ね飛ばされたアペリアは、体勢を立て直しながら獰猛な笑みをその顔に浮かべる。

 その笑みには隠し切れない……、否、隠す心算の全くない喜びが浮かんでいた。


 おいおい、本当に、やめてくれよアペリア。

 そう、僕は思わず胸中で呟く。

 そんな風に嬉しそうな顔をされてしまうと、思わずもっと本気を見せたくなってしまうじゃないか。

 でも、それは駄目なのだ。

 どんなにアペリアが望もうと、最初からこの戦いの結末は決まってる。

 彼はもう下級なんかに居て良い剣闘士じゃなかった。

 中級を越え、上級へと駆け上がって行くべき剣闘士なのだ。


 僕は闘争心を満たす為じゃなく、金を稼ぐ為にここに居るから、アペリアの気持ちには応じられない。

 せめてもの土産として、この先でアペリアが苦戦するであろう技を幾つか、この戦いで見せておこう。

 たった一人の剣闘士に入れ込み過ぎている事はわかっているけれど、彼はそれほどの逸材だから。


 そうして暫く戦いは続いたが、幾度もアペリアの攻撃を受け損ねて血を流した僕は、力を失い、最後に盾ごと吹き飛ばされて地に転がる。

 戦いの終わりを告げる銅鑼の音と、激しい名勝負を見た観客達の割れるような歓声に混じって、アペリアの悔し気な咆哮が闘技場に響いた。


 ……もしもアペリアがそれを許してくれるなら、僕が全てを返し終わって身軽になったら、今度は僕から会いに行く。

 その時はもっと、遥かに高い場所に居るだろう彼と、混じり気なしの全力をぶつけ合いたいと、強く思う。

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